第35話 奇兵隊 VS 前衛隊

 ラーフェンたちも神州国の港に入ろうとする帆船二隻を視認した。

 あの距離ならば、一時間もしないうちに接岸するだろう。

 そう判断した瞬間、青年騎士ラーフェン・フィレンツィは馬に蹴りを入れて、狭い山道を駆け下りた。

 リーダーが走り出せば、その手勢も後を追うのは分かりきったことだ。

 天気は晴れから雨に変わり、陽も雨雲で隠れ始めるが、彼らの勢いは落ちるどころか増すばかり。

 そして、まんまと十兵衛たちの仕掛けに引っ掛かった。

 曲がり角の影に仕掛けられた倒木に馬をぶつけ、運良くそれを避けても、次に仕掛けられた穴に馬が足を取られて転倒し、騎士たちが落馬する。

 騎士に超人が多いため大怪我こそ無いが、馬はただの馬だ。軍馬とはいえ、特殊なものではない。

 雨に濡れて滑りやすくなった、下りの山道で転べば骨折する馬も出てくる。

 走れなくなった馬を置き去りにして先を急ぐラーフェンたちだが、十兵衛たちが仕掛けた罠や障害物は一つや二つではない。

 急いでいるとはいえ二度も引っ掛かると、誰もが警戒するが、慎重に進めば時間が掛かる。

 蘭の符術により道を崩されて渡ることさえ危険な場所もあり、彼らの速度は歩くよりも遅くなった地点さえある。

 ラーフェンたちの焦燥は増すばかりだが、彼らとて無能ではない。

 罠があれば襲撃を受ける可能性が高いため、何度も周囲を警戒しながら進む。

 当然、一度も襲撃を受けていない。


 だが、警戒させることこそが十兵衛たちが狙ったもの。

 時間稼ぎ。

 それも敵の機動力を奪う形での遅滞作戦である。

 甚八と十兵衛の目論見は成功――――それも大成功と言えた。

 

 しかし、ラーフェンたちを撃退していない以上、やがて彼ら十二名が帆船が入港する港町へ辿り着くことは必定。


 故に、藤亜十兵衛率いる奇兵隊七名と一匹はもっとも待ち伏せに適した場所で待ち構えた。

 既に山は低くなり、麓へと至る道は尾根道ではなく中腹の斜面へと場所を変えている。

 この山道の中でもっとも曲がりくねり、道幅が狭く、崖が険しい、約百メートルほどの地域。

 そこが奇兵隊が陣取った最終防衛線。

 S字状の道が続き、場所によってはU字状のような所もある。

 U字の頂点で敵を待ち構え、反対側の頂点に敵が来た瞬間に迎撃する。

 この曲がりくねった山道で、もっとも弓矢等の投射火力を生かせる場所を迎撃地点に選んだ。

 さらに間隔を置いて設置した、倒木による三段構えの障害物。

 崖側は馬で回り込もうとしても足場が悪く、如何なる名騎手であろうと落馬を免れない。

 山側も同じだ。鬱蒼と蔦や蔓が生い茂った藪は切り開かなくては、徒歩でさえ容易に前進できない。

 馬を使う以上、こちら側も迂回不可能。

 仮に歩いて迂回しようにも、かなり強く降り出している雨は、全身を覆う金属甲冑を身に付けた騎士たちの足取りを慎重にさせるには十分すぎる。

 無論、その機を見逃す者は十兵衛率いる奇兵隊にはいない。


 藤亜十兵衛は道の中央に立ち塞がるようにして立つ。

 槍持ちの足軽二名を倒木の近くに配置し、少し後ろに蘭と森人の少年義勇兵、甚八と魔狼のポチは少し後ろの藪の中に隠した。

 ”居眠り”甚八が狙うは大将首と術士。

 雨の中とはいえ、陣笠と火縄銃の火口を覆う雨除けで雨をしのげば数撃は可能だ。

 その後は、彼も白兵戦に参加する予定である。

 魔狼のポチは敵の最後尾へと回り込ませる。

 人ではろくに動けない地形でも狼――しかも魔狼ならば話は変わる。

 

 さらに雨が強く降りだしてから一時間ほど経っただろうか――――。

 生温い夏の雨に何もかも濡らされた頃。

 時間は十四時を過ぎただろうか。

 全員が下馬して歩くラーフェン・フィレンツィたち前衛隊と、小さな木陰で待ち構えていた藤亜十兵衛ら奇兵隊は、己の敵が曲がりくねった山道の先にいることを同時に発見した。


「奇兵隊、迎撃準備!」

「前衛隊、突撃準備!」

 

 血走った目、釣り上がる口角、殺意と敵意を言葉に代えて、二人の指揮官が同時に叫ぶ。

 十兵衛が大太刀を抜き放ち、森人の少年が矢をつがえ、蘭が呪符を手に取った。

 先手はラーフェン率いる茨十字騎士団前衛隊が取った。


「――術士! 打ち合わせ通りに!」

「「応!」」


 オルデガルド帝国の二人の術士が素早く術印を結び、呪文を唱えた。

 火球の術が倒木を爆炎と共に吹き飛ばし、灼けるほどの熱風が濡れた山道の水気を蒸発させると乾いた道が出来上がる。

 十兵衛らの前にあった障害物は二つの呪文で瞬時に無効化された。

 間髪入れずに青年騎士が吠える。

 

