15-3

「強化魔法は、使える術者が少ないのが難点だよね~。いやーでも欲しいなあ、あのまほ――うおっ⁉」

 青年が声を上げ首を反らせた。また飛び道具が繰り出されたのだ。青年を頬を掠めるように飛んで来た短剣が、木に突き刺さっている。エミルが舌打ちするのが聞こえた。

「ひえ~怖い、怖い。……さて、そろそろ良い頃合いかな」

 青年が真剣な声になる。エメが見上げると、青年の赤みがかった黒色の瞳が自信を湛えてエメを見つめた。

「坊ちゃん、樹の声に耳を傾けてみて」

 一瞬だけ考えを逡巡させたあと、エメは静かに目を閉じた。大樹の葉が揺らめく。青年が背に当てた手が優しい温もりをエメに注ぐ。コロン、と鈴の鳴る音がした。戦場の喧騒が遠のいていく。風の音だけが耳の奥で響いていた。

「きみには、この場にいる仲間を助けるだけの力がある」

 ――……でも、失敗したら?

 心の声がそう言った。

 ――うまくいかなかったら、みんなを傷付けるかもしれない。……違う。僕は癒し手だ。誰ひとり、傷付けない。

 頭の中でシルフの声がこだまする。その言葉の意味が、ようやくわかった気がした。

 みんなを守る。この命を懸けて。そのための力を。


 ――ユグドラシル――


 男たちの悲痛な叫び声で、ハッと目を見開いた。地面から伸びた蔓が、男たちを次々と捕らえていく。蔓に捕らえられた男たちは、成す術もなく地面へと倒れた。

 祈りは届いたのだ。

 胸を撫で下ろすエメのそばで、光が輝く。風を帯びた光がおさまると、ひとりの女性が姿を現した。

「――いつ呼ばれるのかと思っていましたわ」

 長いエメラルドグリーンの髪と、同じ色の瞳。すらりと背が高く、ふわりと揺れる質素なドレスを纏ったその体は、エメの前の宙に浮いている。

「……いえ。私がお待たせしてしまいましたわね」

「……あの……」

 エメはハッとした。いま、声が出た。

 女性は優しく微笑みかける。

「あなたの声、しかと聞き届けましたよ。精霊王ユグドラシル、主の召喚の儀のもと馳せ参じました」

 ユグドラシルは恭しく辞儀をする。

「これが坊ちゃんの加護の魔法だよ」と、青年。「まさか精霊王を従えるなんてね。ま、知ってたけど」

「さて……片付いたようですよ」

 穏やかなユグドラシルの声に戦場を見下ろすと、ルーヴレヒト騎士団の男たちはみな蔓に捕らえられていた。

 エメは辺りを見渡す。護衛三人を除いたすべての騎士、魔法使いたちは呆然としていた。

「……ユリアーネ……」

 攻撃に倒れたはずのその姿を探すが、どこにも見当たらない。エメは青年を振り向いた。

「ユリアーネのところに連れてって」

「了解」

 青年がエメを抱え、軽く跳躍する。ふたりは一瞬にして倒れるユリアーネのもとに着地した。瞬間移動の魔法だ。

 エルフの女性に抱きかかえられるユリアーネは、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。顔は真っ青で、いつものメイド服が血に染まっていた。

「ユリアーネ!」

 エメの呼びかけに、ユリアーネは薄っすらと目を開く。

「坊ちゃま……お声が……。最期に坊ちゃまのお声を聞けるなんて……私は幸運ですね……」

 エメはユリアーネの傷に手を伸ばした。ユリアーネはその手を、なりません、と優しく押し返す。

「私のために……使われる力ではございません……」

「……ユリアーネ。これは、大事な人のために使う力だよ」

 ユリアーネの瞳に涙が浮かんだ。制する手の力を緩める。

 ふと、ユグドラシルが彼らのそばに降り立った。手を宙に向けると、彼女の背後に絡まる蔦の壁がそびえ立った。

 エメは手に力を込める。パキン、という音とともに両腕にかけられた腕輪が砕け散る。スキル【捕縛解放】だ。このスキルを自覚したのは、つい最近のことだ。使うことはないだろうと思っていたのだが。

 ゆっくりと深呼吸をして、ユリアーネの傷に手を当てる。手のひらから溢れた光が、傷を包み込んでいく。光はユリアーネの体内に吸い込まれ、瞬いて消えた。

 すっとユリアーネの呼吸が落ち着きを見せる。メイド服に滲み出ていた血も、傷も跡形もなく消え去っていた。

「……ありがとうございます、坊ちゃま」

 エメは微笑みかけ、ユリアーネのひたいの汗を拭った。

「エメ!」

 ユグドラシルが解いた蔦の壁の向こうから、ラースが駆け寄って来た。辺りではルーヴレヒト騎士団が次々と騎士隊によって捕らえられている。すべて片付いたのだ。

 エメの腕を見たラースが、顔をしかめる。

「力を使ったのか」

「……ごめんなさい」

「……! お前、声が……!」

 目を剥くラースに、エメは弱々しく笑って見せた。

 で、と言いながら赤髪の青年がエメの肩に手を置いた。

「俺が体を張った成果は?」

「……」ラースは肩をすくめる。「上々だ」

「もっと褒めてくれていいのに~」

 エメはラースと青年を交互に見遣る。それから青年の顔をつくづくと見つめて、あ、と声を上げた。

「お祭りのときの」

「お、やっと気付いた~?」

 それは収穫祭に行ったときのこと、ラースたちからはぐれてしまったエメを助けてくれた青年だ。なぜいままで気付かなかったのだろう。おそらく、戦場に対する恐怖でそれどころではなかったのだろう。

「自分、殺されるところだったんスからね?」

「死ななくてよかったな」

「もっと言うことあるでしょ~?」

 そのとき、ふたりが顔を引きつらせた。ゆらりと立ち上がったユリアーネを、ゆっくりと振り返る。

「ラース様、ご説明いただけますね?」

「……王宮に戻ったらな」

 ラースには珍しく口角を引きつらせている。気を取り直したようにユグドラシルを見遣り、エメの頭を撫でた。

「よく頑張ったな」

 懐かしいな、と思いエメは微笑んだ。

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