6-2

 目を開くと周囲は暗闇で、シンと静まりかえっていた。

 どうやら真夜中のようだった。


 ベットから身を起こし少し見ていた夢の余韻に浸る。



 夢の内容はもちろん、やすみと過ごす夢。


 やすみに触れようとした所で目が覚めた。あと少しで触れられたのに、触れられなかった。


「やすみ……」


 もう耐えられなかった。

 我慢できなかった。

 少しでも可能性があるのなら賭けてみたかった。


 跳ね起きると、寝巻きのままコートとマフラーだけを付けなにも持たずに家を飛び出した。


 必死に自転車を漕いだ。田んぼを越え、畑を越え、国道を越え。




 途中マフラーが飛ばされた。でも、拾いに戻らなかった。

 クツ紐もほどけてぐちゃぐちゃだ。でも、結び直さなかった。


 少しでも早く、確かめたかったから。


 たどり着いたのは、山のふもとにそびえ立つコンクリートの塊。


 その建物の前に自転車を投げ出して、今度は走った。

 必死に走った。


 裏手に回り込み鉄骨階段を駆け上がる。

 誰かに気がつかれる事なんて気にせずに、音をガンガンと立てて駆け上った。

 

 体がとても軽く感じて、二段飛ばしで足を進める。


 普段ゆっくり昇った時の半分以下の時間で昇りきると、そこに広がっていたのはあの時と変わらない光景。


 頼りない照明と、自動販売機、そしてベンチ。


 俺の姿を確認したら優しく微笑んで、携帯電話をしまう少女なんてどこにもいない。


 星空をくどい程解説してくれる少女はどこにもいない。


 俺の事をからかって、快活に笑う少女の姿はどこにもない。


 そう……やすみは居なかった。



 頭ではわかっていた事。認識していたつもりだった。

 でも心は理解してくれていなかった。

 だから最後の可能性に賭けた。


 十中八九負ける賭けだと頭では理解していたはずなのに、心ではなぜか勝った気でいたんだ。


 俺の姿を見つけて微笑んで、そんな少女と一晩中他愛ない話をするつもりだった。


 興味のない星空の話だって、笑顔で聞くつもりだった。


 からかわれたって嫌な顔なんてせずに、全部乗ってあげるつもりだった。


 でも、それは……叶わぬ夢


 現状を正しく認識した心が悲鳴をあげる。

 その悲鳴は、涙となって俺の頬を伝う。


「うっ……や__み……」


 吐息と嗚咽の中間地点のような、声にならない声でやすみの名を呼んだ。

 当然返事なんてあるはずがない。


「うっ……うっ……」


 いつもやすみが座っていたフェンスに倒れこむようにして座り、空を眺めた。


 今日はせっかくの満天の星空なのに、涙のせいで滲んでよく見えなかった。



 空に浮かぶ星のどれか一つがやすみかもしれないのに……


 いや、俺にはわかる。この無数の星の中のどこかに確実にやすみがいる。


 泰明は、人が死んだら星になることを否定していたけど、やすみは星になったんだ……もう俺からは手の届かない場所で。


 そう認識した途端に胸をナイフでえぐられたような強い痛みが襲う。堪えがたい痛み。

 どんな高価な鎮痛剤でも、おさえる事の出来ない痛みが。


 こんな苦しみをずっと味わい続けるくらいならもう……

 こんな世界なんて……


 そうだよな。


 ある考えが脳裏をよぎる。


 やすみの居ない世界なんて、もう生きていても仕方がない。



 約半年前、俺は自殺に失敗した。


 でもあれは、本当は死ぬ気なんてなくて、誰かに止めて欲しくて、構って欲しくて、ただのかまってちゃんが起こした行動だった。


 でも、今は違う。心から死を望んでいる。やすみの居る場所に行くために。やすみに会うために。


 立ち上がりフェンスに手を掛け、体を持ち上げる。


 山から吹き下ろす空風がビュービューと吹いて、バサバサとコートの裾が踊った。


 そんな事は気にしないでフェンスを乗り越える。


 フェンスの先に広がっている世界は見渡す限り闇。あの初夏の日と同じ闇が広がっている。

 

 でも、あの日とは違って足は全く震えていない。



 なんの躊躇も戸惑いもなくヘリに立つと、空に向かって囁いた。



「やすみ。今から行くからな」


 ここには、俺を止める少女はいない__________








 虚空へと足を踏みだした瞬間だった。


「全く、騒がしいと思って来てみれば……そんなところで何をやっているんだ?少年」


 誰もいないはずの屋上で、いすくめようとするでもない、咎めようとするでもない、ただただめんどくさいものを見つけてしまったというトーンの問いかけだった。


 振り返る。

 そこには火のついていないタバコを口に咥えた友美が立っていた。


「……」


 俺は何も答えなかった。


「ほう。答えたくないか。それでもいい。だが、面倒事だけはやめてくれよ。後処理が面倒だからな」


 友美はそう言いながらタバコに火を付けようとするも、強風のせいかなかなか付けることができずに三回目で諦めた。


 ここで一つの疑問が浮かんだ。やすみの死を友美は知っているのか?


