こうして人類は幕を閉じた

春夏あき

こうして人類は幕を閉じた

<木星観測基地>

 2218年3月14日、本日も木星観測基地に異常なし……っと。

 基地が設置された同時期に持ってこられたであろう古臭いパソコンに定型文を書き込み、俺は蓋をぱたりと閉じた。ここのところ、この基地では事件らしい事件は何も観測していなかった。いや、そんなもの起きるはずがないのだ。なんせ今の最前線は、第三銀河に所属するオルカー星のすぐ目の前なのだから。

 2217年8月5日、地球発第七銀河行きの豪華客船が、オルカー星の防衛装置によって撃墜された。オルカー側は公式に装置の誤作動であることを認めたが、地球はそれを許すことはできなかった。なんせその豪華客船には、地球と軍事同盟を結んでいるガラン星の次期星長の夫妻が乗っていたからだ。彼らは観光目的で地球を訪れていたが、その帰りに乗っていた船ごと撃墜されてしまったのだ。

 オルカー星と緊張状態にあったガラン星は、そのニュースを知るや否やすぐさまオルカーに対して宣戦布告をした。ガランと軍事同盟を結んでいた地球は、それに引きずられる形でこの戦争に参加したのだ。

 銀河をまたげるような技術力を持つ文明が三つ、そのどれも技術的な大差はない。ならば2対1で、オルカーが負けることは目に見えていた。オルカーにとって、この戦争はただの負け戦だった。現在もオルカーは惰性による抵抗を続けているが、既に戦力は開戦時の10分の1にまで減少してしまっている。星が落ちるのも秒読みとされていた。

 この観測所は、オルカーとの開戦時に地球周辺宙域に設置された。敵の船団を確認するためという大義名分はあったが、前線からは程遠く、現在は形ばかりの報告をしてしまえばあとは自由な時間を満喫できるという状態になっている。そもそもレーダー探知機が太陽系にうじゃうじゃ撒かれているのだから、人間による監視など必要ないのだ。こんな太陽系の片隅で椅子に坐っているよりは、前線で攻撃任務にでも就いていた方がましだ。血沸き肉躍る戦いも、ここでは遠い場所のものでしかない。

 椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。その後に向かうのは、もはや仕事部屋となっている娯楽室だ。地球から遠く離れた観測所には、規模の大小はあれど娯楽室が常備されている。そこにはマンガや小説を始めとして、ゲームや嗜好品などありとあらゆる娯楽物が置かれている。地球から遠く離れた場所で勤務する隊員のケアのための設備だ。補給は年に一度なので慎重に消費しなければならないが、俺の任期は戦争が終わるまでとなっている。そしてその戦争は、大方あと一カ月で終わると予想されている。それならこんな淋しい場所に、楽しみを残しておく必要もないだろう。

 合金で板張りされた無機質な廊下を歩き、建付けの悪いドアを苦労して開けば、そこは見慣れた娯楽室だ。そこここに楽しげなものが置かれ、いつ来ても飽きることは無い。

 勝手知ったように部屋に入り、壁に据え付けられた棚からお気に入りの小説を一冊取り出そうとした。しかし俺が本の背に指を掛けた瞬間、観測所内に大きなサイレン音が響き渡った。聞く者を不安にさせる不協和音の連なりは、この観測所が何かしらの異常を観測したということに他ならない。

 俺は舌打ちをして本から手を放し、今来た道を急いで戻った。

 先ほどまで坐っていた椅子に坐り直し、目の前の操作盤をガチャガチャと叩く。見上げるほどの大きさのモニターに様々なデータが表示され、次の瞬間には消えてしまう。下手をすれば溺れてしまいそうなほどに膨大な情報の奔流を、俺は必死になって移動していた。

 やがて俺はお目当てのデータを探し当てた。そのデータはある宇宙空間における空間曲率を測定するもので、これは主に宇宙船のワープ航路を決定するために使われている。そもそもワープというものは、空間を捻じ曲げることで成立している。A地点からB地点に行く最短経路とは、二地点を直線で結んだものではなく、二地点が書かれた紙、つまり空間を折り曲げて、二地点を直接密着させてやればいいのだ。これだけ聞くと簡単そうに思えるが、それはこれが机上で行われた時のみだ。実際の三次元空間を捻じ曲げるには、俺には想像もつかないような技術とエネルギーを必要とする。故に宇宙船がワープをひとたび使えば、その出入り口にはワープを使ったという空間の歪みが発生する。それを測定して視覚的に表示することで、他の宇宙船に干渉しないような最適な航路を取ることができるのだ。

