1-3

 ラースは、部下たちに畏怖の念を懐かれているということは自覚している。顔が怖いと言われるのはいつものことだし、態度が威圧的なところも部下を怯えさせる一因だ。部下の鍛錬に手を抜いたことなど、一度として有り得ない。そんな鬼教官のような小隊長が片腕に子どもを抱いて歩いているという光景は異様で、部下の騎士たちどころか他の使用人たちも目を丸くしている。しかし、当の本人は集まる視線など気にしていない。

 騎士の詰所には、使用人のための食堂が隣接している。使用人たちのためとは言っても、かなりの広さがある。使用人と騎士の数を考えれば当然のことである。

 食堂に入って行くと、おや、と穏やかな声が聞こえた。短い茶髪の人物――若き騎士団長ベルンハルトが歩み寄って来る。部下の騎士と立ち話をしていたらしい。

「この子が?」

「そうです」

 短く頷いたラースに、ベルンハルトは少年と目を合わせるために少しだけ腰を屈めた。ラースも決して低くはないが、ベルンハルト団長はかなりの高身長だ。

「不自由はしていないかい」と、ベルンハルト。「必要なことはなんでも教えてくれ。特に、このラースはこき使ってくれて構わないよ」

「……団長」

「おっと、会議に遅れてしまう。頼んだよ、ラース」

 戦場に立っているときとは打って変わって、ベルンハルト団長は穏やかでありながらとても適当な人である。部下のほうがしっかりしているように見られるのが常だ。

 ラースが、もう何度目かわからない溜め息を落としたところで、ニコライがお盆を手に彼らのもとへ来た。ラースは少年を床に降ろし、椅子へ促す。

「どうぞ! 搾りたてっスよ!」

 ニコライがテーブルに置いたジュースを警戒するように眺めたあと、少年はおもむろにコップを手に取った。ゆっくりと飲み始めるが、眉根を寄せてすぐ口を離す。

「あれ? お気に召さなかったっスか?」

「……最低限の栄養源として、果物を与えられていたのかもしれないな。最も手軽な食材だからな」

「そっかあ……難しいっスね……」

 ニコライは唸りながら顎に手を遣る。ややあって、閃いた、というようにポンと手を叩いた。

「良いこと思い付いたっス!」

 そう言うや否や、ニコライは少年に背中を向けて屈む。おんぶに誘っているのだと少年が理解するのに数秒を要した。遠慮がちに乗る少年に、ニコライは笑みを深める。

「先輩、ついて来てくださいっス!」

「なんで俺まで……」

「文句ばっかり言わないっスよ~」

 ニコライが向かったのは厨房だった。お喋りをしていたらしい侍女が三人、不思議そうに彼らを振り向く。

「いかがなさいましたか?」

 ベテランのメイド長が首を傾げ、問いかけた。ニコライは少年を床に降ろしながら、満面の笑みで言う。

「なんか坊ちゃんの口に合う物ないっスかね!」

「あら……」

 これのどこが「良いこと」なんだ、とラースは頭を抱える思いだった。結局のところ丸投げではないか。

「そうですわね……」と、メイド長。「いま、ちょうどクッキーを焼いているのですが、いかがでしょう」

「それは良い考えっスね!」

「もうすぐ焼き上がりますわ。よろしければ、こちらに座ってお待ちになってくださいませ」

 メイド長に優しく促され、少年が椅子に腰を下ろす。柔和な彼女の表情が、少年に安心感を与えるのかもしれない。

 壁に寄り掛かったラースは、もう溜め息が止まらなかった。そんな上司に、ニコライは唇を尖らせ小声で言う。

「なーに溜め息ついてんスか。これも立派な任務っスよ」

「子守りがか?」

「違うっスよ。この子は要保護人物。俺らは護衛っスよ?」

「護衛が飯の世話までするのか」

「だあーって放っておいたら可哀想じゃないっスかあ」

「結局は子守りじゃねえか」

「頭の堅い人っスね。先輩、子ども苦手っスもんね」

 にひひ、とニコライが笑うので、ラースは八つ当たりを込めてその尻を蹴った。いて、とニコライが声を上げる。

 それから十分ほど待ち、ようやくクッキーが焼き上がった。メイド長とふたりの侍女が丹精を込めて作ったのがよくわかる仕上がりだ。

「さあ、できましたよ。どうぞ」

 クッキーをかごに詰め、メイド長が少年に差し出す。少年は怪訝そうにかごを見つめ、それからおそるおそる手に取った。しかしなかなか食べず、クッキーを眺めている。

 ラースはメイド長に目配せした。メイド長は薄く微笑んで、さあさ、とふたりの侍女に言う。

「あなたたちもお食べなさい。上手に仕上がっていますよ。ニコライ様もおひとついかがですか?」

「いいんスか! やったー!」

 いただきまーす、と声を合わせた三人がクッキーを頬張るのを、少年は観察するように見ていた。美味しそうに食べる三人に、少年はおそるおそるクッキーを口に運ぶ。それから、口に合ったのか少しだけ表情を明るくした。

 それを見て、メイド長とニコライはホッと安堵する。

 またかごを差し出して、もう一枚と誘うメイド長に、少年は二枚目に手を伸ばした。しかし、それを食べ終えるとうつむいてしまった。

「もうよろしいのですか?」

 心配そうにメイド長が言う。少年は小さく頷いた。

「胃が食べ物を受け付けないのかもしれませんわね」

 痩せ細った少年の体を見る限り、まともな食事を取ってこなかったということがうかがえる。それも当然だろう。盗賊団にとって「癒し手」はただの便利な道具に過ぎず、人間としての扱いを受けてこなかったのかもしれない。盗賊団のアジトで少年が押し込まれていた部屋は、人間が暮らす環境としては劣悪だった。

「ま、無理に食事を取ろうとすることはないっスよ。ちょっとずつ慣らせばいいんス」

 明るく言うニコライに、少年はホッと胸を撫で下ろした。それを見て、捕らえられていた頃はやりたくないことを強いられていたのかもしれない、とラースは思った。

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