第36話 十兵衛 VS ラーフェン

 ラーフェンとて馬鹿ではない。

 響き渡った銃声とざわついた味方の様子で、後ろで起きた出来事を察した。


「二名は魔狼フェンリルを抑えろ! 正面から罠を食い破るぞ!」

「「「おう!!」」」


 先頭を行くラーフェンは術さえ使えないようにと一気に踏み込む。


(あの時の、ガキか――――!!)


 魔狼という存在で、ラーフェンは赤鎧の若侍以外の神州人を事ここに至って初めて意識した。

 野戦で神州国軍を完膚なきまでに撃破した初日、降伏勧告に向かう自分らの前に立ち塞がった見窄らしい少年兵。

 ボロボロの軍袴に革靴。有るか無いか分からないような防具。身の丈に合っていない大太刀を手にした者。

 己の技量を見誤った愚か者。

 路傍の石のように見下していた者。

 捨て駒そのものだった者が、大切な部下を殺し、選ばれた超人たる己の前に立ち塞がっている。


「この、身の程知らずがっ!!!」


 憤怒の表情を浮かべて斬り掛かってくる青年騎士。

 十兵衛には、そんな奴と最初から真正面からぶつかる気はない。 


「――――退け!」

「はい!」「おっす!」「うん!」


 十兵衛が叫ぶと部下たちは素直に従った。

 彼を残して、蘭や足軽、森人の少年は次の倒木の影へと走る。

 茨十字騎士団相手に、十兵衛と魔狼のポチ以外正面から対峙するのは不可能。

 甚八とて常人の騎士ならいざ知らず、超人の騎士相手は相当に厳しい。


 再び上がるラーフェンの雄叫び。

 襲い来る斧槍を十兵衛は後方へと跳んで逃げた。

 ラーフェンは、人を殺し慣れた十兵衛であろうと容易く屠れる敵ではない。

 共に超人であり、共に武人。


 ここは藤亜十兵衛に前世の記憶があろうが、なかろうが大して役に立たない修羅の国。

 まずは、この世界で生き残るために自らを鍛えなければならなかった。

 そうでなければ、か弱い幼馴染みを守ることさえ出来ない。

 彼の力は己の無力感と憎悪から生まれたもの。

 厳しい環境に耐えたのも。

 貧しい日々を耐えたのも。

 厳しい修行を行ったのも。

 母を救えず、幼馴染みを守れず、父を殺せぬ己に鬱結した弱き心ルサンチマン

 だから、神楽坂蘭以外のほぼ全てを憎み、羨み、妬む。

 直視した己の弱さを、自ら罵倒して、そのまま突き進んだ結果の

 それが藤亜十兵衛という男。


 ラーフェン・フィレンツィは恵まれた家系に生まれた超人。

 だが、家として恵まれているからこそ、子息への要求も高い。

 それらを撥ね付け、一人の人間として生きるためにも、彼は強さを証明しなければならなかった。

 結果として、それが続けば恒常のこととなり、誰もそれ以外見なくなる。

 彼にとって勝利は義務で有り、力は備わっているもので有り、結果は当然のものであった。

 誰もそれ以外期待しない。

 親も兄妹も仲間も民草も皇帝も、それ以外望まない。

 許嫁さえも望まない。

 自らの精神こころさえもそうなった。

 だから、ラーフェン・フィレンツィが戦いで勝てないなどと認められる訳がない。


 さらに回転を上げるラーフェンの斬撃。

 次の一撃を受けることは不可能だと、十兵衛は振り向きもせずに背後の倒木を飛び越えた。

 予感は正しかった。

 さらに深く踏み込んだ横薙ぎの一撃は、チーズか何かのように倒木を削り飛ばす。

 長い斧槍を完全に振り切った姿勢は、素人目には隙があるように見えただろう。


「――――止めろッ!」

 

