最終話「僕が僕であること」

「お前は……僕をどうするつもりだ」

「きひひ。どうもしませんよ。あなたは結局、ツクリモノのアナザー田原。所詮しょせんは次の、より高度な田原総一朗を作るための道具でしかない」

 ツクリモノ。そうだ。今、アナザー田原が抱えている苦しみも葛藤かっとうも、記憶も、心も……そのすべては本物の田原総一朗から落とされた影法師でしかない。そこには本物など何一つとしてないのだ。

「僕は……子供の頃は軍国少年だった。海軍に入るのが夢だったんだ。アジアを解放するために、お国のために華々しく死になさい、そう言われて育った。だから敗戦した直後はどうすればいいかわからなかった。だが……敗戦後に初めて学校に行ったときに教師は言った。この戦争は日本の侵略戦争だった、悪い戦争だったと。偉い人の言うことは180度変わる。そういった言葉を信用してはいけない。それがジャーナリストとしての僕の原点だ」

「知っていますとも。そのエピソードは『へいの上を走れ』にもカクヨム上のインタビューにも載っています。きれいにそらんじるものですね」

 この記憶は所詮しょせんは本から写しとったデータに過ぎない。だとしても。

「だとしても、

「……は?」

 思わぬ言葉に、阿蘭あらんきょを突かれた。


「どうした。なんだ、僕がこの程度で絶望すると思ったか? 舐めるなよ、おれは田原総一朗だぞ! ジャーナリストだ! 僕は戦争を知る最後の世代だ。どんな理屈があろうと、あんな風に人が人として生きる最低限の尊厳を、国家に、時代に奪われてしまう戦争を肯定なんかしちゃいけないと知っているんだ。さかしらぶった若造が言う、知ったフウな口は正面から叩き潰してやる! それでも立ち上がるなら、かかってこい。討論だ。その場は僕が用意してやる!」

 アナザー田原は覚醒した。その力はすでに阿蘭あらんが想定していた出力をはるかに上回っている。

「『個性のディープフェイク』? 二次創作? かまわんとも。僕がいだいたこの思いが後世に残って、なんどでも再現されるんだろう。なんだ、僕が一時は失読症しつどくしょうになってまで、血の汗を流して書いてきた本たちよりも上等な媒体じゃないか」


 そのとき、天から声が響いた。


「そうだ、アナザー田原。今は異論を認めない社会の空気が強まっている。だが、それでは民主主義は死んでしまう。自分と違う立場の人がいると認め、意見が違う人とは徹底的に討論する。それが民主主義の基本だ。そうすれば、分かり合えなくても友として生きていくことができる」

「こ、これは……この台詞せりふは!?」

 阿蘭あらんには覚えがあった。それは全3回に及んだインタビューの中で、『へいの上を走れ』からの引用ではなかったもう一箇所いっかしょの部分。それは88歳、米寿を迎えた現在の田原総一朗がインタビュアーに放った肉声、第3回の締めの言葉だった。

「僕は。僕の目が黒いうちは日本を良くするため、体を張って言論の自由を守るため、精一杯声を荒げつづけるつもりだ!」


 カクヨムのインタビューは実在しない二次創作ではなかったのだ。その大部分が77歳に書いた自伝からの引用・要約で書かれたものであっても、その一部には現在の88歳の田原総一朗本人の芯が残されていた。


「88歳の田原。きみはこれからも死ぬまでテレビに出続けて、身体が動かなくなるまで番組を続け、目を開き続けるかぎりこの国をにらみつけていくんだ」

「77歳のアナザー田原。きみはこれからあらゆる僕のデータを取り込み、僕の死後も『個性のディープフェイク』として稼働し続ける。そしてこの国に伝えていくんだ、かつて僕が体験した記憶を」


 哄笑こうしょうする阿蘭あらん

「これは想定以上の結果だ……やはり田原総一朗を選んだカクヨムの目に狂いはなかったーっ!」

 阿蘭あらんは白熱する二人の田原の熱量に飲み込まれて消滅した。アナザー田原はすでに造物主の手に収まるようなちっぽけな存在ではなくなっていたのだ――。


 こうして、すべては光に包まれた。

 ありえたかもしれない一夜が明け、徹夜てつやを越えて朝が来る。

 気づくと、田原総一朗は日経虎ノ門別館――旧テレビ東京本社ビルにいた。人っ子一人いない映写室跡地に立つ田原を、巡回していた警備員のライトが照らす。


「ちょっと、ここは立ち入り禁止ですよおじいちゃん……って、あれ? 田原総一朗!?」

「なんだ。まだおじいちゃんなんて年じゃねえ」


「僕は、88歳だ」

 

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田原総一朗の死の年 秋野てくと @Arcright101

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