 しかしこのデータが必要になってくるのは、空間を宇宙船が縦横無尽に飛び回る交通の要所のみなのだ。こんな太陽系の外れの、木星に来るもの好きなんてよっぽどいない。精々年に一、二回、太陽系外に住む人たちのために輸送船が通るくらいだ。

 にもかかわらず、俺の目の前に表示されているデータには、宇宙船がワープをしたと言うことを示す赤い線が何本も引かれていた。その総数は数えることができない。まるで荒い刷毛にペンキをつけて、それでモニターに落書きをしたような量だ。それらは太陽系外8光年の位置に存在し、その線の延長線上には紛れもなく地球が存在していた。

 突如、モニターの真横に付いている電話が鳴った。表示されたデータをぼんやりと眺めて俺は、突然の呼び出し音に身体をびくっと震わせた。こんな時ににいったい何の用だよと、悪態をつきながら受話器を取った。



「もしもし、こちら木星観測基地──」

「おい、それどころじゃない!お前の基地でも、空間曲率のデータは観測できたか!?」



 相手は地球で働いている友人だった。彼はかなり焦っているようで、俺が電話に出た途端早口でまくし立てるように質問を訊いてきた。



「あぁ、確かに俺のところでもそのデータは観測できたよ。その言い方だと、他の基地でも観測されたのか?」

「それがそうなんだよ。いいか?よく聞いてくれ。今オルカー前線基地から、オルカーが陥落したことが速報で告げられた。しかしそれと同時に、オルカーの一部勢力が、軍のリソースを全て使って宇宙のどこかにワープをしたということも告げられた。始めはただ逃げたのかと思われたがそうじゃない。奴らはどうせ負けるならと、地球に最後の一矢を報いようとしているんだ」

「じゃあ今、俺が観測したこのデータは……」

「オルカーの軍の艦隊だろうな。奴らはかなり急いでワープをしたから出現座標は多少ずれているが、きっと今も全速力で地球に向かってきているに違いない。今地球政府が所有する戦力の80%はオルカー周辺宙域にいるから、もし奴らが地球に到達したら大打撃になるぞ」

「それは大変じゃないか!軍は何をしているんだ!?」

「今ガラン側に事情を説明して、方向転換をして急いで地球に向かっている最中だ。生憎こんな反撃を予想していなかったから、次元エンジンに火は入っていなからしい。今からどれだけ急いだとしても、ワープシックスで二十三日はかかる。オルカーの残党にどれだけの戦力が残っているかはわからんが、彼らの軍艦の平均推力から計算するに、少なくとも丸々一日は残存戦力で耐えなければならない」

「一日だと……?だって今、地球に残っているのは──」

「治安維持のための警備隊と、宇宙空間での雑務をこなす部署くらいだな。少なくとも、軍艦とまともにやりあえば勝ち目はない。……しかし、我々に残された道はそれしかないのだ。俺は今から対策のための緊急会議に参加しなけらばならない。お前はとりあえず、何でもいいからデータを集めて送ってくれ」

「ちょっと待ってくれよ!俺はいつ脱出すればいいんだよ」

「追って連絡する。それじゃ、頼んだぞ」



 ぶつっという嫌な音を最後に、電話は声を発しなくなった。俺は受話器を元に戻し、茫然としたまなざしでモニターを眺めるしかなかった。

 オルカー艦隊の赤い線が、こうしている間にも、じわじわと地球に近づいているような気がした。



<地球政府本部 第七会議室>

「……と、いう訳だ」



 とんでもない話を聞いてしまったというのが、僕の第一印象だった。僕は先程まで、軍倉庫の備蓄品を確認していた。軍の主力部隊が全て戦争に行ってしまった状況は、整理長を務めている僕にとってかなり都合がよかったのだ。この機会にと倉庫を開け放し、様々な備品の在庫点検をしていたのに、突然秘書から連絡が来たのだ。そこにはオルカーによる地球侵略の可能性が示唆されており、慌てて太陽系の随所にある観測基地に連絡を取ったところ、オルカー艦隊がワープしたという事実の裏付けが取れた。その事実はすぐさま政府に報告され、緊急の会議が開かれることとなったのだ。 

 長官の話が終わると、会議室に集まっている皆は俯いて黙りこくってしまった。無理もない。なにせ地球に残っている戦力は微々たるものなのに、少なくとも一日間は、それでオルカーの残党兵とやりあわなければならないからだ。

 残党兵と言っても弱いわけではない。彼らは負けるくらいならと母星を明け渡し、ありったけの戦力と共に太陽系外にワープをしてきた。その戦力は優に戦艦100隻を超える。そのどれもが宇宙戦用の最新鋭の装備を保持しているから、正面から挑もうものなら一瞬で融かされるだろう。また地球軍にとって、彼らの脅威は装備の強力さだけではなかった。彼らには帰るべき場所が無いのだ。窮鼠猫を嚙むということわざがあり、背水の陣という故事成語があるように、間近に危機を抱えた者ほど恐ろしいものは無い。きっと彼らは後には引けぬと、死に物狂いで攻撃を仕掛けてくるだろう。



