第21話 幼馴染”が”ざまぁ


 マリーの手が、俺の頭を力強く押さえつける。まるで、できの悪い獣をしつけるかのように、だ。


 マリーは、聖母のような笑みを携えたままこう言った。


「そうだよ。全部アルの言う通り。だけど、それが悪いことなんて思わない」


「............?????」


 何を言っているのか、全く理解ができなかった。


 悪いことだと、思わない? 不倫が? こいつ、何を言っているんだ?


 思わず、マリーの顔をまじまじと見つめてしまう。

 マリーは微笑を絶やさず、女神に祈るように両手を組んでみせた。


「私、成人の儀の時、願ったの。アルと結婚したくないです、どうか助けてくださいって」


「............」


「最初は、そんな私にソニア様が天罰を与えて、パパをオオカミに襲わせたんだと思った......でも、違ったんだ」


 マリーは両手を組んだまま、青色の瞳をキラキラと輝かせて、天を見上げた。


「ソニア様は、村をオオカミに襲わせることで、私の元にウィンを遣わせてくれた。もう一度ウィンに会わせてくれた上、アルの手から逃れられるよう、『アルス・ノア』を与えてくれたんだよ」


 真っ白になった頭に、するするとマリーの言葉が入ってくる。


「この結末は、ソニア様が望んだことなんだよ。だから、私は許される......許されていないのは、むしろアルなんじゃない?」


「......なに、が」


「だって、性格最悪じゃん。わざわざ週刊誌買ってまで、人の不幸でざまぁって......ちょっと気持ち悪すぎない?」 


 嘲笑の後、ゴミを見る目で俺を見下す。


「それに、まだ他人ならいいけど、私たち相手にもざまぁしようとするんだもん。真っ当な男なら、自分がちょっと辛くても、それで幼馴染二人が幸せになれるなら、喜んで身を引くはずでしょ。なのに、私たちを不敬者扱いして、皆の前で辱めようとした......ほんと、最低のクズ」


 気づけば、マリーの手を振り払い、絶叫していた。


「何言ってんだテメェ!! テメェの方が悪いに決まってんだろ!!! 謝れよ!!!」


「私はウィンと結婚して、マイヤーになるんだよ。そしたら、どうなると思う?」


 俺の言葉など一切届いていないように、マリーは淡々と言う。声の調子とは裏腹に、その顔は悪意に歪んでいた。


「この村に重税をかけることだって、できるようになるんだよ」


「なっ」


 何を言い出してんだ、こいつ。


 思わず、村人たちの顔を見渡してしまう。皆、そのあまりに理不尽な言葉に、動揺どころか呆然としている。

 その姿を見ると、燃え盛る憤りの感情が、急速に鎮火していくのを感じた。


「......テメェ、ふざけるなよ。そんなこと、許されるわけねぇだろ」


「許す許さないは、貴族が決めるんだよ? 平民のアルが決めることじゃないから」


「............この、やろう」


 こいつに騙され、好きになってしまった愚かな自分が、憎くてたまらない。


 だが、これ以上呪いの言葉を吐いたところで、このイかれた女は反省の色一つ見せないだろう。


 それどころか逆恨みを募らせ、本当に村に重税を課すかもしれない。


 ......それで済むのか? 

