第37話 37合目

「じゃあ行ってくる。もしも明日中に戻らなければ麓に連絡してくれ・・・って言っても捜索隊を出してくれるとは思えないけどな」


「うん。けど絶対戻ってきてよね。ボク待ってるよ?」


「分かっているさ。天気も良いし、風も穏やかだ。体調も良いし、ベストコンディション。だから大丈夫だ」


「うん・・・。コウイチロー様は山の神様に愛されてると思うから平気だとは思うけど・・・。あ、そうだ、これを持って行ってよ。今のボクには必要ないものだからね」


勇者ティムちゃんがメノウの様にツルリと丸みを帯びた青色の宝石を渡してきた。


「きれいだな。・・・えっと、お守りみたいなものか?」


「まあ、そうかな? それはボクが次回の冒険に使う予定の、割と大切な道具なんだ。何かって言うとね・・・ゴニョゴニョ・・・だから必ず返してね!」


「そんな大切なものを借りるのは気が引けるが・・・まあ、分かった。返せば良いんだもんな」


俺がそう言うと、ティムちゃんは心配そうな顔をしながらも、かすかに笑って頷いた。


「それから、ボクの地元じゃ戦場に男の人を送り出す時には、妻がチュッてして見送るっていう習慣があって・・・」


「さ! モタモタせずに行くとするのじゃ! ティムはそこでおとなしく我らの凱旋を待っておれ!」


「そうですね! 時間はあまりありませんよ。今日中に登り切らなくてはなりませんからね!ティムさんはそこで氷と戯(たわむ)れていてください!」


俺はモルテとシエルハちゃんに強引に背中を押されて、無理やり登山ルートへ進まされる。


おいおい、急にどうしたんだ? ま、いいか。


さて、竜のアギトへのアタックメンバーであるが、俺とモルテ、そしてシエルハちゃんの3人で行う。ティムちゃんは居残りである。


予定では、垂直氷壁バーティカルロックをダブルアックスでアイスクライミング登攀することになるので、クライマー先に登る人ビレイヤー下でロープ操作する役の二人一組で挑む。俺がクライマーをやり、モルテがビレイヤーをやる。そしてシエルハちゃんはキツネ姿でビレイヤーのモルテにくっついて登ることになる。まあ、これまでと一緒だな。従って、ティムちゃんとチームを組める人間がいない。だから彼女は必然、居残りとなるわけだ。もちろん、シエルハちゃんと組むことも出来なくはないが、二人が登るためにはクライミングギアが不足しているし、そもそも、即席のチームで断崖を登るのは危険である。


要するに、俺が当初計画通りの組み合わせで登ることにしたのだ。


「よし、アタック開始だ!」


「了解なのじゃ!」


「行きましょう!」


俺の掛け声に合わせてアタックメンバーの進撃が開始される。目の前に広がる沢山のコル窪み地帯を、クレバスに注意しながら30分程で乗り切ると、目の前には人類未踏峰の大氷壁、竜のアギトが迫った。


俺は凍りついた崖に手を添え、それからアイスバイルのハンマーでハーケンを試し打ちしてみる。


「つぅ! かなり固いな。これはビレイポイントを作るにもかなり体力がいるぞ?」


「高さは350メートルくらいじゃったな? 4、5時間で登りたいところじゃ。日中ならば気温も氷点下10度程度じゃが、夜になれば一気に30くらいにはなるそうじゃからな。ともかく、日暮れまでに登れなければ死ぬかもしれん。ビバークできれば良いが、そう都合の良いポイントが見つかるとは限らんしの?」


モルテはそう言いながらも、ビレイヤーとして氷壁に向かってアンカーを強烈に打ち込んでいる。氷の固さをもろともせず、深々と突き刺していた。彼女はそのアンカーにつながれたカラビナにロープを通し、自身を固定してから、クライマーの俺のハーネスにもロープを結んだ。それがしっかりと固定されたのを確認すると、最後にモルテ自身のハーネスにつながれているビレイデバイスにもロープを通す。


この間、わずか1分程度。俺たちは長年連れ添ったパートナーのごとく、流れるような手つきでロープやカラビナ、そのほかのクライミングギアを受け渡し、結着させながら登攀の準備をこなす。


「す、すごい速さです。協会でもそれくらいできる人はほとんどいませんよ・・・」


シエルハちゃんが感心してくれるが、これくらいは出来て当然のことだ。こうしている内にも冷気によって体温がどんどん奪われている。アイスクライミングは時間との勝負であり、登攀中に体力が尽きれば終わりだ。だから一秒たりとも無駄に出来ないのである。


「これくらい何でもないさ。それよりも竜のアギトで注意することをもう一度教えてくれ」


「何でも無い事では決してないのですが確かに今、話すことではないですね。えっと、それで竜のアギトですが、この辺りは飛行系モンスターが多数出現します。今のところ大丈夫のようですが、用心してください」


「登攀中、氷壁での戦闘が発生した場合はアイスハーケンを支点として戦わないといけないだろう。ハーケンなしに手を離せばその瞬間、グランドフォール《地表への落下》だ。また激しい行動はしない方が良いだろう。ハーケンが緩んで落ちてしまう可能性があるからな」


考えれば考えるほど無謀な登攀だ。これまで誰も成功させた事がないというのも、よく理解できる。だが、だからこそ。


「震えておるのか?」


「ああ、未踏峰にアタックできるなんて・・・まさに登山家の本懐だからな!」


「勇ましいのう。さすがわしのパートナーじゃ」


俺とモルテはニコニコと笑い合う。するとシエルハちゃんがジトっとした目で俺たちを見た。


「仲が宜しそうで何よりですねえ。ええ、何よりですとも。ささ、早く出発しましょう」


そう言ってドロン! とキツネの姿に化けると、モルテの首にマフラーの様にスルリと巻き付いた。


「シエルハちゃん、何かすねてないか?」


「ぐぐぐ、伝わらないこのもどかしさ! いいえ全然すねてなんかいませんとも!」


そうか?


