#32「久々の再会のようです」

 テストの結果とか、停学とか――なんだかんだで色々なことがあった、その週の土曜。

 俺は久しぶりに本邸を訪れていた。

 理由は勿論、祖父さんと稽古をするため。


 袴姿の俺は、祖父さんと正座で相対する。

 祖父さんは俺の姿を見て、こう呟いた。


「朱鳥……お前、少しは成長したようだな」


「え……?」

 成長? 俺が……?

 自慢じゃないが、栖鳳女学院に編入してからの数週間、ロクに鍛錬なんて出来ていない。

 衰えたならまだしも、成長したとはとても思えなかった。

 だが、だからといって祖父さんが嘘を言っているようにも見えない。


 俺の疑問を察したのだろう。祖父さんは微笑を浮かべながら言った。

「……信じられぬという顔だな。だが、嘘ではない。武道の真髄は心、技、体――そのどれもが不可欠だ。今のお前は、以前より心が満ちているように見える」


「はあ……」

 ぶっちゃけよく分からない。

 でも以前よりも強くなってるっていうのなら、今日こそは祖父さんに勝てるかもしれない。

 俺はいつものように、無策に祖父さんへと挑んだ。


 ……結果は、お察しの通りだ。


「――そういえば、今日は華恋も来ると言っておったな」

 無様に寝転がる俺への興味を早々に無くした祖父さんは、そんなことを呟いた。

 確かに、今日は華恋も本邸を訪れている。

 だが、別に武道の稽古に来た訳ではない。


「……華恋にちょっかいを出すのは控えたほうがいいと思いますよ、お祖父様……。今日はお友達と来ていますから……」


 ……そう。

 今日は華恋だけでなく、杠葉ちゃんも本邸に来ていた。

 いつだったか杠葉ちゃんとは、一緒にテニスをしようなんて話をしたことがあったが……どうやら華恋がうっかり本邸にテニスコートがあると口を滑らせたらしいのだ。

 そして結局、遊びに来ることになってしまった、という訳である。

 

 俺としては、あまり本邸に人を呼ぶのは気が進まなかった。今の俺と天王寺家の関係を説明しようとすると非常にややこしいからだ。

 だが、だからといって楽しみにしている杠葉ちゃんを無碍にするのも憚られた。


「むぅ……」


 俺に諭された祖父さんは、残念そうに眉を顰める。

 ちなみに祖父さんは、華恋にはメチャクチャ甘い。華恋の前では、俺の時には考えられないほどの孫煩悩を発揮するのだ。

 というかむしろ、厳しいのは俺相手の時だけだ。

 長男には厳しく……とかそういうことなのかもしれないが、ならば長女になった今、もう少し優しくなってくれても良いのに、とは思う。

 いや、まぁ……そんな急に態度を変えられても、それはそれで気持ち悪いが。


「お前は顔を出さんのか?」

「もちろん出しますよ……後でね」

 アンタに痛めつけられた体が癒えてからな。


「そうか……」 

 祖父さんはもう一度残念そうな顔をしてから、俺に言った。


「今日の稽古はここまでだ。朱鳥、くれぐれも精進は欠かすでないぞ」

「……はい、お祖父様」

 俺は、息も絶え絶えになりながら答えた。

 そして祖父さんがいなくなるまで、その場に寝そべり続ける。


 華恋と杠葉ちゃんには、稽古が終わったら合流する約束をしていたのだが。

 ゴメンだけど、もうちょっとだけ、寝かせて……。


◇◇◇


 ようやく動ける程度に体力が回復した俺がテニスコートへ向かうと、コートからラリーの小気味いい打撃音が聞こえてきた。

 どうやら俺がクソジジイに痛めつけられている間に、2人でだいぶ白熱しているようだった。


「おーい!!」


 俺は、コートの外から2人に声を掛けた。

 俺の姿に気づいた2人は、ラリーを中断してこちらに駆け寄ってくる。


「ねぇね!! 稽古は終わったの?」

「何とかね……」

 体力的に今すぐテニス、という訳にもいかなそうではあったが。


 俺の様子を見て華恋は察したように言う。

「あはは……随分と痛めつけられたみたいだね……」

「……まあ、いつものことだよ」

「もう、おじいちゃんってば……。構ってくれる人がねぇねくらいしかいないから、変に張り切っちゃってるんだよ。ねぇねも優しいよね、稽古なんてはっきり断れば良いのにさ」

 いや、そういう問題か?