「我々としても、敵に攻撃されているのを指をくわえてみているわけにもいかない。味方が地球に到着するまでの23日間、我々は何としてでも連中の攻撃を耐えなければならない。

幸いにもオルカーの奴らは、星への攻撃のさなかにワープを開始したから、航路の計算ができなかったようでずれた座標に出現している。地球近辺で静止して陣形を築くことを考えれば、移動にそこまで速度は出せないはずだ。スーパーコンピュータに計算をさせた所、連中が地球に到達するまでには22日はかかるということだ」

「ということは、私達はたった一日だけ奴らの攻撃をしのげばいいんだ」



 先ほどまで暗く沈んでいた官僚の一人が、少しばかり希望を取り戻した顔で言った。しかし現実はそう甘くはない。



「一日だけといっても24時間もある。その間に地球に一発でもミサイルを撃ち込まれたら我々の負けだ。多段連装ミサイル、各種誘導ミサイル程度なら残存戦力でさばけるかもしれないが、マントル貫通弾や惑星間弾道ミサイルを使われたらもう終わりだ。特殊兵装を防御できるプラズマ防御膜展開艦は、全て前線に出てしまっている」

「そうか……」

「それに問題は大型兵装だけではない。現在我々に残されている戦力は微々たるもので、大半は戦闘を作戦の目的としない班ばかりだ。兵士たちも戦闘には馴れていない。普通に撃ち合おうとしても、隕火弾を撃ち込まれて終わりだろう。

……皆にこうして集まってもらったのは、奴らへの対抗手段を考えるためだ。どんな意見でも案でもいいから、どんどん言ってくれ」



 明るい顔をした官僚は、長官の言葉にぐったりとうなだれた。それは周りの官僚たちも同じことだった。

 しかし人類への危機が刻一刻と迫っている以上、あまり落ち込んでいる暇もなかった。今はとにかくアイデアを出し合うしかないのだ。官僚たちはカバンをあさって資料を取り出し、傍に控えている秘書から連絡を受け取り、次々に状況を打破するための作戦を提案していった。



「現在地球上に残っているすべての宇宙船に自動操縦装置を取り付けて、ありったけの爆弾を詰め込んで敵艦に自爆特攻させるという案がある」

「そんなんじゃだめだ。軽攻撃ならそれで防げるだろうが、重攻撃はそのまま貫通されてしまう。それに宇宙船の船体に傷をつけるほど接近できるとは思えない。きっと付近3kmに入って時点で、警戒網に引っかかって撃ち落されるだろう」

「地球移動作戦はどうだ?これは残存しているブースターエンジンを全て使って、地球の軌道を変更してしまうというものだ。軌道が変われば回転周期も変わるから、一日程度なら敵の計算に狂いを生じさせられるかもしれない」

「地球表面に住んでいる一般人はどうするんだ。ハビタブルゾーンから少しでも遠近どちらかに離れれば、地表面は地獄のような環境に変化するぞ。仮にゾーンからずれなかったとしても、地球の軌道変化に伴う長期的観点からの自然環境への影響は未知数だ。地磁気や大気の微細な変化が、地表面での生物の絶滅を引き起こす可能性だってあるんだ」

「今から全リソースを使って宇宙船を製造し、民間人から兵士を募集して対抗するというのは?」

「22日で製造できる宇宙船の数なんてたかが知れてるし、それだけの機関で戦える兵士を養成できるとは思えない。それに特殊兵装を使わせないようにするためには、地球からある程度離れた場所で戦わなければならない。その地点に到達するのにも時間がかかるから、その案はダメだろう」

「いっそのこと、地球をあきらめるというのはどうだ?戦闘用の宇宙船は出払っているが、輸送用の宇宙船や作業船は沢山残っている。それに一般人を詰め込んで、ピストン輸送で火星にでも送ろう」

「現在地球上には120億を超える人間がいる。いくら宇宙船に数があると言えども、たったの22日で全員を輸送できるとは思えない。それにそれを実行したとして、必ず優先順位による暴動がおこるだろう」



 官僚たちが持ち寄ったアイデアはことごとく否定され、会議室は今度こそ黙り込んでしまった。対抗策を考えようと、アイデアを出せば出す程今考えていることの実現可能性が無くなってゆく。一日耐えれば友軍が到着するが、その一日を耐えることが不可能なのだ。我々人類はたった一日だけ、地球が自転で一回転するだけの時間に耐え切れずに、ここまで連連と受け継いできた歴史を手放してしまうのだ。今、会議室の中には、やり場のない大いなる感情が渦巻いていた。

