第31話 藤亜十兵衛の独断専行

「俺はこのまま山を下り、麓の手前での遅滞作戦に変更したいと思うがどう思う?」


 藤亜十兵衛の案を聞いて、その腹心たる“居眠り”甚八は顔をしかめた。

 即座に反論はしない。

 僅か六人の奇兵隊とはいえ指揮官は藤亜十兵衛だ。

 まして、少年は甚八の雇い主でもある。

 甚八は親指と人差し指で眉間をほぐすように揉んでから口を開いた。


「どうして山中での遅滞行動を諦めるのですか? 隘路あいろでの足止めは兵法では王道中の王道。これだけ極上の条件が揃っているのに、麓の手前で待ち構えたら、せっかくある縦深を全部捨ててしまう。正気とは思えません」

「それでもだ。今は加藤副将率いる主力への合流を最優先にしたい」


 十兵衛は神の宣告を言えなかった。

 言ったところで、誰が信じるというのか?

『近日中に龍をも上回る大災厄である界獣が現れる』などと言い出したら、戦場の狂気で正気を失ったと思われてしまう。

 それでも蘭は付いてきてくれるが、他は誰も付いてこない。

 待ち受ける結果は奇兵隊の空中分解である。


「遅滞行動を放棄する気ですか?」


 奇兵隊が臨時編成されたのは茨十字騎士団を足止めして、森人エルフを神州国へ船で逃がすための時間を稼ぐためだ。

 百人以上の森人が、船に乗り込むにはそれなり以上の時間が掛かる。

 まして港に停泊中の船など、魔術師からすればただの大きな的にしかすぎない。

 茨十字騎士団の突破力と戦闘力から勘案すると、極力港に近づけてはならない。

 そのことは加藤威史、藤亜十兵衛、“居眠り”甚八の共通認識であったはずである。


「任務放棄はしないが、遅滞作戦の重心を変えたい」

「戦のことわりに反してます。何か、別の理由があるんじゃないですか?」

「駄目か?」

「そのままでは最悪、森人が船に乗る時間すら稼げません」

「――――え!?」


 甚八の一言で、聞き耳を立てていた森人の少年義勇兵に動揺が走った。

 取り繕うように藤亜が思いつきを口にする。


「じゃあ、俺が一人で道を塞ぐ。ヤバければ崖に飛び込めば、追っ手も諦めて――」

「ご主人様!」


 今度は性奴隷である蘭から叱責に近いものが飛んできた。

 八方塞がりを感じつつ、藤亜は睨む蘭を敢えて無視して甚八との協議を進める。


「甚八さん、二手に分けるのは?」

「悪手ですよ、それは。周囲には既に敵の斥候が潜んでます。最低でも二人一組が数個組いるでしょう。下手に分散したら、本隊を足止めする前にこちらが敵斥候兵に磨り潰されかねません」

「斥候兵程度…………と言えるのは俺だけか」

「若は超人です。自重して下さい。もう正直におっしゃって下さい。その方が私も楽です。若は昨晩の内に、何か判断を変えるようなことを察知した…………ですから、方針を変えようとしている。それでよろしいですかな?」


 十兵衛は腕を組んで悩んだ。

 神の宣告を受けたから作戦を変える。

 とてもじゃないが、他人に言えるようなものではない。


「正直に言ったら、どうしますか?」

「その理由によっては作戦を変えます」


 甚八の即答である。


「…………虫の知らせだ」


 十兵衛としては最大限に気を遣った言葉である。

 十兵衛と甚八以外、誰も喋ろうとしない。


「勘どころという事ですか?」

「だと、思う」


 聞いているはずの足軽の二人は、興味なさそうに胡座を組んだまま動かない。

 今度は甚八が腕を組んで唸り声を上げた。

 彼の雇い主は、ここが勝負所と言い出したのだ。


「うむむむむむ~~っ」


 偵察が不十分で戦場の情報が不確かである以上、勘どころや虫の知らせも馬鹿にならないというのは今までの実経験から知っている。

 甚八自身がそれにより命を救われたこともあるし、それを無視して死んだ者たちも見ているからだ。


「甚八さん。最悪の場合、俺が殿しんがりでみんなは遠くから攻撃すれば多少の足止めは――」

「ご主人様っ!」

 

 再び飛び出た蘭の叱責に、十兵衛のみならず甚八までも一緒に首を竦めた。


「若、確認致しますが」

「おう」

「その虫の知らせでは……主力と合流できなければ、我々はどのような結末を迎えるのですか?」

「全滅だ」


 十兵衛は今までの言い淀んでいた会話が嘘のように断言した。

 少年の中で揺らぐことがない断定を――神の宣告がもたらす結果だけを繰り返す。


「俺たちには全滅以外の結末がない」


 十兵衛が神の如く宣告した一言に場が凍り付く。

 少年をこの世で最も信頼している蘭でも一言も発せない。

 だが、甚八は違う。

 彼には見えぬ神より、目の前に来るであろう敵の方が恐ろしい。


「合流せねば全滅であるとしても、敵を漸減ぜんげん出来ねば……我々鎮西群第八派遣隊の全滅は免れぬのでは?」

「いや、合流して加藤副将と森人の術士たちと共に戦った方がまだ生き残る可能性がある」


 予想以上の断言である。

 十兵衛の言葉には揺らぐところが一つもない。

 甚八は目を閉じると、大きく息を吐き出した。

 目を開けると雇い主である少年と目を合わす。


「罠を……障害を仕掛けて敵の機動力を奪いましょう。時間稼ぎにしかなりませんが、それ以外手段がなさそうだ。すぐに動きましょう」

「ああ、では行こうか。時は金なり、だ」


 藤亜十兵衛率いる奇兵隊の七名は、払暁の内から鳴り子山山頂から港町へと続く一本道で障害物の構築を開始した。


 森人の少年がそれなりの太さの木に縄を掛け、蘭が泥濘の術でその根元を泥に変え、藤亜や甚八らが引き倒して道を塞ぐ。

 数カ所で道を塞ぐと穴も併設するように掘った。

 対人用の落とし穴ほど深くはないが、曲がり角や段差の死角に掘れば、完全に覆い隠さなくても下り坂を疾走している馬ならば避け損ねる。

 泥濘の術をわざと道の中央から外れたところに掛けては、尾根道を崩落させて道幅を削り、蘭が持っていた数少ないマキビシも蒔いた。

 

 それから藤亜は奇兵隊を前衛と後衛の二手に分けた。

 敵騎兵の足止めを行う前衛として、藤亜と足軽二人の三名。

 遠距離攻撃を仕掛ける後衛として、甚八と蘭、魔狼のポチに森人の少年義勇兵二名を加えた四名と一匹。

 彼らは必要な作業を終えると、逃げるように山を下り、待ち伏せに適した地点を探し求めた。

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