「――あの臆病者たちを駆逐するぞ! 前衛隊、突撃!」

「「「URYAAAAA!!!!」」」


 雄叫びと共に騎兵たちが走り出す。

 茨十時騎士団前衛隊のほとんどは超人である。金属製の全身甲冑を着込み、片手が盾で塞がっていようとも常人より素早い。常人の全力疾走のような速度で斧槍や長槍を掲げ、さらには連接棍棒フレイルを振り回しながら十名の騎士たちが突撃する。


「矢を放て!」

「はい!」


 奇兵隊の森人エルフの少年義勇兵が必死になって弓を射るが、それは騎士たちが掲げる盾を貫通するには至らない。

 彼らの武器が例え弩であっても、それは厳しかったであろう。

 先頭を行く騎士が掲げる盾は明らかに魔術刻印が施された逸品。使用者の魔力が通っている証に淡い青色を発し、その強度は跳ね上がっている。

 十兵衛らとラーフェンらの距離はあっという間に三〇メートルを切った。


「蘭!」

「――――はい!」

 

 名を呼ばれた少女が油を染み込ませて撥水加工を施した、とっておきの呪符を発動させて投げ放つ。

 十兵衛の脇を掠めるように飛んだ呪符は、突如爆音を発して少年と騎士らとの間に数メートルの土壁を形成した。

 十兵衛の視界一杯にそびえ立つ土壁が雨に濡れる。

 高さ三メートル厚さ一メートルはあろうかという壁の向こう側では、さらなる雄叫びが響いた。

 魔術で生成された土壁を、腕力で打ち砕こうと重い打撃音が鳴り響く。

 敵が常人ではない――――人類の突然変異体である超人の証として、土壁が僅か数撃でひび割れた。

 さらに山中に響く野獣の如き雄叫び。

 土壁そのものを揺るがす強い衝撃は、降り落ちてきた雨さえも吹き飛ばす。

 ぴしりと、大きなひびが土壁に走った。

 次の瞬間には、そこからタックルのような姿勢で一人の騎士が鉄砲玉の如く飛び出した。

 だが瞬時に、十兵衛の赤く光る凶刃が騎士の兜を真っ正面から貫く。

 後ろから続く怒声のような鬨の声。


「うぉおおおおおおっ!!!」

 

 十兵衛か、ラーフェンか。

 どちらが上げたか分からない雄叫び。

 死んだ仲間をそのまま盾にして突っ込んでくる別の騎士。

 力比べは下策と十兵衛が飛び退く。

 蘭たちは、さらに後ろにある倒木の後ろへと待避している。

 殺された仲間を盾として使った騎士が素早く長剣を抜き放ち、十兵衛へと斬り掛かる。


「死ねぇええ!」

「殺すッ!」


 振りかぶった長剣と大太刀。

 それは互いに振り切る前にぶつかり、鍔迫り合いへと変わる。

 近づいた瞬間、共に距離を取ろうと腕力任せに相手を押した。

 浮かされたのは身体の軽い十兵衛のみ。

 無論、この程度で体勢を崩されるほどやわではない。

 少年は雨でぬかるむ山道に着地するや否や、弾かれたように踏み込んだ。

 魔力を帯びて淡く赤く光る大太刀と、磨き上げられた白い長剣。

 その刃が降りしきる雨を切り裂いて、ほんの一瞬の間だけ交叉する。

 だが、その一瞬で交わされたのは数合の剣戟。

 その最後の一撃。

 十兵衛の魔力により天空へと伸びた赤い輝線が、騎士の両手首を籠手ごと切り飛ばした。


「……あ、あ、ああ、あああっ、ああああっ――――!!!!」


 両手を失った騎士が言葉にならない絶叫を上げる。

 噴き上がる鮮血は雨に交わり、十兵衛を濡らして足下の泥と混じる。

 

 だが、ラーフェンたちは止まらない。

 たかが一人二人死んだぐらいで止まる懦弱だじゃくな騎士は、この世に存在しない。

 一人前の騎兵として突撃するということは、死そのものに慣れるということだ。

 最初に突撃する者は死にやすい。

 だが、誰かがやらなければ戦いが成り立たない。 

 だからこそ、軍や武装組織は勇敢な者を尊ぶ。

 そういう気風を作り出し、大切にする。

 故に、一番槍は誉れなのであり、それに続くのだ。


 盾を突き出した騎士が、振り抜いた直後の十兵衛を襲い掛かり、その背後には数珠のように後詰めが続く。

 

「石よ!」

 