 その時だった。何か他の案は無いかと必死に書類をあさっていた僕のポケットから、聞きなれた携帯の着信音が流れ出した。うんうん唸っていた官僚たちはいっせいにこちらを向いたが、どこかからの連絡だろうと納得して再び唸ることに戻っていった。

 手に持っている書類を机に置き、ポケットから携帯を取り出す。画面を開くとそこに表示されていたのは、木星でデータ観測をしているはずの友人の名前だった。この忙しい時になぜと思いながらも、僕は再生ボタンを押して携帯を耳に押し当てた。



「……ぁ、あー、もしもし、聞こえているか?」

「もしもし、聞こえてるよ。この忙しい時にいったいなんだって言うんだ?いっとくが救助の余裕はないぞ。連中の目標はあくまで地球だから、木星の小さな観測所なんて見逃してくれるだろう」

「そうじゃない、お前に協力したくて電話をしてるんだ」



 「協力」という言葉に、僕は思わず携帯を握る手に力をこめた。地球の最高峰の頭脳をもってしてでも、未だ効果的な案は出ていないのだ。今はもう、誰でもいいから何かしらアイデアが欲しかった。



「何か思いついたっていうのか?是非聞かせてくれよ」

「勿論だ。あれは確か、俺が小学生の時のことだった。学校の昼休みに掃除をしていた俺は、ふざけて箒を振り回していて、ロッカーの上に置いてあった小さな花瓶を落としてしまったんだ。当たり前だが花瓶は落ちて割れた。その時大きな音がしたから、きっと教師が様子を見に来るだろうって思ったんだ」

「君の失敗談が、いったいなんだって言うんだ?」

「まぁそう焦るな。……それでな、俺は周りにいる一緒にふざけていた奴らと証拠隠滅を図ったんだ。幸い花瓶はいくつかの大きなパーツに分かれる程度に割れていたから、それらを元の形になるようにテープで止めた。その当時の俺達に脳は無かったから、テープは外側に貼った。一応の応急処置は終わったが、その花瓶はところどころが歪んでいて、おまけにテープがべたべたに張り付いていた。少なくとも近くで見たら、それが割れているということは明白にわかる状態だった。

何とか元の形になるように直したそれをロッカーの上に置いた時、教師が教室に入ってきた。そいつは「今の音は何」と聞いてきたが、俺達は勿論「なんでもない」と答えた。教師はそのとき教室の前側に立っていて、丁度ロッカーのある場所とは真反対だった。だから花瓶の様子がよく見えなかったのか、形だけで割れていないと判断して、結局その時はそのまま帰って行った。最終的にはバレてこっぴどく怒られたんだが、少なくとも時間稼ぎはできたというわけだ」

「……それで終わりか?君の昔話は面白かったが、それと地球の現状にどういう関係があるんだ?」

「まだわからないか?今お前が考えている地球を守る方法と言うのは、なにも継続的に守れという訳ではないだろ。友軍が到着するまでの、期限のある限定的な防御だ。つまり敵を殲滅せずとも、敵が到着する時間を遅らせればいいわけだ」

「……」

「つまりお前は、俺がやったことの逆をやればいいんだ。俺は壊れた花瓶を直ったように見せかけたが、お前は健在する地球を壊れたように見せかければいい。近くで見れば不格好でも、遠くから見れば自然に見える。そうすればオルカーの連中は、何事かと攻撃の手を止めるだろう」



 まさに逆転の発想だった。僕たちは今まで、いかにして地球を守るかということを考えていた。ところが彼は、いかにして地球を壊すかということを考えていたのだ。

 その時僕の頭の中にある情報と、彼が考え出したアイデアはまるでパズルのピースのようにぴたりとかみ合った。この方法ならいけるかもしれない。いや、他に方法が無いのだから、この方法を通すしかないのだ。

 電話口で「聞いてるのか?」という声を聞いたが、僕はあとでかけなおすとだけ断って電話を切った。携帯を机の上に置く。傍に立っている秘書に、倉庫からあるものを取ってくるように伝えた。秘書が部屋から出て行ったことを確認すると、僕は部屋にいる全員に向かって「皆さん」と言った。



「作戦を一つ思いつきました。発言してもよろしいですか」

「今はどんなアイデアでも欲しいんだ。是非喋ってくれ」

「私は今、木星の観測基地にいる友人から話を聞きました。それはちょうど、こんな話でした」



 僕は会議室にいる全員に、先ほど友人からされた話をしてみせた。始めのうちは懐疑的な顔を見せていた官僚たちも、僕が結論を言うと、表情を改めてくれた。  

 しかし大部分の官僚たちは、それだけではまだ難しい顔をしていた。



「しかしだね、花瓶は小さいから何とかなったかもしれないが、地球は規模が大きいよ。それにその話は、壊れているからどうにかなったんだろう?無事なものを壊れたように見せるというのは無理じゃないか?割れてない花瓶が床に転がっているだけじゃ、それは壊れているようには見えないだろう」

