第41話 41合目

ドラゴンといえどもバラバラになってしまうと思っていたのだが、さすが凄まじい固さである。一方で、これだけの力がありながら俺たちに敗北したのだから、やはり愚かなトカゲにしか過ぎないが。


俺はアイスフォールへと降り立つと、慎重にドラゴンへと近づいて行く。万が一にも生きている可能性を考慮してだ。だが、ピクリとも動かない。


「どうやら完全に殺ったみたいだな・・・」


ふー、何とかなったか。さすがの俺も足を投げ出して座り込んだ。


「さて・・・それにしてもクライミングし直しか。せっかく、もうちょっとで初登頂だったっていうのになあ」


俺はC2近くのキャンプポイントに残してあるアイスハーケンや食料の量について考えだす。


既にホワイトドラゴンのことなど頭にない。俺にとってはドラゴンなんぞより、竜のアギトの方がよっぽど重要で、超えるべき壁なのだから。


やっぱり俺って生粋の登山馬鹿だよなあ、と自分で呆れる。


「モルテたちに追いつくには、すぐに出発しないといけないぞ? ギアは・・・いちおう足りてるか。でも、モルテがいないから単独行になるな。追いつくのは夕方頃か。そこで合流して、残りを登る・・・。うん、何とか夜になるまでには登頂できるな」


・・・とまあ、口で言ってみたものの、やっぱり現実味のないプランだ。


何せ今の俺は一度300メートルをハーピーと連戦しながらクライミングして、今さっきドラゴンと一緒にそこからグランドフォールした後というトンデモない状況なのだ。


体力面、精神面のことを考えれば今日はC2で休憩し、明日改めてアタックをかけるべきだ。


いやいや、そもそもモルテという信頼できるビレイヤーの存在がいない以上は、アタックを諦めるのが正解だろう。ロープコントロールをしてくれる者がいないということは単独行をするということであり、グランドフォールする可能性が極めて高くなる。


・・・余りに危険だ。きっと命を落とす事だろう。


それにだ、エルク草の採取は別に俺がしなくても良いのだ。パートナーであるモルテやシエルハちゃんに任せれば良い。俺が無理をする必要はないのだ。


・・・まあ、その場合、初登頂は少女二人ということになる。が、自分の命を危険に晒してまでそんなことに拘るべきではない。


「そうだな、休むべきだ」


俺は立ち上がって歩き出す。アイスフォールに突き刺さったドラゴンの亡骸を横目に真っ直ぐに進んだ。


そう、C2ではなく、竜のアギトの方へと。


「くっそー、バカだよなあ。分かってはいるんだけどなあ」


理屈では分かっている。C2へと戻り、テントでゆっくりと休むべきなのだ。


再度アタックするにしても、せめて明日にするべきである。だが、そうなると竜のアギトの初登頂はモルテやシエルハちゃんという事になる。もちろん、今から登っても、先行する二人に追いつくことは難しいだろうから、結局のところ彼女たちが初登頂だ。


「・・・けれど、それでも諦められない」


きっと、それは俺が登山家だからなのだろう。


理屈ではないのだ。初登頂のことを思うと、どうしても胸が疼き、心が腰を下ろすことを許してくれないのである。ならば考えても仕方ない。


「しょうがないよな、よし、行こう!!」


「ちょ、ちょっと待ってよ!!」


そう言って突然俺の進む方角に立ちふさがるように回り込んで来たのは、C2にいるはずのティムちゃんであった。


「えっ!? どうしてここに?」


「すっごい音がしたから駆けつけてきたんだけど・・・ホワイトドラゴンを倒したんだね。さすがボクの将来の・・・」


「?」


「ううん、ゴホン! いや、それにしても、ボクだって苦戦する相手なのにすごいよ! でも、それよりこれからもう一回アタックしようと考えてる?」


「ああ。すまないが、止めても無駄だぞ? 俺は登山家として、竜のアギトを一番に落とさないといけないんだ。それにチャレンジできないなら俺がここにいる意味がない」


だが、ティムちゃんは、


「はぁぁぁぁあああああ・・・」


と大きくため息を吐いて首を振る。どういうことだ?


「止めななんてしないよ。コーイチロウ様がどういう人かは、この間(かん)一緒にいて分かってるつもりだからね。はぁ・・・ホント、どうしてボクってばこんな人を・・・」


「どうしたんだ? 止めないなら行って良いか?」


「ああん、もう! ちょっと待ってってば。せめて体力は回復していってよ! すぐに簡単なスープだけでも作るからさ!! せっかく貴重な竜のお肉を手に入れたんでしょ?」


「貴重なのか? こんな空飛ぶトカゲの肉が?」


俺が首をかしげると、ティムちゃんは驚いた目で俺の方を見たが、


「やっぱり、線は細いのに、どこかワイルドなんだよねえ・・・」


そう言って俺の方をジーっと見ていたが、ハァとどこか熱い息を吐くと、ザックから鍋を取り出した。


そこに氷を放り込んで火魔法で溶かすと、何かのパウダーを溶かし始める。更にナイフで竜の死骸から肉を剥いで来ると、中に放り込んでグツグツと煮込んだ。30分ほどで竜の肉スープが完成する。


一口匙ですくって食べてみるが・・・うわ、何だこれ!!めちゃくちゃ美味いぞ!!