俺は首を傾げながらも、両手にアイスバイルを持って、まず右手で最初の一撃を竜のアギトへと打ち込む。


ガッ! という音とともにピッケルが食い込む。


だが、氷が固いだけあって刺さりがやや浅い。自分の体重を支えられない程ではないが、かなりデリケートなハンマーコントロールが要求されるクライミングになりそうだ。


「これは難しいな」


「やれそうかの?」


「もちろんだ!」


そう言って俺は第2撃とばかりに左足のアイゼンを蹴り込んだ。


ガリッ! と氷壁を削る音が響いて、俺の体はアイスロックへ張り付く。


次に左のアックスを振るい、そうして最後に右足を蹴り込んだ。


その繰り返しによってアイスロックを登って行く。


1メートル、2メートル・・・10メートル、20メートルと登ったところで、ロープの長さがそろそろ限界を迎えそうになる。だいたい20メートルで1ピッチ。うまくいけば15ピッチで登れることになる。まあ、そう上手くは行かないだろうが。


俺は登っている間に目星をつけていた、氷壁から少しだけ突き出したわずかなテラス部分にたどり着くと、すぐにアンカーを打ち込んで自分をビレイ壁に固定する。


そうして、地上で待つモルテへと声をかけた。


「よし、上がってきていいぞ!」


「了解なのじゃ!」


モルテは俺の登ったルートをダブルアックスで綺麗になぞる様にして上がって来る。俺ほどの速さはないが、それでも彼女の体格からすれば信じられない速度だ。


10分とたたず同じ場所に立つと、俺が打ち付けたアンカーにロープを結び、ビレイをすぐに行う。この辺りの基本的な動作を正確に素早く出来るというのはモルテの登山家としての資質を感じさせるもので、実に見ていて好ましい。


「さすがモルテだな。ビレイも確実だし、登攀もとても綺麗だったぞ」


「コーイチローほどの速さはどうしても出んがのう」


「いやいや、お二人共本当にすごすぎますよ! 帰ったあかつきには是非ともその技術を私たちキツネ族にご教示ください。あっ、もちろん報酬はお支払いしますので」


それ程、大したことじゃないさと、俺は笑って答える。そんな風にお互いに短く軽口を叩き合ってから、俺たちはすぐに登攀を再開する。


やはり俺が先に登り、モルテはビレイヤーとして下でロープコントロールを行ってもらう。


「もっと張ってくれ!!」


「分かったのじゃ!」


若干、表層の氷がもろくなっている箇所があったので、俺は素早くハーケンを打ち込み、カラビナを引っ掛けてビレイポイントを構築する。そこにロープを通したので、モルテに向かってロープをピンと張るように指示をした。


こうしておけば、いざ滑落が発生したとしても大きな落下にならずに済む。


「くそ、ここは軽くオーバーハングしてるな。直登は・・・無理か。トラバースしよう。モルテ、緩めてくれ!」


「あいさー、なのじゃ!」


逆に岩が大きく反っている場所では、大きく左へと迂回を行うためにロープをやや緩めてもらう。きつく張りすぎていては安全の代わりに俺が自由に行動出来ないからだ。


こうしたクライマーとビレイヤーのコミュニケーションは、口に出して行うことが基本ではあるものの、結局は相性みたいなところがあり、阿吽の呼吸で行わなくてはならない。どれくらい緩めるのか、それとも張るのか、何秒間そうするのか、しないのか、といった微妙な部分は双方の感覚の中にしかないからだ。


だから、こうした危険な登攀をするともなれば、普通なら長年連れ添ったパートナーとでなければうまくいかない。


だが、俺とモルテは違った。


「すごい。息がピッタリ・・・」


「当然じゃろう。わしとコーイチローなのじゃぞ?」


俺が苦労してトラバースしている下で、幼女二人のやりとりが軽く耳に届いた。


それほどでもない・・・と言いたいところだが、こればかりは誇っても良いと思っている。俺たちの相性はぴったりだ。


モルテはコチラの意図を素早く察知して、俺がして欲しいロープコントロールをすぐに実践してくれるし、しばしば声を掛ける前に意図を察してくれることすらある。


「長年連れ添った夫婦でもこうは行かないに違いない」


「おい、コーイチローよ! 今、重要なことを口にしたのではないか? もう少し大きな声で述べよ!!」


「って、何で聞こえてるんだよ! 言ってない、言ってない!」


呟いただけなのに何で10メートル下にいるモルテに聞こえるんだよ。どんな耳してんだ?


まあ、ずれにしても前世で俺にはもちろん信頼できるパートナーなどいなかったし、単独行でクライミングをしていた。だから、はっきり言って、かなり危険で非効率な登攀をせざる得なかったのだ。


それが今世ではモルテのような美しい少女とパートナーを組める上に、相性もばっちりなのだから、これ以上の幸せはない。


まったく、モルテはまさに俺にとっての女神様といったところだ。いや、実際にそうなのだが。


と、そんな事を考えつつも、危なげなく左へのトラバースが完了し、アイスハーケンを打ち付けてビレイポイントを構築した。


そうして俺がホッとため息をついた、その時であった!


「コウイチローさん! モンスターです!! 」

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