「それに関しては、僕に考えがあります」



 その時丁度、秘書が言っていたものを持って来てくれた。僕はそれを秘書から受け取り、皆がよく見えるように頭上に掲げた。



「……それはいったい?」

「これは遮蔽布です。宇宙空間で起きた事故の応急処置の為に開発された特殊な布で、厚さは約一ミリメートル、重さは単位面積当たり100グラム程です。この布最大の特徴は、こんなに薄いのにもかかわらず、宇宙を飛び交う様々な脅威から人間を守ってくれるという点です。船体に穴が開くような事故が起きた時、応急処置としてこの布を被せておけば、宇宙放射線や紫外線、絶対零度から一万度までの熱など、様々な脅威を表面で反射して防いでくれます。そしてその反射するものの中には、光も含まれています」



 会議室内は驚くほどに静まり返っている。皆息を忘れたように話を聞き、僕のことを真剣なまなざしで見つめている。



「地球の半径を6400kmとすると、地球の投影面積は約1.29×10^8km²となります。これは今から工場をフル稼働させれば、在庫分も合わせてこの布で十分にカバーできる面積です。オルカー船団の展開半径を考慮したとしても、奴らの攻撃開始距離では恐らくこれの5倍まではいかないでしょう。

私が提案する作戦とは、地球と奴らとの間にこの布で幕を作り、地球からの反射光を消してしまおうというものです。太陽というスポットライトを浴びている地球と、オルカーという観客との間に、遮蔽布という幕を下ろすのです。そうすれば彼らには宇宙空間から突如地球が消えたように見え、進撃の手を止めるでしょう」



 僕が話を終えて椅子に坐っても、会議室内には沈黙が漂っていた。だがしかし、その沈黙はかつての沈黙と同じではなかった。アイデアは出尽くし、もはや敵にされるがままになるしかなかった人類。我々は今、遮蔽布という新たな武器を手に入れた。会議室内には、先ほどとはまったく別種の、大いなる感情が満ち始めていた。

 その後僕のアイデアは、会議室にいた官僚たちによってブラッシュアップされていった。地球の公転を考慮して、布自体を公転スピードと同速度のロケットで引っ張ることを考え、背景の星の輝きを再現するために、世界最高峰の明るさを誇るライトを布の中に編み込むということが決まった。また、布をどの工場で生産するのか、作った布はどのように宇宙空間に持っていくのか、布を縫い合わせるにはどのような方法をとるのかといった、細かい点についても十分に突き詰められていった。やがて夜が明ける頃、作戦の全貌が決まり、「閉幕作戦」と名付けられたそれはすぐさま世界各国に知らされた。

 知らされた直後は世界中で様々な反発があった。布程度で敵の攻撃を防げるのか、もし敵がそれで止まらなかったら、無駄になってしまうではないか、と。事実一部富裕層の中には既に自家用ロケットを使い、火星に逃げようとする者もいた。しかし世界中の人間を救うには、これしか方法が無いのだ。会議で出尽くした様々な案を説明しなおし、そのうえで新たな作戦が募集されたが、閉幕計画に見合うほどの作戦は現れず、反発していた人々も渋々この作戦を実行することを了承した。

 世界各国の繊維工場は世界政府によって管理され、何を作っていた工場であろうが、遮蔽布を作ることにおいてのみ操業が認められた。また民間人の間でも、閉幕計画を成功させようという意識が高まり、世界中の技術を持つ者たちが、遮蔽布を手作業で作り始めた。たかが手作業と言っても、世界中の人間が作業をするのだ。その母数は桁違いだった。最終的に手作業で作られた遮蔽布は、工場で作られた布の総面積の約10分の1程度まで大きくなっていた。

 そのようにして作られた布は、一枚の大きな長方形に加工された後、国の宇宙港に集められ大型輸送ロケットによって宇宙に運ばれていった。大型輸送ロケットは宇宙空間の指定座標に到着すると、そこで布を公転スピードで牽引するためのロケットに預けた。公転スピードで引っ張られている布は、地球と並走しながら世界中から打ち上げられた幾枚もの布と縫い合わされ、地球の片側を覆う大きさに広がった。そうして最後の一枚が縫われた時、地球の片側は布で完全に覆われた。その方向から地球を見ようとすれば、そこには漆黒の暗闇と、ライトによって作られた人工の星の明かりが見えるだけだろう。閉幕作戦は準備を終えた。いよいよあとは、オルカーが攻撃を止めるのを祈るだけだった。