 叫んだが遅かった。

 十兵衛の視界の両端で、二人の足軽が裂帛の気合いと共に長槍を突き出した。

 その動き自体は十分に訓練されたもので有り、本来ならば褒めて遣わすほどのもの。

 だが、相手が悪かった。

 敵は自他共に世界最強と名乗るオルデガルド帝国にあって、さらに最強と誉れ高い茨十字騎士団。

 その中にあっても、有数の騎士であるラーフェン・フィレンツィ。

 さらに強力な一撃を振るわんと全身の筋肉を引き絞るラーフェンに足軽二人の槍が届く。

 偉丈夫の騎士は、二つの穂先を避けもしないで魔力を流し込んだ鎧で受け止めた。

 ただそれだけで、足軽の槍の穂先は欠け、逸らされる。


 足軽の二人に逃げる暇など無かった。

 青年騎士が繰り出した横薙ぎの一振りはあまりにも速く、数メートル後ろにいた蘭でさえ、斧槍が稲妻を残した残滓だけしか見えなかった。

 倒木ごと両断された足軽たちの胴体が、雨に押されたように滑り落ちる。

 噴水のように血を吹き上げる下半身。

 その足下でまだ意識がある二人の上半身。

 彼らの意識がなくなるまで、まだ数秒残っている。

 いや、それ以上苦痛が続かぬのであれば幸せか。


「蘭! 下がれッ! 次の防衛線だ!」

「――はいっ!」

「――――逃すか!」


 敵の術士たる蘭を見た瞬間、ラーフェンはさらに踏み込んだ。

 今までの戦いから、敵の中心は黒髪の少女であることは明白。


 敵の狙いを察し、十兵衛が疾風の如く踏み込んだ。

 切っ先を敵に、刃を上に向け、両手で握る柄を頭の横に持ってくる――――受けを優先した『霞の構え』で突っ込む。

 斧槍が薙ぎ払おうと、打ち下ろされようと、強引に柄の内側に入り込んで一撃を凌ぎ、そのまま組討ち術で打ち倒す算段である。


 二人の殺意が、互いの武具に過剰なほどの魔力を流し込ませる。

 稲妻を纏い振るわれる斧槍と、それを待ち構えて赤く光る大太刀。

 凶刃から迸る魔力が宙でぶつかり、周囲に突風と紫電を散らす。

 魔力衝突程度では、ラーフェンと十兵衛は止まらない。

 蘭を狙って真横に振るわれた斧槍と、跳ね上げた十兵衛の大太刀がぶつかり、少女を切断しようとした一撃は間一髪のところで斜め上に逸れた。

 髪の毛を掠めた死の気配に、蘭は転がり落ちるように坂道を駆ける。

 ラーフェンは蘭を殺し損ねたが、十兵衛も重い一撃に組み伏せにいけない。

 泥と化した山道を滑るように押し返されて、やがて踏み止まった。

 それでも距離を離れたことを良いことに十兵衛も蘭たちと共に下がる。


「逃さんと言っただろ!」


 ラーフェンが叫んだ直後に再び銃声が鳴り響く。

 青年騎士の胸部甲冑のど真ん中に銃弾が食い込み、超人の突撃を押し止めたが、弾は鎧を貫通できずに地に落ちた。

 今も藪の中に潜む甚八の狙撃に、青年騎士は悪態をついた。

 甚八は超人で無い上に一切の魔力を持たない。

 超人や英傑が放つ必殺の一撃や魔術には魔力は必要不可欠。

 一流の使い手たちはそれを無意識に察して、見切るのだが常人にはそれがない。

 尤も殺意があろうがなろうが、目に見えるところにいる常人など脅威ではない。

 しかも遠くから、ほとんど見えぬ銃弾で攻めてくる銃士――――特に、気配すらも殺気も漏らさない狙撃手は相当に厄介な相手。

 しかし、鎧は銃弾を通さない。

 魔力を通してなくても防げたのだ。

 魔術刻印に魔力を通せば、さらに鎧の強度は増す。

 伏兵、恐るるに足らず。

 ラーフェン・フィレンツィはそう判断した。


「――――石壁よ!」

 