「すごい美味しいよ!! いやあ、ティムちゃんは料理がうまいんだな!!」


「そんなわけないでしょ。竜のお肉の味だよ。うーん、全然自覚してないようだから言うけど、ドラゴンを倒すなんて本当にスゴイことなんだからね? その肉を使ったスープなんて、王侯貴族でも食べられない貴重品なんだよ? きっと体力だってほとんど回復すると思うよ?」


「ははは、まさか」


「もう!」


何やらティムちゃんがむくれているが、確かに体中がポカポカとしてきたし、何だか腹の奥から力が湧き出てくる様な感じがした。きっとチョコレートのようにエネルギーに変わるのが早い食材なのだろう。


「よし、これでもう一度アタックできるな!」


「あ、あとコレも持っていってね。アイスハーケンとか、いるでしょ?」


ティムちゃんが持ってきたザックからクライミングギアを取り出す。気が利くなあ。


「色々とすまない。ああ、それからペンダントめちゃくちゃ役に立ったよ。ありがとう。アレがなかったらやばかった。よーし、それじゃあ、行ってくる!」


「役に立って良かったよ。本当にお守りになったね。じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい」


「ああ! きっとモルテたちと一緒に戻るさ!!」


「うん!!」


俺はティムちゃんを置いて一人で竜のアギトに向かう。


ティムちゃんをビレイヤーにすることも考えたが、日没までに登頂する必要があるのでスピード重視で進まないといけない。単独行で行かざるを得ないだろう。


そうして俺はモルテたちの元へと戻るため、再度登攀を開始したのである。


さて、だが困難が予想されたそのクライミングは信じられないことに極めてスムーズに進んだ。


なぜかモンスターは一匹たりとも襲ってこなかったし、空は晴れ渡り、風はほとんど吹かなかったのである。


丸でホワイトドラゴンを倒した俺を、魔の山が歓迎しているかのようだ。


・・・まさかなあ。


そんな風に俺が独りで3時間ほどかけて氷壁をダブルアックスで登って行くと、ついにドラゴンとの戦いの爪痕が残る300メートル地点へと戻ってきた。氷柱が多数氷壁に突き刺さったままになっており、よくこれだけの攻撃を全てかわしきったものだと、今更ながらに感心する。ほとんど面制圧の域じゃないか・・・。


だが、更に驚くべきことがあった。


その氷柱の塊りを床の様にして、一つのテントが張られていたのである。


中を覗き込めば驚くべきことにモルテたちがいた。


俺が声を掛けると、モルテとシエルハちゃんの方がなぜかビックリした表情でコチラを見る。


「なっ!? なんでもう居るのじゃ!? 少なくとも明日じゃろうが!!」


「もしかして単独行でもう登って来たんですか!?!?!?」


俺がその日の内に単独行で登って来たことに驚きを隠せないようだ。そりゃそうだよな。


俺はドラゴンのスープを飲んで回復したから大丈夫だと告げると、シエルハちゃんは更に驚愕していた。


多分、登山馬鹿だと呆れられているのだろう。


まあ、二人共優しいので、「わしのパートナーはさすがじゃのう」とか「とりあえず山岳ネット協会員になるために私の親に会ってください」と言ってくれるが、それを真に受けるほど能天気ではない。


さて、彼女たちがこんなところでビバークしていた理由は、どうやら俺と一緒に初登頂するため待っていてくれたらしい。本当に良い仲間たちだ。


そういう事ならと、俺たちはすぐに登攀を再開した。


とは言え、もう50メートルほどで頂上だったので、30分とかからず辿り着いた。


「ここが竜のアギトのてっぺんか」


俺は山頂に立って、周囲の風景を見下ろしながら呟いた。


これまで神霊しか立つことが許されなかった場所に人間が立ったのだ。


だから何だ、と言われれば、別にどうもしない。ただ、未踏峰があれば、そこに人跡を刻みたくなる。それが登山家というものだ。


「ほほう、やはり山頂というのは特別景色が良いのう。こうしてコーイチローと見る下界は格別じゃわい。これはアッチに戻っても退屈せんかのう・・・」


「ホント絶景ですね~。は~、それにしてもキツネ族として、こうして第一登攀者と一緒に登頂できるなんて、キツネ冥利に尽きます! コウイチローさん、ありがとうございます!」


隣に並びニヤリと笑うモルテに、ニコニコと微笑むシエルハちゃん。


俺も笑って何か返事を返そうとするが、言葉にすると嘘くさくなりそうで何も言うことが出来なかった。


いや、無理に言葉にする必要はないのだ。あのジョージマロリーではないが、山があったから登っただけだ。エルク草の採取というクエストがなくても、俺はきっと、この場所に立っていただろう。今はこの満たされた気持ちに浸っていれば良い。


「あっ、あれがエルク草じゃないですか!?」


「うむ、金色の葉をしたクローバーということじゃったし、聞いておった姿と同じじゃな!行くぞ、コーイチロー!!」


「お、おう。おわっ、引っ張るなって!?」


やれやれ、ゆっくりとしている暇はないらしい。俺の右手をモルテが、左手をシエルハちゃんが引っ張って、エルク草の元へ連れて行こうとする。


「やれやれ、エルク草は逃げないってのに・・・」


俺はぼやきながら、もう一度魔の山の尾根へと目を見下ろした。白い稜線がどこまでもどこまでも続いている。


・・・そうだな。何も山はこれで終わりじゃない。まだまだ高い山、未踏峰の場所がこの異世界にはあるに違いない。そう思うとまた心の奥に火が灯った様な気がした。


俺もエルク草の元へと駆け出す。その何でも治すという薬草は黄金の光を湛えて俺たちを迎えた。


こうして俺は、魔の山の登頂に成功したのであった。

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