3-2

 衛兵が扉を開ける。途端に変わる空気に、少年が怯んだ。ラースは少年の肩に手を遣り、中へ促す。ようやく意を決したように、彼はゆっくりと足を踏み出した。その体は小刻みに震え続けている。ラースは手に力を込めた。

 王座の間と違い、謁見の間には簡素な椅子しかない。ふたつ並べられた椅子に、若き国王アーデルベルトと王妃クリスタが座って三人を待っていた。

 アーデルベルト王は国で一番の美形だと言われている。鼻筋が通り、瞳は美しく青色に輝く。程好く整えられた金髪が、青色の軍服に映えている。アーデルベルト王が自ら軍の指揮を執ることもあり、普段から軍服を着ているのだ。

 クリスタ王妃も眉目秀麗だ。透き通る銀髪が緩やかに肩に掛かり、紫色の瞳はいつも穏やかな色を湛えている。

 ふたりは若い。王はラースとそう変わらない年齢だ。前王が身罷みまかったのは不慮の事故だった。代替わりは予定外の早さとなった。しかし、アーデルベルト王は王位に就く前から「王の器」があるとされていた。若くともその手腕を存分に発揮し、国を治めている。クリスタ王妃は若き国王を献身的に支えている。国のために身を粉にするふたりに、これでこの国は安泰だ、と言う者さえいるのだ。

 ラースとニコライが跪くのを真似て少年も屈むと、アーデルベルト王は優しい笑みを浮かべた。

「楽にしなさい。座っていたほうが楽なら、椅子を用意させよう。普段はラースが抱えてやっているんだったな」

「ふふ」クリスタ王妃が笑う。「ラースが抱っこだなんて」

 ラースに促され、少年は立ち上がる。それに合わせラースとニコライも姿勢を正した。

「酷い扱いを受けてきたようだな」

 アーデルベルト王は物憂いげに言う。一目見ただけでわかるほど、少年は痛々しいほどに痩せ細っているのだ。

「名は?」

 王の問いに、少年は困ったようにラースを見上げる。

「恐れながら、陛下」ラースは言った。「この者の名は判明しておりません。声が出ず、読み書きもできませぬ故」

「当時、この者の年齢は四歳前後と思われます」と、ニコライ。「自身も憶えていない可能性があります」

「ふむ……」

 アーデルベルト王は顎に手を当て、しばらく考えを頭のなかで逡巡させるような表情を浮かべる。ふとクリスタ王妃に目配せをすると、クリスタ王妃は優しい笑みで頷いた。

「では、この者に名を授ける」

 ラースとニコライは思わずバッと顔を上げる。

「恐れながら、陛下」ラースは言った。「この者は癒し手と言えど平民に過ぎません。そのような――」

 アーデルベルト王が右手を挙げるので、ラースは即座に口を噤んだ。少年が困惑した様子でラースのマントを掴む。

「名がない可能性は、もとより想定していた。そしてまた、名付けをすることも保護したときに決めていたことだ」

 無意識に顔を見合わせるラースとニコライに、少年はおろおろとふたりを交互に見遣る。

 アーデルベルト王が立ち上がり、椅子の前に腰を屈めた。少年と視線を合わせるためだ。

「どれ。顔をよく見せてごらん」

 手を差し出す王に、ラースは少年の背中を押して促す。少年はどぎまぎと手を組んだり離したりしながら、アーデルベルト王に歩み寄った。王は優しく少年の頬に触れる。

「ふむ、綺麗な瞳をしているな。辛い環境を生き抜いてきた者の目だ。お前はきっと強くなる」

 少年が目を泳がせるので、アーデルベルト王はまた穏やかに微笑んだ。そして少年の肩に手を遣る。

「今日からお前の名は“エメ”だ」

 少年を光が包み込んだ。強く目を瞑る彼を支えるアーデルベルト王の手のひらから伝わる熱が体の中を巡る。風にかき消されるように光が散ると、少年は辺りを見回した。

 ――これが【名付け】……。

 ラースも、この目で見たのは初めてだった。

 それは魂を魔力回路で繋ぐ契り。しかし名付けられた者を縛るものではなく、この場合はアーデルベルト王の魔力を少年――エメに注ぐためのものである。ラースもなんとなく気付いていたことだが、エメの魔力はとても不安定だ。それをアーデルベルト王との契りによって安定させる。そうすることで、魔法やスキルの獲得に繋がるのだ。

 アーデルベルト王が退くと、クリスタ王妃がエメを手招きした。クリスタ王妃は先日、懐妊が発表された。座っているほうが楽なのだろう。クリスタ王妃は、近寄ったエメの肩に優しく手を添え、微笑む。

「あなたのスキル【癒し手】は本来、大量の魔力を消費するものです。癒し手はその力を使うことで、魔力の代替として生命力を消費する……。いままでの年月から考えるに、寿命のおよそ二十年分をあなたは消費しているのです」

 ラースとニコライは顔を見合せたが、エメはひとつも表情を変えない。おそらく、わかっていたのだろう。

「エメ。手に触れても構わないかしら」

 優しく問いかけるクリスタ王妃に、エメは両手を差し出した。王妃はふわりとその手を両手で包み込む。

「心優しき子。もう何にも脅かされることのない安らかな暮らしを。あなたに、神のご加護がありますように」

 その【祈り】は静かにエメに降り注ぐ。天からの慈雨のようにエメの血液を巡り、鼓動に穏やかに呼応する。星が瞬いた。それは深く、強く、確かにエメの魂へと刻まれた。

 重く苦しかった空気が一変し、温かささえ感じられる。その瞬間、エメに与えられたのは祝福だった。

「……さあ、エメ。顔をよく見せて」

 クリスタ王妃は優しくエメの頬に触れる。エメの瞳を覗き込み、慈愛に満ちた微笑みを向けた。

「あなたの辛い運命は過去のもの。何にも縛られず、あなただけの道を歩むのです。ゆっくりと、しかし強く、穏やかに。大丈夫。私たちがついていますよ」

 エメは強く頷いた。

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