<オルカー軍 戦艦第87号 中央艦橋管制室>

「航海は順調か?」

「順調です。このペースで進み続ければ、明日の同時刻には攻撃限界距離に到着できると思われます」



 艦橋で前方を監視していた私は、背後から投げかけられた艦長の問いに対して口元のかぎ爪を震わせながら応えた。

 実際、航海は全てにおいて順調だった。これが最後の抵抗であるということを除けば、大成功に近い進行だ。敵の攻撃網の隙間を突き、手薄になった本部を全力で叩きのめす。軍人として、これほど喜ばしいことはないだろう。

 艦長は口からシューッと音を立てて息を吐き、上半身に生えている三対の腕のうち二対を使って腕組みをした。表情は相変わらず険しい。その険しさは350年の人生の中で培ってきたものではなく、ここ数日の出来事によって新たに刻まれたものだった。

 きっかけはほんの些細なことだった。我々の母星であるオルカーの周辺宙域に張り巡らされていた防衛装置が、誤作動を起こしてたまたま近場を飛行していた地球の船を撃ち落としてしまったのだ。地球と我々は、仲が良いとは言わずとも中立的な立場を保っていた。故にこの事故も、多額の賠償金で片が付くと思われていた。しかし我々にとって最も不運だったことは、撃ち落とされた船は豪華客船で、その中には我々と敵対しているガラン星の次期星長が乗っていたということだった。ガラン星はこの事故をきっかけに我々に対して宣戦布告をしてきた。そしてガランと軍事同盟を結んでいた地球も、同時期に宣戦布告をしてきたのだ。

 この戦争がもし、オルカーに古くから伝わる競技によるものだったなら、我々は二対一でも決して負けなかっただろう。どっしりとした重心の低い身体に、巨躯を支える四本の太い足。上半身についた三対六本の腕は自由自在に動き、相手の死角からの攻撃を可能にする。どうやら地球に生息している「エビ」とやらに姿形が似ている我々にとって、地球人やガラン人のような、ひょろりと細い身体や二本ずつの手足を持つだけの生物などおそるるに足らない存在なのだ。

 しかし残念なことにこの戦いは宇宙戦争だ。我々はガランと同等かそれ以上の技術力を誇ってはいたが、同じ程度の技術力を持つ地球が参戦してくれば話は変わる。始め優勢だった我々は、地球軍の前線への到着を境に、徐々に劣勢に追い込まれていった。そしてとうとう星への直接攻撃が始まろうかというとき、我々は一世一代の勝負に出た。オルカーに多数の一般人を残したまま、軍の残ったリソース全てを使って地球のすぐそばにワープしたのである。地球の所属している第一銀河は、ガランの所属する第七銀河と遠く離れている。故に一度地球を攻め落とし、そこで力を蓄えてからガランに再挑戦しようというのが軍の作戦だった。

 計画は半分成功した。今まさに攻め入ろうとしている敵軍の目を欺き、地球の近くにワープすることに成功したのだ。攻撃のさなかにワープを決行した為、生憎座標はずれてしまっている。しかしそれでも、全速力で地球に向かえば問題は無い。地球軍とガラン軍が追いつくまでには地球に到着することだろう。



「兵装の準備はできているか?地球時間で一日あるとはいえ、決して油断できる時間ではない。地球を攻撃して壊滅させたのち、速やかに資源を奪って逃げ伸びる必要があるからな」



 艦長は心配そうに訊いた。実を言うと、この質問は航海が始まってから五回は訊かれていた。特にワープが終わってからは、このほかにも様々な心配をする質問があった。幾度となく戦争を経験してきた艦長であろうと、今の状況は耐え難いものがあるのだろう。それは自分を含めた全兵士に同じことが言え、質問を訊かれるたび、私は自分自身にも言い聞かせるように落ち着いて返答していた。



「大丈夫です、艦長。現在我々は、合図とともに3ネルロ以内に攻撃配置につくことができます。資源回収用の小型船の整備も完璧で、鉄や金などの金属の他、単純な岩石などの質量資源まで、有益なものは一つ残らず回収することができるでしょう。

兵装につきましては、現在全戦艦の主砲の発射準備が完了しています。マントル貫通弾や惑星間弾道ミサイルは既定の艦に運び込まれており、いつでも指示一つで射撃が可能です。事前の調べにより、オルカー周辺宙域に、現在地球軍が所有しているプラズマ防御膜展開艦はすべて確認できていました。故に我々は、ただ無造作に兵器を打ち込むだけでいいのです。保険として、先頭の艦5隻にはプラズマ防御膜を中和するための空間極低温化装置を取り付けてあります。これらの船は無人で動かすことも可能ですから、最悪の場合、戦艦を捨てる覚悟で突っ込ませることもできます」

