第20話 十兵衛 VS リリアーヌ

 鳴り子城がある地域の気候は、いわゆる亜熱帯に近いもので、夏ともなれば日差しは厳しく湿度も高い。

 夏でも三十度を超えることがない中央大陸西側とオルデガルド帝国の軍人にしてみれば、ここでは全身鎧を着込んでいるだけでも重労働に近い。

 しかも陽が真上から照りつけるような時間になれば耐えられそうにもなく、騎士であれ従士であれ、各々にある程度防具の減らして風通しを良くしている。

 そんな中でも隙間鳴く全身鎧を着込んでいるのは頭がおかしい者か、度の超えた臆病者か、それとも冷却の魔法か魔道具を使える者か。

 督戦隊を率いる青年騎士ラーフェンは冷却の魔道具を有する者であった。

 彼の実家はこの程度の出費を痛いと思うような家ではない。

 むしろ、我が子息が戦場での装いを崩すことを許さない家柄だった。

 真剣な眼差しのまま彼は愛馬を見事な手綱さばきで操り、時折見苦しく敗走してくる傭兵や戦闘奴隷を、無言で斧槍ハルバードでその頭蓋骨を叩き割りながら進む。

 敵はもう大方の罠を使ったはずである。

 そうでなければ防衛線を二度引き直した理由がない。

 位置的に考えて、敵の防衛線は残り一つか二つ……そこまで行けばもはや敵の城門が見えているはずだ。

 城の近くには罠はまだ多少はあるだろうが、山道にあるものはほとんどないはず。

 その判断に基づいた騎士団の進軍である。

 剣技の冴えでは騎士団内でも一、二を争う腕前で、その彼が先陣を切るのは半ば以上皆が期待していたことでもあった。

 彼が率いる直参の従兵一名と、部下としての二十名の騎兵と長槍を持った歩兵、最後尾に術士二人が続く。

 鳴り子城へと続く道は蛇のようにうねり、細い山道。急な斜面があるため、騎馬の機動力で背後から蹂躙することが出来ない。高低差を生かした弓矢の攻撃に、鋭角な曲がり角に仕掛けた罠の数々。これに倒木が加われば、馬が走れる場所など無きに等しい。

 それでも徒歩を選ばないのは、騎士であるという矜持か、それとも意地か。

 二百名ほど投入した傭兵と戦闘奴隷も残り三十名足らず。

 罠に怯え、戦意を失い、足を止めた傭兵と戦闘奴隷を、騎士団は逃げられぬように隊列を組んで退路を塞ぎ、槍の穂先で突き刺しては進む。

 後ろを振り向いた者は反逆の意志ありと見做し、即座に突き殺して前進させる。

 捨て駒を進ませる度に、面白いように弓矢が降り注ぎ、仕掛けられた爆薬が爆ぜる。

「助けてくれ!」と悲鳴を上げる奴隷たちを面白半分に突き殺していくと、十分もしないうちに全員死んだ。

 これで前払いの金以外何も失っていない。安いものだ。

 こんな馬鹿げたことが出来るのは、昨日の大勝があるからだ。

 昨日の戦いもほぼ一方的な蹂躙で神州国軍を蹴散らしている。

 その実力差は騎士はおろか従者にまで知れ渡っている。

 ラーフェンは今一度高々と右手に持つ斧槍を掲げた。

 初夏の日差しを浴びた、血に濡れた穂先が怪しく光る。


「さあ、諸君。神州国の弱兵どもに本当の戦いというものを見せてあげようじゃないか!」

「応っ!!」


 男たちの野太い声が上がる。


「術者、詠唱用意! 矢除けの加護を、我らに!」

「はっ!」


 薄いローブを羽織った術士たちが一斉に詠唱を始めた。

 それは神州国軍に隠すどころか、まるで山頂にまで届けと言わんばかりの大詠唱。

 詠唱の邪魔はない。

 ここから先はオスカー団長の指示ではなく、副団長であるユードリッド男爵の意向を優先する場面だ。

 半ば勝利を確信したラーフェンは掲げていた斧槍を振り下ろしながら叫んだ。


「突撃せよ!」


 雄叫びとともに二十騎の騎兵と長槍を持った従兵たちが山道を駆け上がる。

 騎士たちはいずれも重甲冑に身を包み、槍と盾で武装した精鋭たち。

 従兵たちが伴わないことに躊躇いもなく彼らは馬を走らせる。雄々しい軍馬たちが砂利の山道を駆け上がると、立ち上る土煙を置き去り、人馬一体の動きで藤亜らが仕掛けた倒木を苦も無く飛び越えた。