 断りなんかしたらブチ切れられそうな気がするんだが。


「……取り敢えず、もう少しだけ休んでいても良い?」

「うん、分かった。私と杠葉ちゃんでもう少し練習してるね」

「悪いね」


 俺は杠葉ちゃんの方を見た。

 杠葉ちゃんは、俺にペコリとお辞儀した。


「お邪魔してます、朱鳥お姉様」

「ゴメンね、すぐに合流出来なくて。体力が回復したらそっちに行くから」

「気にしないでください。無理言ってお邪魔させてもらったのはこっちなんですから」

 そう言って貰えるのはありがたいんだが、そこまでいい子すぎると、こっちはなんだかますます申し訳ない気持ちになってくる。


「それにしても……すごく立派なお家ですね………こんな広いテニスコートがあるなんて」

 杠葉ちゃんは辺りを見回しながら言う。

 俺は複雑な笑みを浮かべながら答えた。

「別にすごくなんてないよ。普段はここに住んでる訳じゃないし。ただ、お祖父様が少しだけお金持ちっていう……それだけ」

 そっけない答えになって杠葉ちゃんには申し訳ないが、この家が俺の付加価値みたいに見做されるのがなんとなく気に入らなかった。


「そう、ですか……」

「まあ、今日は楽しんでってよ。私ももう少ししてから混ざりに行くからさ」

「はい!」


「ねぇね、今日もリチャード先生の技教えてよね! 今度こそ絶対に習得してやるんだから」

「良いけど、この前は出来なさすぎて半ベソかいてたじゃない」

「そうだけど! 今日はなんだか出来そうな気がするの! だからお願い!」

「あー、はいはい」


 そんな他愛もない会話をしつつ――俺はふと、2人の着ている服に目を遣った。

「――っていうか、2人とも今日は気合い入った服着てるよね」

 2人はテニス用ウェアを着用しており、下には所謂スコートを履いていた。

「うん、別にジャージでも良かったけど、気合を入れるには、まず服装からってね」

「ふぅん」

「ちなみにねぇねの分もあるよ?」

 は? 俺の分?


「そんなもん、どこで……」

「3人でテニスするって八千代叔母さんに話したら、用意してくれたんだよ」

「マジで……?」


 あの人が、まさかそんな気の利いたことをするとは……。

 でもあの人に借りを作るのって、後で見返り求められそうだから嫌なんだよな……。

 だいたい……、

「……それ、私も着なきゃダメ?」

 2人の格好は……なんというか結構際どい。

 特に下半身のスコート部分が超ミニだ。

 いや、テニスウェアってそういうもんなのかもしれないが……例によって防御力が低すぎるんだよなぁ。


「何言ってんの、着なきゃダメに決まってんじゃん。着なかったら何のために用意してもらったのさ。ねぇ、杠葉ちゃん」

「はい。私も……朱鳥お姉様が着てるところ見たいです」

 ですよねー。

 まぁ、分かってたけども。


「ほら、文句言ってないで着替えてきなよ。更衣室に置いてあるから」

「ちぇっ、仕方ないな……」

 残念ながら、着ないと話が進まなそうだ。

 俺は観念して、更衣室へと向かう。


 更衣室は、テニスコートからは少し離れた位置にあった。

 元々男だった俺は適当にその辺で着替えたりしていたから、更衣室に入るの自体が初めてだ。

 ……って、そもそも個人宅に更衣室なるものがあるのがおかしいんだが、この邸宅にいちいち常識を当て嵌めていたらキリがない。


 軋むように痛い全身を労わるように、ゆっくり歩いてゆく。

 と――。


 ――俺の目の前に、ある影が立ちはだかった。

 その影は、見下すような視線で、俺に言った。


「――女になっても、情けない姿は相変わらずだな」


 その声を聞いた瞬間――、

 ――俺はほとんど無意識に、その影に向かって、思い切り蹴り上げていた。

 顔面に向かって鋭く放たれた回し蹴り。

 だがそいつは――顔面スレスレのところで、その蹴りを難なく掴み取る。

「くっ……」


 そして何事もなかったかのように、俺に言った。


「……久しぶりだな――朱鳥」


「ああ……久しぶり――父さん」


 俺の目の前に現れたのは、ビジネススーツに身を包んだ、俺の父親――天王寺奉哉てんのうじほうやだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る