 蘭の呪符が、ラーフェンとその仲間たちを三度みたび分断する壁を作り出す。

 もう壁系の呪符は使い切った。

 次に壁を生じさせようとすれば、己の魔力と呪文を使うしかない。

 彼女でも眼前の青年騎士が最大の敵だと言うことは理解できる。


(人を殺すのは怖い…………)


 この戦いが始まるまで、彼女は心底そう思っていた。


 だけど、そんなことを言っていたら――――。

 彼が死んでしまう。

 藤亜十兵衛が目の前の騎士に殺されてしまう。

 もう少ししたら、敵の後続も来る。

 足軽の二名は殺されてしまった。

 森人の少年義勇兵の矢は通らない。

 呪符は底をつきかけている。

 甚八さんは青年騎士を殺し損ねた。

 だから、今この時の最善手は――――。

 私が切り札を使うこと!


 ――分断された。

 ラーフェンは予想以上の敵の連携に舌を巻きつつも、攻撃の手を緩めない。

 それでもここで退くのは愚策と身体強化術を無詠唱で使った。

 彼は勝利と共に生きてきた。

 今までも、これからもそれを変える気はない。

 駿馬より速く駆け出す青年騎士。

 選ばれた者のみが為し得る鋭い踏み込みに残像すら生じる。


 だが十兵衛とて、それは出来る。

 だから見慣れている。

 互いに超人。

 常人の理解の範疇にはいない人種である。

 ラーフェンから矢継ぎ早に繰り出される必殺の一撃を十兵衛が打ち払う。

 時折掠めた刃が血を散らすが、十兵衛は一歩たりとも引き下がらない。

 紙一重で致命傷を避け続けるが、もう何度も血飛沫が舞った。

 二つの凶刃に触れた雨は、地に落ちることなく刃の軌跡だけを描いて消えていく。


 誰も邪魔が出来ないような十兵衛とラーフェンとの一騎打ちの中で、その空気を読まないのは蘭だった。

 彼女は目の前の戦いを神聖なものだとは思わない。

 繰り広げられる一騎打ちが正式のものでない以上、どうでもいい事である。

 敵の後続が壁を壊したら、この戦いの均衡が壊れてしまう。

 一対四で取り囲まれたら、確実に十兵衛の負けだ。

 そうしたら、蘭の全てが終わってしまう。


 義理の家族を皆殺しにした藤亜十兵衛にとって、神楽坂蘭が全てであるように。

 一族全ての裏切り者である神楽坂蘭にとっても、藤亜十兵衛が全てなのだ。


 蘭は迷うことなく手持ちの最大火力を選択し、壁の向こうにいる敵主力へ向けて輸入物の巻物を手に取った。

 十兵衛が大枚はたいて手に入れた、蘭のための切り札。

 彼女はそれを宙に広げて、指先から魔力を込める。

 広げれば一メートルは超える高級羊皮紙に刻まれた魔術は雷撃系多重詠唱術。

 光速で放たれる雷撃系魔術は、防御の難しさと感電による二次的効果から極めて人気が高い。

 しかも、通常一撃しか発生しない雷撃を十数回も発生させる特注品である。

 庶民の年収一年分を優に超える価格で取引される逸品。

 蘭は戦いの趨勢を決するために、それを解き放った。


稲妻招来コール・ライトニング!!」


 蘭の絶叫と共に放たれた雷撃。

 頭上の雨雲から無数の稲妻が地上へと打ち落とされた。

 煌めく閃光が視界を白く染め上げ、耳に鳴り響く残響が聴力を奪う、

 数秒間に渡る、光と音の狂乱。

 石壁の向こうで、降り注ぐ蛇の如き稲妻の群れ。

 稲妻が直撃した茨十字騎士団の騎士たちはただの一撃で地に伏した。

 肉体は黒く焦げて燻り、呼吸は止まり、燃え出している亡骸まである。

 術士の助けもない状況では、いくら超人であろうと天から降り注ぐ強力な雷に耐えきれるわけがない。