「そうか、それなら大丈夫そうだな……」



 艦長はそう言い、先ほどまでクシャクシャと動かしていたかぎ爪の動きを止めた。そして少し白色が混じったビーズのような目で、管制室前方に広がる広大な宇宙空間を眺め出した。

 宇宙とは不思議な存在だ。我々は皆、宇宙から生まれた。道端の石も、この宇宙船を構成している超合金の原料も、我々自身も、地球人やガラン人も、皆は平等に宇宙から生まれてきた。いわば宇宙とは万物の母だ。しかし母の懐は、ただ温かいだけではない。生物が何の対策もせずに生身でそこに飛び込めば、数秒と経たずにその命を散らすだろう。母は我が子を守るため、子供が別の子供を傷つけたりしないために、子供に対して様々な制約を科している。それは細胞を貫きDNAをバラバラに壊す放射線だったり、身体を内部から破壊するような圧力だったり、心臓が焼け、脳が凍るような温度だったりした。にもかかわらず、子供たちは皆、懸命に宇宙に進出しようとする。それは知的好奇心でも何でもない。ただ純粋に、自らの母である宇宙に帰りたいという本能なのだ。

 艦長の目にはいったい何が映っているのだろうか。周囲に輝く星だろうか、宇宙船を取り囲む真空と絶対零度の空間だろうか、それとも、明日には攻撃を開始する、地球という惑星だろうか。

 私は艦長に思いをはせながら、艦隊の進行航路に問題が無いか今一度確認しようと思った。そして目線を手元に戻し、幾つかのキーをぽんぽんと叩いて航路を呼び出した。宇宙は常に一定ではない。重力が無い空間の為、上下左右どこからでも隕石が飛んでくるし、星たちもじっとせず常に動き回っている。故に宇宙における航路とは、紙に記された固定されたものではなく、リアルタイムで望遠鏡を使って宙域を監視し、常に最新の情報を更新され続けるものであった。

 私はデジタル定規とタッチペンを取り出した。そして表示された地図に、地球と艦隊を直線で結んだ航路を描こうとして……手の動きを止めた。



「……」



 もう一度確認しよう。私たちの目標物は地球だ。そして今、私達の艦隊が艦首を向けて進行している方向は、攻撃限界距離に着いた時、地球が丁度公転周期による影響で我々の真正面に来る方向だ。そう、確かにそうなのだ。少なくとも少し前までは、地図上に攻撃目標である地球が表示されていた。しかし今、私の目の前に置かれているモニターの地図には、地球は影も形も見えなくなっていた。



「か、艦長……」



 私は怯えた声を出しながら、艦長を呼んだ。艦長は億劫そうに目線をこちらに向けたが、表示されている地図を一目見るとすぐさま真面目な態度に戻った。



「これはどういうことだ?地図上に地球が表示されていないではないか」

「そうなんです。先ほど航路の再確認をしようと地図を更新したところ、地球が確認できなくなりました。少し前までは見えていたので、こんなことが起きるはずないのですが……」



 艦長はすぐさま部屋の隅へ走り、壁に取り付けられている艦内電話を手に取った。ぶるぶると震えた指で番号を押し、相手がもしもしと言うや否や、電話口に怒鳴るようにして喋り出した。



「観測班か!?大至急、天体望遠鏡を起動させて地球を観測してみてくれ!」



 観測班は懐疑的な返事をした。いくら艦長と言えども、このような不可解な指令は受け入れがたかったのだろう。しかし少し時間がたった後、今度は観測班の方から怒鳴るような泣きわめくような声で、驚くような返事があった。



「艦長大変です!たったいま地球を観測しようとしたところ、以前地球のあった場所に地球は存在していませんでした。現在地球が公転しているであろう箇所を計算で特定して観測してみましたが、そこにあるのは星の輝きだけでした。以前には見受けられなかった配置だったので、恐らく地球に隠れていて見えなかった星でしょう!」



 艦長は観測班に対し、「すぐに他の艦の観測班にも伝えろ。我が艦の故障ということも考えられる」とだけ伝えて電話を切った。艦長はおぼつかない足取りでよろよろ部屋を歩き、私の真横にある長椅子にどっかりと腰を降ろした。

 艦長も既に気付いているのだろう。これが故障でも何でもなく、地球が消えたという事実に他ならないということに。我が艦は戦争が始まった初期に作られた、この艦隊の中でも最も新しい艦のグループに含まれる船だ。それに観測用の天体望遠鏡も、地球へのワープが決まる前に取り換えたばかりで、故障の余地などどこにもないのだ。

