第30話:交渉決裂

「ヒーロ! 何回言えば分かるんだ!」

「えー、また俺ー?」


 坂元ヒーロはベースを構えたままむすっとしたが、愛嬌のある顔なので本当に嫌気がさしているわけではないことは分かる。


「仮にもリズム隊ならちゃんと浩三こうぞうと合わせてから来い! おまえら二人が噛み合わないなんて論外だ」

「すみません、いおいさん……」


 ドラムセットの奥の中村浩三が俯く。


「浩三はちゃんと叩けてる。ヒーロの悪癖だ、自分のグルーブに耽溺する。ちゃんとオレの歌が生きるように弾け。今日はここまで」


「いおい、家まで送るか?」


 ギターを下ろした神谷が言うので、


「結構だ、先約がいる」


 とだけ答え、荷物と上着を手に取ってスタジオを辞した。



 一時間後、オレは某ホテル最上階のラウンジで某メジャーレーベルの男と話をしていた。


「谷津くん、きみの熱意とポリシーは分かるけど、ウチの規模でいきなりセルフ・プロデュースは厳しいよ。音だけならともかく、ミュージック・ビデオやメディア露出、アー写やツアー日程まで全部っていうのはウチじゃなくても不可能だ」


「でしたら結構です。帰ります。ドリンク代はこちらに」


 オレは立ち上がってテーブルに千円札を二枚置き、男が何やらほざいてるのを無視してラウンジを出た。



「また蹴ったんだ」


 出口の前に、黒髪の見栄えのいい男が立っていて、オレの顔を見るなり極めて愉快そうに笑った。オレもつられて少しだけ口角を上げる。


「漆黒の天使・谷津いおい様を落とせるのはどこのレコ社だろうね」

「いざとなったらこの国から出ます」

「それは寂しくなるなぁ」

「見え透いた嘘つかないでください」


 軽口を叩きながらオレと彼はエレベーターホールに向かう。


「で、この後どうするの?」

「このホテルの一室を押さえてあります」

「はぁ……。まあ、お茶会にはちょうどいい時間だけど」

「オレはまだ諦めてませんよ」


 そう言うと彼はふっと視線をオレの方に投げ、


「いつも思うけど、おまえは本当に綺麗だね」


 と真顔で言う。


「そうですけど」


 オレも真顔で返すと、彩瀬タケルさんはまた笑った。

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