 超人六名を一度に屠る大雷撃。

 残る敵は、ラーフェン・フィレンツィただ一人。


 だが一対五の状況下であろうと、ラーフェンは引き下がらない。

 否。引き下がれない。

 この距離で術士相手に背中を見せるのは下策の中の下策。

 幸いなことに雨と泥に塗れても技の冴えは失われていない。


「――――うおおおっ!!」


 ラーフェン・フィレンツィに後退はない。

 殺されるより前に――五人を殺して生き残ろうと突き進む。

 優れた動体視力で、森人の少年義勇兵が放つ矢を鎧で弾く。

 戦場の勘が、甚八の狙い澄ました銃撃を籠手で防ぐ。

 振り回す斧槍で触れるもの全てを屠らんと襲い掛かる。

 青年の端正で涼やかな顔立ちが、幽鬼のようなおぞましさに変わった。


「弾まで見えてんのかよッ! クソが!」


 鬼気迫る斬撃を捌くのは藤亜十兵衛。

 これ以上魔術刻印を施された斧槍をまともに受け続ければ、いくら魔剣仕立ての大太刀とはいえ、どうなるか分からない。

 少年は言葉とは裏腹に安易に踏み込まず、慎重に斧槍の穂先を弾いて逸らして機を探る。

 二メートルを超える斧槍から、首を狙う上段に足首を狙う下段が旋風のように放たれ、

 時折斜め上からの斬撃が混じる連続技が絶え間なく続く。

 雨の中でさえ触れ合う刃が火花を散らし、鉄を打ち鳴らす音が幾重にも鳴り響く。

 超人ならではの体力任せの攻撃に、十兵衛たちは後退を余儀なくされる。


 だが、勝負の一瞬は不意に訪れた。


 藤亜十兵衛が狙っていた――――待ち望んでいた一撃は、ラーフェンが繰り出した足首への斬撃を片足を上げて避けた直後に来た。

 横へ振りながら左手を大きく引くことにより柄を胸元に引きつけ、地に向いた槍の穂先を突き上げて放つ一撃。

 片足で素早く動けぬ十兵衛の腹を狙った雷光の如き刺突技。

 蘭には敵の斧槍がまたたいたようにしか見えなかっただろう。

 大太刀で強引に逸らした十兵衛の左腕が浅く抉られたが、次の瞬間には足下へと受け流し、赤く光る大太刀が斧槍の柄を上から抑えていた。


 得物を抑えられたラーフェンの顔が引き攣り、飛び退く。

 それよりも速く、無表情の十兵衛が踏み込む。

 斧槍の柄に導かれ、赤く光る凶刃が走る。


 宙に残る赤い輝線を境にして、剣士と騎士が擦れ違う。


 得物を手放しても間に合わず、切り飛ばされた騎士の右指は四本。

 残った指は小指のみ。

 四本の指が小枝のように弾け飛ぶ。

 思わず片膝を付いて悲鳴を堪えたラーフェンだが、十兵衛はその顔面に右膝蹴りを間髪入れずに叩き込む。

 地に伏し、鼻を潰され、空気を求めて咽せる青年騎士に止めを刺そうと、十兵衛は大太刀を逆手に持ち替えた。


 あの硬すぎる鎧に斬撃を加えていては一撃では屠れない。

 刺突だ。

 そうでなければ穿てない。

 元より捕虜も人質も取る気はない。

 殺すのみ。

 躊躇うことなく屠るのみ。


 這ってでも逃げようとするラーフェンの背中を踏みつけて、藤亜十兵衛が大太刀を振りかぶる。

 美貌の青年騎士が泥の中で、神に慈悲を求めて泣き叫ぶ。

 見窄みすぼらしい少年兵の大太刀が淡く赤く光る。

 雨が降りしきる山道での戦い。

 神楽坂欄が、愛する少年の背中に小さな勝利が舞い降りたと確信した直後――。


 真横から飛来した十数条の光矢が藤亜十兵衛に突き刺さり、神楽坂蘭の視界外へと弾き飛ばした。

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