 雨に濡れた黒髪を頬に貼り付けた蘭が叫ぶ。

 彼女の役目は敵の分断。

 十兵衛に敵と一対一の状況を作り出して、一人ずつ始末する作戦である。

 蘭の大声とともに大地から飛び出る石の壁。


 それが運悪く真上にいた後詰めの騎士の一人を崖へと吹き飛ばした。

 彼はあまりにも突然のことに悲鳴すら上げられずに、岩肌がむき出しになった深い崖を転がり落ちた。

 もはや五体満足には這い上がれまい。

 盾をかざして突撃中だった騎士は、石壁に背中を押された格好で十兵衛の所まで吹き飛んだ。

 その勢いに、十兵衛もいなしきれずにもつれ合って転がる。

 想像していない形で――だが狙い通りに――体当たりが成功した騎士。

 だか、騎士が体勢を立て直すよりも早く、十兵衛が左手で敵の顎を取り、首関節を捻り固めると、柄頭を顔面へと幾度となく叩き落とす。

 甲冑組み討ち術こそ、武士たちがもつれ合う戦場でもっとも止めで使われる技。

 無論、藤亜十兵衛はそれを骨の髄まで叩き込まれている。

 このような時、考えてから技を仕掛けるようなことはない。

 身体に刻み込まれた反射がものを言う。

 敵からは痛みに堪えたような、くぐもった悲鳴が上がったが、すぐに泣き叫ぶような悲鳴が喉の奥から迸った。


「オリバー!!」

 

 ラーフェンが石壁の向こうで仲間の名を叫ぶが、藤亜十兵衛はそれを聞いてもせせら笑うだけだ。

 柄頭が再び振り落とされ、哀れな騎士の眼球が陥没し、鼻まで潰される。

 もはや屠殺場に連れてこられた家畜と変わらない。

 十兵衛は右手で大太刀を騎士の喉仏に押し込み、左手で騎士の頭を抱き寄せた。

 如何なる超人であろうと絶対に死ぬ断頭を狙う。

 死にかけの騎士が、悲鳴を上げて足掻く。

 首に刃が食い込む感触に失禁しながら叫ぶ。

 仲間を救おうとラーフェンたちも魔術で石壁を爆破するが、敵術士の詠唱が聞こえた時点で、蘭が追加の土壁を作って十兵衛を守る。


「オリバー! 諦めるなッ!!」


 間髪入れず、力任せに土壁を打ち崩したラーフェンたち。

 だが、遅かった。

 彼らが見たのは、全身に返り血を浴びて嘲笑を浮かべる少年兵。

 そして、苦悶に満ちた死に顔を残した仲間の首。

 仲間を助けられなかった結末に、騎士たちの一瞬動きが止まる。

 

 生首の髪に指を絡めた十兵衛が、それを土産のように持ち上げて嘲り笑う。

 

「あははっ……クソよっわ!」

「うぉぉぉぉおぉぉおおおおっ!!!」

 

 青年騎士ラーフェン・フィレンツィの雄叫びと共に横一文字に振り切られる斧槍。

 それは分厚い土壁も石壁も、降りしきる雨さえも両断する一撃。

 ラーフェンの魔力を流し込まれた斧槍は微かな雷を纏い、周囲一帯を空気を文字通りにひりつかせた。


「この、蛮族がぁ!!」


 ラーフェンの斧槍が竜巻のように振り回される。

 長い斧槍とは思えないほどの鋭さと速さで振り回す技量は、彼の非凡な才能を見せつける。

 後方へ跳んで避けた十兵衛は内心冷や汗を掻きつつも、嘲笑を浮かべて生首を敵の後方へ――二人の術士たちへと高々と放り投げた。


「ほらよ! 返してやるぜ!」


 放物線を描いて術士たちへと飛んでいく騎士の首。

 見知った仲間の亡骸を受け取ろうと、術士が手を伸ばした時――。

 術士の額に小さな穴が開き、後頭部から脳髄がザクロのように吹き飛んだ。

 一瞬だけ遅れて、雨音を打ち消すように銃声が山中に木霊する。

 棒のように倒れる術士の胸元に、投げられた生首が落ち、無情に転がった。


「――――ぉ!?」


 仲間の術士が、隣の異変に気付くよりも素早く――――。

 藪に潜んでいた魔狼のポチが、術士が叫ぶよりも早く首に噛みついて引きずり倒す。

 魔狼は牛ほどの大きさもある巨大な狼。

 その牙が人間の首に食い込めば、それだけで致命傷である。

 蘭と十兵衛に十分に躾けられているポチは、暴れる術士が最後まで声を出せないように噛み続け、そのまま首を完全に噛み千切った。

 術士の生首は呆気なく胴体から離れ、ぼとりと転がった。

 獲物のあまりの他愛なさに、ポチは面白くなさそうに、前足でそれを崖に転がり落とした。

 

 十兵衛率いる奇兵隊最大戦力の一つ、魔狼のポチ。

 魔物であるが故に持つ、強い抗魔力。下手な皮鎧より分厚い毛皮。鎧にすら穴を穿つ牙。犬以上の知恵。牛ほどの大きさでありながら、その全てが筋肉。

 戦術的に考えれば、奇兵隊が魔狼のポチと銃士の“居眠り”甚八を対術士に投入するのは自然なこと。


 ラーフェンとて馬鹿ではない。

 響き渡った銃声で敵の狙いを察し、ざわついた味方の様子で、後ろで起きた出来事を瞬時に理解した。

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