【KAC202210】真夜中はおとなの時間

肥前ロンズ

真夜中はおとなの時間

 ふと、ミチルは目をあけました。真夜中のことです。


 お部屋はまっくら。窓からすこし、街灯と、星と、月の光が入って来るだけです。

 今日は風の音はなく、ジィーっ、という、耳ざわりな音がします。おや、外からクルマの音がしました。だれかが帰ってきたのでしょうか。



 とたん、おへやの天井に真っ白な光と、おおきなおおきな影が、ぐわんと浮かび、動きました!

 まるでオバケがミチルを見おろして笑っているかのようで、ミチルはぎょっとしてふとんのなかにもぐり込みます。


 暗くて、暑くるしい布団のなか。ミチルはドキドキしながら、息をひそめます。

 バン、という叩きつける音がしたあと、また静けさがやって来ました。

 あのオバケは、どこかへいったのでしょうか? たしかめたいですが、布団から出たとたん、あのオバケが襲ってこないかと不安になります。


 けれど、だんだん息ぐるしくなってきて、ミチルは布団から飛び起きました。


 おへやはふたたびまっくらでしたが、つめたい空気がミチルの口の中いっぱいにはいり、ミチルのドキドキはどんどん落ちついてきました。

 ミチルはドアの下から、ほんの少し光が差し込んでいたことに気づきました。こわさを忘れて、そっとドアをあけます。



「おや、ねむれないのかな」



 ピカピカ光る廊下には、ミチルのお兄さんと、お姉さんがいました。「さいきんできた」お兄さんとお姉さんですが、お兄さんは「だいがくせい」で、お姉さんは「じゅけんせい」。


 お兄さんは帰りがいつも遅く、ミチルはほとんどお兄さんと話したことがありません。なので、ミチルはすこし緊張しました。

 お姉さんも、今日は「じゅく」でおそくなるときいていたので、ミチルはお母さんと二人でばんごはんをたべました。


 二人はいま帰ってきたのでしょうか。たぶん、お母さんは「やきん」で行ってしまったのでしょう。こんなこわくてくらい時間に動くなんて、おとなってすごいな、とミチルは思いました。


 そのときです。ぐぅ、とおなかの音がなりました。

 なったのは、お姉さんのおなかです。顔をすこし赤くそめておなかをおさえるお姉さんに、お兄さんがいいました。



「なにかつくろうか。ミチルも、ちょっとたべないか?」



 ミチルはこまってしまいました。こんな夜中にたべるなんて、きっとお母さんに怒られてしまいます。でも……。

 ぐう、と、ミチルのおなかもなきました。それをきいたお姉さんが、うれしそうに言いました。



「ミチルもおなかがすいているのですね。いっしょにたべましょう」



 朝にあうお姉さんは、あまり笑いません。いつも背すじがぴんとなって、きれいなお箸の持ち方をします。きびしい人だと、ミチルは思いました。

 けれど真夜中のお姉さんは、なんだかとても楽しそうです。いつものお姉さんとは、すこしちがいます。



「ミチル。なにが飲みたい?」



 台所の奥に立ったお兄さんがいいました。


「ねむれないなら、ココアかな?」ということばに、ミチルはブンブン! とあたまを横にふりました。ココアを飲んだら、きっと虫歯になってしまいます!


 ところがここで、お姉さんがいいました。


「だいじょうぶですよ。ちゃんと歯をみがけばいいのですから」


「そういえば、母さんがケーキあるっていってたな」


 お兄さんは、「れいぞーこ」からバナナケーキをとりだしました。お母さんがお昼に作ったものです。


「僕たちでたべちゃおうか」


 ミチルはお兄さんに、じぶんはおやつの時間にたべたことを伝えました。でもお姉さんが、


「私たちはそれぞれ二切れもらうので、ミチルもたべていいですよ」


 というので、ミチルもたべることにしました。




 ぽこぽこぽこ。お湯をわかす音がします。

 トントンという包丁の音。ジィーっというトースターの音。ほんのすこしこげた匂い。

 カチャカチャと、ちいさなスプーンでまぜる音。


 みなれたリビングとダイニングテーブルが、オレンジの照明に照らされて、なんだかいつもとちがいます。お母さんといっしょに見た映画に出てくる、魔法使いの台所のようです。ならそこに立つお兄さんも、魔法使いに違いありません。



「はい、どうぞ」



 お気に入りのキャラクターマグカップに、たっぷりのココア。

 ちいさなお皿には、トースターでほんのりあたためられた、バナナケーキがありました。


 ココアを飲もうとして、お姉さんに止められます。

 お姉さんはないしょ話をするように、ミチルにこそっといいました。


「ミチル。きっと、バナナケーキをココアにひたしたら、おいしいですよ」


 その発想はありませんでした。

 ミチルは、パンのようにちぎって、ココアにひたします。とろり、とココアが落ちていきそうだったので、ミチルはあわてて口にいれました。


 とろとろ。とろとろ。

 焦げてかたいところと、ふわふわのやわらかいところ。

 なめらかでちょっと酸っぱいバナナと、とけたチョコレートの甘さがまじります。


 ミチルは、いつも飲むココアと、たべるバナナケーキが、なんだか特別なものになった気がしました。



 となりのお姉さんを見ると、お姉さんにはお花のお茶がいれられていました。あまい匂いがします。


「カモミールティーです。飲んでみますか?」


 ミチルは「カモミールティー」にちょうせんすることにしました。

 飲んでみると、匂いはあまいのですが、味はそうでもありません。今まで味わったことないものです。お花が口の中にはいって、ちょっときもちわるい。ミチルはざんねんに思いました。


 でも、からだがポカポカあたたまってきて、こんなにリビングはまぶしいのに、ミチルはうとうととねむくなってきました。


「たいへんです。歯をみがかなくては、虫歯になってしまいますよ」


 お姉さんのひとことに、はっとミチルは起き上がり、お姉さんといっしょに洗面所にむかいました。


 お姉さんといっしょに歯をみがき終えると、お兄さんが三角のいれものに真っ黒な粉を入れていました。

 くんくん。独特な匂いがします。

 間違いありません。あれはおとながよく飲む「コーヒー」です。お兄さんは、コーヒーが飲めるのです!



「え、飲んでみたい? ……夜はやめた方がいいかな。ねむれなくなるから」



 ミチルはわからなくなりました。どうしてお兄さんは、ねむれなくなるコーヒーを飲むのでしょうか? お母さんといい、おとなはなぜか夜に動いています。おとなって変だな、とミチルは思いました。

 お兄さんは、「じゃあ朝、いれてあげよう」といいました。朝も会えるのでしょうか。ミチルはとっても楽しみに思えました。




「ひとりで眠れますか?」




 お姉さんのことばに、ミチルはうなずきます。本当はすこしさみしいしこわいのだけど、赤ちゃんじゃないのだから、一人でねむれます。

 おやすみなさい、とお姉さんとお兄さんにいわれて、ミチルは真夜中がさみしくもこわくもなくなりました。


 真夜中はふしぎな時間です。朝やお昼に見られない人の顔が、見られる時間。いつもはたべない時間に、やったことないたべ方。飲んだことのないカモミールティー。おとなの時間。


 また真夜中の二人と会いたいな。


 そう思いながら、ミチルは目をとじました。




 ミチルのまぶたには、真夜中のお茶会が焼き付いていることでしょう。

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