 案の定そのあとすぐに、艦内ネットワークを通じて地球が消えてしまったということが事実であることが確認された。私はそのことを艦長に伝えたが、艦長はもはや何も言わず、ただ黙って一度きりうなずいただけだった。



「……なぁ」



 しばらく経ってから、先程よりも老けを感じさせる声で艦長は言った。



「はい」

「地球人は、我々と同じ程度の技術力を持っていたはずだよな」

「そのはずです。少なくとも以前地球に招かれた視察団は、最終的にそのような判断を下しました」

「なのに今、地球という超質量を持った一つの物体が消えてしまった。周辺宙域をしらみつぶしに観測したが、それらしい影も見つからない。……彼らは密かに、量子テレポーテーションの技術を開発していたんだろうか」

「わかりません。でも確かに、地球の技術力はそこまで高くないはずなのです。量子テレポーテーションには、量子レベルのミクロにおける超精密な操作精度、そして構成部品を一から百までスキャンできる観測技術が必要なはずです。それは最早三次元で実現するには難しく、軍の研究所では、四次元空間を使ってのテレポーテーションが実験されていました」



 艦長はいつの間にか目を閉じていた。瞼に刻まれたしわは深く、彼の人生における苦難の大きさを表しているようだ。



「我々は確かに、技術的に見れば地球より上にいたはずです。にもかかわらず、地球はオルカーがこれまでどんなに苦労してもなしえなかった量子テレポーテーションを、わずかな期間で完成させたのでしょうか。それとも本当に、地球でシンギュラリティが達成されたとでも──」

「もういい」



 締め付けられた喉から、絞り出すようにして声が放たれた。



「彼らの技術がどうであろうと、地球が消えたというのは事実だ。攻撃目標を失った今、帰る場所が無い我々にとってそれは生きる意味を失ったことと同義だ。もう、どうでもいいんだ」



 艦隊は緊急会議の後、急停止し、艦首の方向を180度転換させた。そして我々は地球のあった宙域を背にし、目的地のない航海へと乗り出していった。母星を無くし、生きる意味を無くし、守るべきものまで無くしてしまった我々にとって、安息の場所はもう、母親の手の内にしかないのだった。



<地球>

 いよいよだ。

 あくる日の深夜。刺すような寒気を無視しながら、僕は戸外に立って空を見上げていた。横には官僚たちが立ち並び、向かいの宿舎でも職員が上を向いて佇んでいる。恐らくこの瞬間、世界中の人間が空を、そしてその向こうに広がる宇宙を眺めているのだろう。

 閉幕作戦は決行された。世界中で生産された遮蔽布は全てが宇宙に運び込まれ、地球が反射している太陽光線を一筋も逃さないよう互いに結び付けられた。今こうしている間も、公転スピードと同じ速度で宇宙を旅している。

 やれるだけのことはやったのだ。あと我々にできることは、ただ信じて待つことだけだ。

 我々は皆、空を見上げてただひたすらに待ち続けた。時間は遅すぎるぐらいにゆっくり進み続け、星々は焦らすようにじわじわと進んでいく。それでも時が流れていることに変わりはなく、やがて月が我々の真上に上がる頃、時計の針が12時を指した。予定されていた攻撃開始時刻だ。もし作戦が失敗しているなら、現在オルカーの艦隊は攻撃限界距離に到着し、地球に向けて様々な兵器を打ち込んでいるはずだ。

 人びとは固唾をのみ空を見上げながら、太陽系各所に設置されている観測所からの速報を待ち続けた。

 ポケットにしまっていた携帯が短く、しかし確かな動きで、観測所からの速報を受信した。僕を含めた周りの人々は皆、震える手で携帯を開き、観測所が送ってきたデータを確認した。

 そこには無機質な電子文字でただ一言だけ、「敵影確認できず」と記されていた。

 事実を確認するや否や、そこここで大歓声が轟いた。作戦は成功した。オルカーがこの現象をどうとらえたのかは不明だが、少なくとも地球が消えてしまったという誤認をし、地球への攻撃をあきらめてしまったのだ。我々は勝った。大艦隊を携えるオルカーに、布切れしか持たない地球が勝ったのだ。

 あちこちで人々が抱き合っている。胴上げをしている人たちもいれば、泣きながら笑っている人たちもいた。それは僕も例外ではなく、同僚から「お前のお陰だ」と言われながら抱き着かれ、それですっかり泣きそうになってしまった。それでも僕は、友人のことが忘れられずに、がくがくと身体を揺さぶられながらも、今なお木星にいるはずの友人に思いをはせるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こうして人類は幕を閉じた 春夏あき @Motoshiha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