「――ヤバい!!」


 罠を恐れず駆け上がる敵騎兵の一団は、藤亜十兵衛の視界に飛び込むようにして映った。

 高らかに響いた突撃の号令と鬨の声は聞いていた。

 だが、早すぎる。

 数カ所に仕掛けた倒木は役に立たず、百メートルはあったはずの高低差は既に五十メートル近くにまで詰められている。


「若、後退を!」


 甚八は緊迫した声で注意を促すと、彼は素早く長い火縄銃を膝撃ちで構えた。


「蘭、魔術で伝えろ! 全員、第四防衛線まで引けと!」

「は、はい!」


 藤亜率いる奇兵隊は未だに一名の死者も出していないが、罠を動かしていた者たちとの合流はまだ完全に終わっていない。

 蘭の声が鳴り子城の天空から響く。


「奇兵隊、第四防衛線まで引け! 繰り返す、奇兵隊は第四防衛線まで後退!」


 あの騎兵の速度で突っ込まれたら、奇兵隊自体が分断されてしまう。

 僅か二十名の別働隊。

 騎兵に飲み込まれたら瞬殺である。

 徒歩の彼らには険しい斜面に生えた木々の合間を縫うように這い上がる以外、騎兵から逃れる術がない。


 その恐ろしさを肌身で知っているのが、実戦経験豊富な“居眠り”甚八である。

 彼は騎兵に狙いを定めると即座に撃った。

 放った銃弾は前から二番目を走っていた軍馬の頭蓋骨を一撃で砕く。

 馬は力なく崩れ、投げ出された騎士は悲鳴を上げる間もなく地面に叩き付けられた。

 後続が巻き添えにならなかったことに舌打ちしつつ、弾を込めようとした甚八は殺気を感じて叫んだ。


「嬢ちゃんを!」

「え――」

「――――クソがッ!」


 蘭の視界の片隅で甲高い金属同士の打撃音とともに火花が散った。

 打ち払われたやじりと振り下ろされた銃身。

 二つの鉄が激しくぶつかった残滓は一瞬で消える。

 藤亜が蘭の左肩すれすれの距離で、火縄銃で矢を打ち払ったのだ。

 常人では絶対に無理な芸当。

 だが、それが出来るからこそ藤亜十兵衛は超人なのだ。


「敵発見! 左一〇時の方向! 距離五〇! 斥候兵だ! 左翼の者は迎撃せよ!」


 藤亜が命令を下しながら牽制目的で敵兵へ向けて撃った。

 緑色の目立ちにくい軍服を着た敵兵が、まばらに生えた木々に隠れながら斜面に取り付いている。

 敵の斥候は突破を狙っていない。

 あくまでも本隊――騎兵たちの補助と支援。つまり、助攻と呼ばれる支援攻撃だ。

 敵は四名。

 味方は三名。

 内訳は森人の少年義勇兵二名と藤亜だけ。

 無視はできない。

 だが、今は騎兵の突撃を防がなくては。

 藤亜の脳裏に最善手が閃くと同時に背中の太刀を抜き、敵斥候兵へと斜面を滑るように駆け出した。


「森人は俺を援護しろ! 蘭は甚八さんを守れ!」

「わかりました!」「はい!」

「じゅうべ……ご、ご主人様!?」

「嬢ちゃん! 魔術で止めてくれ! 間に合わん!」


 逡巡して藤亜と甚八の交互に視線を向けた蘭に藤亜が叫ぶ。


「甚八さんの言う通りにしろ!」

「――は、はい!」


 藤亜が駆け出したのを視認したオルデガルド帝国陸軍斥候兵のリリアーヌも、声を荒げて号令を出す。


「――撤退! 撤退するぞ! 二組は援護! 散れ!」


 優秀な軍人とはいえ、リリアーヌは常人だ。

 二射目の準備が終わっているならいざ知らず、超人の、しかも武術に精通した相手に片手剣一つでは彼女の腕前では勝ち目がない。

 そして彼女は優秀であるが故に、生き残るには逃げるしかないことを悟っていた。


 駆け出した藤亜は、最初に斬り殺す相手として号令を下した女兵士を獲物に定めた。

 間違いなく彼女が蘭に向けて矢を放った兵士であり、そして隊長格。

 狩らなければならない敵だ。

 狙われたリリアーヌも必死だ。

 跳ぶように斜面を駆け下る藤亜十兵衛の速さは獣以上。

 具現化した殺意そのものの少年とうあに身が竦むが、四名の帝国兵はお互いに距離を広げて一気に下がった。

 そうすれば、最悪一人の犠牲で逃げ切れる。

 阿吽の呼吸で放たれた牽制の弓矢も、一振りでは防げないように微妙にタイミングをずらして放たれる。

 藤亜は足止めとして放たれた矢を太刀で打ち払うが、その分距離が開いた。


(ちっ……これ以上は)

 深追いになると感じた瞬間、藤亜は踵を返して蘭の元へと全力疾走で戻り始めた。

 木々を盾にすべく背を低くして、猟犬の如くジグザグに登るが、その分時間が掛かる。


「左翼! 牽制しつつ後退! 第四防衛線まで引くぞ!」


 藤亜は追い抜きながら、援護のために矢をつがえていた森人の少年義勇兵に指示する。

 彼らとは一緒に動かない。

 蘭と甚八に合流して、騎士団の先頭を潰すのが先だ。

 置いて行かれると思った森人の少年義勇兵は、血相を変えて第四防衛線へと走り出した。

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