第10話 お似合いのお友達


 二人一緒に宿舎の階段を下る。

 アンシュのいう場所は、近くの大学だった。大学外の人間も自由に立ち入ることができるレクリエーション用の棟の一講義室だ。

 蘭子が大通りを経由しない道順を選んだおかげか、次第に修治郎は、以前よりは落ち着いた表情を見せるようになった。しばらく黙々と歩いていたが、ある一角を曲がったところで修治郎が静かに切り出した。

「あの後、どうなった」

 蘭子は返す。

「もう少し具体的にお願いします」

「あの悪女は僕らに何も仕掛けなかったのか」

 意外な言葉に、蘭子は少々早口に返す。

「修治郎様、自分のせいだとお気づきになったのですか?」

「馬鹿かね」

 思い違いだったようである。

「というか、提携先のお嬢様を悪女って……」

「君はあの悪女が、僕と同じ学校に通っていたとか言っていたな」

「貴方と同じ制服でしょう、あれは」

「何故資産家の令嬢でありながら公立校に通っているのか分かるか」

 蘭子は、質問の意味が分からないという顔をした。

「そんなの、調べた訳でもないのに分かりませんよ」

「違う、考えたら分かることだ」

 修治郎の歩幅はいつの間にか、蘭子と同じくらいになっていた。

「初期の貢進生教育の最大の失敗点は、留学生を未だに藩の残党からの推進制度だの前時代的な方法で選出していたことだ」

 蘭子は更に渋い顔をする。修治郎は続けた。

「君用に噛み砕いて言うのならば、高次な勉強をするには親の金と地位がものを言うと顕著に表れた制度は結局ろくな成果も出せず失敗するということだ。世の中は表面だけでも条件は皆同じだということになっていなければならない。名前ばかりが立派になればやがて形骸化する。ずさんな資産家なりに、そういった華族向けの学校をある程度分析した上であえて選択したのだろう。下手に金持ちぶった私立校よりは、名のある公立校という訳だ。つまりは鶏口牛後というやつだ」

 蘭子は流れるように出てくる修治郎の言葉を、頭の中で必死に要約してこう言った。

「ハサウェイ家のお嬢様は、お金持ちでありながら社会勉強のためにグラマースクールに通っているということですか?」

「ふむ。君の割には早い理解と的確な解釈だ」

「褒めてます?」

 曇り空の路地裏は、二人が歩を進めるにつれ暗闇に飲まれていく。昼時というのが嘘のようである。

「ねえ、修治郎様」

 すっかり道が暗くなった頃、蘭子は正面から問うた。

「修治郎様は、アンシュさんを気に入られていますよね」

 修治郎は答えない。蘭子は続ける。

「私の介入なしにああも修治郎様が話しかけることが出来たのは、きっと修治郎様にとってアンシュさんが話しやすい方に思えたからです。修治郎様は、ご自身で思われている程誰かと話すのが苦手ではないように思います」

 修治郎の歩幅が次第に狭くなり、遂にはゆっくりと足を止める。蘭子は囁くように漏らした。

「分かっています、余計なお世話というのでしょう」

「蘭子」

 修治郎は低い小声で名を呼んだ。また失敗したかもしれないと蘭子も足を止める。

 しかし幾ら待っても、修治郎からその続きは返ってこない。代わりにやたらと静かな路地に、突如、数人分の荒い足音が響いた。

 蘭子は身を強ばらせる。

 目の前に現れたのは、修治郎の通う学校の制服を着たがたいの良い五人の男達だった。全員が各々鈍器のようなものを持っている。

「てめえがアオキか?」

 真ん中の男がその見た目に似合わないやたらと甲高い声で投げる。

「僕はオダだ。すまないが、人違いじゃないか?」

 棒立ちになる蘭子の前に出、修治郎は何食わぬ顔でまた偽名を吐いた。真ん中の男は右隣の男に話しかける。

「おいてめえ話が違うじゃねえか」

「間違いねえよ。背の高え痩せた男と長髪で背の低い女、両方が東洋人だ」

 五人の男達は目をぎらつかせ、修治郎を睨む。修治郎は取り繕うのを諦め、溜息混じりにこう一言。

「あの脳まで脂肪女の、さしづめ脳まで筋肉のお友達といったところか。お似合いだな」

 その言葉を聞いた男達は、一斉に何やら雄叫びながら修治郎に飛びかかった。

 蘭子は呆然と立ち尽くした。

 ナイフ。

 あの時私が止めていなければ。

 いや、もっと私が気を張っていれば。

 頭のあちこちから飛んだ後悔が蘭子を縛り、声を捻り出させる。

「やめてください!」

 男達は蘭子を見向きもしない。腕が大きく降り上がる。

 鈍い音が一つ響く。

「!」

 鋭い風が頬を掠め、修治郎の体が一気に蘭子から遠のいた。

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