 こいつの腰には、親父の剣がぶら下がっている。つまり、人狼を殺したように、いつでも俺たちをバラバラにできるんだ。自分の不貞を知る人間を、全員。


 そのつもりだからこそ、こいつは俺の血縁者の剣を装備しているんじゃないのか。


 こいつらへの復讐のために、自分が死ぬのは構わない。

 だけど、関係のない人間まで巻き込む覚悟は......できていない。


「やめろ、よ」


 絞り出した言葉は、あまりにか細く、情けないものだった。


「......うーん、どうしよっかな」


 マリーは人差し指を唇に当て、態とらしく思案する。

 そして、隣で立ち尽くしている二人の鬼に視線をやって、にこりと笑った。


「じゃあ、土下座して謝ってよ」


「......はっ?」


 土下座。鬼族の住む東洋の地で、謝罪するときに使われる仕草。


 跪いて、頭を地面に擦り付けて、相手に平伏する。中央大陸の人間から見ても、あまりに情けない姿。


「なんで、そんな、こと」


「当然でしょ? みんなの前で私を不倫女扱いして、私を傷つけようとしたんだから。そのくらいやってくれないと、許せないよ」


「............」


 ......なんだよ、それ。


 なんで、不倫され捨てられた俺が、不倫女に土下座するんだ? そんなの、どう考えてもおかしいだろうが。


 そうだろうと同意を求め皆を見る。途端、様々な感情を孕んだ矢のような視線に晒され、心臓が止まった。


 村人たちは、この異常な状況の中で、俺が土下座をしなくてはこの村が終わることだけは、はっきりと理解したようだ。


 視線は俺に向かって雄弁に語る。『土下座しろ』。


「......頼む、土下座してくれ!」


 視線、だけでは済まなかった。それを最初に口にしたのはスラーリオだった。それが皮切りになる。


「アル、土下座しろよ!!」


「お前のせいで、なんで俺たちが苦しまないといけないんだよ!!」


「ウィン様は私たちを助けてくれたんだよ!! 謝って!!」


 土下座を懇願する声から、俺が悪いと言わんばかりの言葉が、一斉に俺に降り注ぐ。


 心が裂けていく音がした。


 全身から力が抜け、立つこともできなくなって膝をつく。歓声の混じったどよめきが起きた。


 違う、土下座なんて、するつもりはない。今の俺にそんな理不尽が降りかかったら、俺は完全に壊れてしまう。


 俺は、息苦しさから天を仰いだ。マリーは、俺を見下している。

 その瞳に写る俺は、この世の全てに絶望していた。


 俺は、手のひらを地面についた。


 土下座すべきじゃない。そんな理不尽を一度受け入れてしまったら、取り返しがつかない。

 ......取り返しもなにも、俺にはもう、なにもない。

 この地獄のような世界で、これ以上顔を上げている方が、辛い。


「......ぐっ、ぐぐぐぐ」


 拒否する身体を、無理やり曲げると、喉の奥から嗚咽が漏れる。屈辱のあまり涙がこぼれると、赤い波紋が地面に広がった。


 そして俺は、地面に頭をこすり付けた。


「すみません、でした」


 死のう、と思った。


「......あーあ、情けない。ほんと、こんな男と結婚しなくてよかったぁ」

 

 今にも踊り出しそうな、マリーの声。


「性格以外も、最悪だしね。ウィンの身分証明ステータス見たけど、現在値も将来値も、アルボロ負けだったよ? 同じ男かって疑いたくなるくらい......ほんと、こんな男に抱かれそうになったなんて、それだけで気持ち悪い」


「私じゃなくたって、アルと結婚するの、みんな嫌に決まってるよ。でも、村のために、仕方なく結婚するんだろうなぁ......その娘、ほんとにかわいそう」


「そんな犠牲者が出ないために、貴族の私と約束してよ。アルみたいな何の価値もない男が誰かを好きになるたびに、アルは加害者になるんだ。だから、これから一生、誰も愛さないで、ね?」


 そして、マリーの高笑いが響いた。


「確かに、嫌いな人間相手にやったら、気持ちいいもんだね!」


 もう一度、今度は小さく笑ってから、マリーはこう言った。


「アル、ざまぁみろ」


 全身の皮が剥がれおち、激情が吹き出した。


 死ぬ。こいつを殺して、死んでやる。


「う”ああああああああ!!!!!!」


 叫び、立ち上がる。握った拳を振り上げて、マリーに殴りかかるのと、マリーが親父の剣を引き抜いたのは、ほぼ同時のことだった。


「っっっっっ!!!!」


 貫かれたような激痛。振り上げた拳が、勝手に下がる。見ると、腕がおかしな方向に曲がっていた。


 どうでもいい。左腕がやられたなら、右腕で。右腕がなくなったら噛み付いて殺してやる。


 前に一歩踏み出したところで、身体がガクンと落ちる。視線をやると、太股からも、だくだくと赤黒い血が流れ出していた。


 そのままバランスを崩して、倒れこむ。


「私にとってはなんの思い入れもないただのクズでも、ハンナさんにはとっては一人息子だから、このくらいで許してあげる......じゃあね、アル。もう一生、会うこともないだろうけど」


 芋虫のようにはってマリーの脚に噛みつこうとしたが、マリーは軽くかわして、そのまま踵を返した。


 そして、ウィンの元へ行くと、奴の腕に抱きつき......太陽のような笑顔でこう言った。


「ウィン、行こっか」


「......ああ、そうだね」


 ウィンはそう言うと、口笛を吹く。そして、上空から降り立ったグリフォンの背中に、二人して飛び乗った。


 高らかな鳴き声とともに、強い風が吹いた。今まさに、グリフォンが飛び立とうとしているのだ。


 ......待て。


「待て、待ってくれ」


 言うことを聞かない腕を持ち上げる。


 グリフォンの背に乗るマリーとウィンは、一度も俺の方に視線をやらなかった。

 まるで、俺のことなど、すでに忘れ去ってしまったかのようだった。


「待てよ!!!」


 血反吐とともに叫んだ時には、グリフォンは晴天に消えていった。

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