 やすみと友美はかなり親しい間柄だったはずだ。知っていても不思議ではない。



「……友美さん。知ってるんですか?」



「知っている?なんの事かな?」


 決して認めたくない事。口にしたくない事なのだけれど、俺は言葉にした。


「……やすみが、亡くなった事です」


 友美はあー、と間の抜けた声を出しこう続ける。


「知ってるよ」


「……悲しく、ないんですか?」


「ああ。悲しいさ」


 友美は口のはしにタバコを咥えたまま、そうのたまった。しかし、言葉とはうらはら、友美の態度は全く悲しそうには見えない。


 その態度が許せなかった。とても腹立たしかった。

 やすみはあんなに友美を慕っていたのに、友美はやすみの事を気にもとめていない。俺の目にはそう写った。


「嘘ですよね。その言葉?悲しいのなら、泣くはずです。落ち込むはずです。苦しいはずです。あなたからは、そのどれもが感じられない」


「ふっ、嘘じゃないさ。私だって悲しい。きっと慣れてしまったんだろうな。人の死に」


 風が弱まったタイミングを見計らって友美はタバコに火をつけた。今度はうまく付けられたようでゆらゆらと煙がたち昇り次の瞬間には風でかきけされた。


「それが言い訳のつもりですか?口先だけならなんとでも言えますよね。見損ないました」



「みーちゃんは、私が看護師になって初めて担当した患者さんだったんだ。もう十年程前の事になるかな」


 友美は話ながらこちらに近づいてくると、俺に背を向けフェンスに寄り掛かり


「小さい頃からあの子はずっと一人だった。病棟には同じくらいの歳の子が居なくてね。

 だから、暇を見つけては私がよく相手をしてあげていたんだ。とてもおとなしくて、優しくて、わがまま一つ言わない子だったよ。……君と知り合うまでは」


「何が言いたいんですか?」


「私はうれしかったんだ。自分をさらけ出そうとしなかった少女が、君と出会う事によって変わって行くさまが。

 だから君がここに忍び込むのを見逃してあげていたんだ、感謝したまえ」


 友美はきっと話をそらそうとしていて、

 俺に恩を着せて、無理矢理に納得させようとしている。そう感じた。


「そういうのやめてください。友美さんには失望しました」


「失望してもいい。最後まで聞いてくれ」


 まだ吸いはじめたばかりのタバコを足で踏み消し、こちらに向き返ると続けた。


「少年はみーちゃんの良い所を引き出せた。

 と言うことは、少年はそのみーちゃんの良い部分を一番近くで見ていたはずだ。よく知っているはずだ。長い期間そばにいた私より、両親よりな」


 屈み、吸い殻を手に取ると携帯灰皿をポケットから取り出し中にしまった。


 「人が本当に死ぬ時ってのは、人様から忘れ去られた時だって良く言うだろう?」


 人が本当に死ぬのは忘れ去られた時。その言葉は聞いたことがあった。小さい頃に読んだ某有名漫画の主人公も言っていた言葉だ。当時は意味がよくわからなかったけど。


「少年が生きている限り私達の知らない本物のみーちゃんは少年の心のなかで生きつづけるんだ」


「でも、そんなの……苦しいだけじゃないですか……」


「苦しい……か。

 うん。そうだろうよ。でもな少年。みーちゃんの本当の願いに気がついているかい?

 その願いを叶えてあげたいとは思わないか?」


「やすみの本当の願い……?」


 やすみには一度、願いを叶えてくれと言われた事があった。

 あの時のやすみの願いは、自身を殺してくれというとても叶てあげられる物ではなかった。


 あれとはまた別の願いという事なのだろうか?


「そうだ。

 みーちゃんは、ある小説投稿サイトに小説を投稿しているんだ。

 小説の他にみーちゃんの日記みたいなものも載っけていてね……

 少年の自らの目で確認してみるといい。それを読み終わって、まだ死にたいと思うのならその時は死を選べばいい」


 やすみの書いた日記がネットに上がっている。俺の知らない情報だった。



 やすみの残した文章。やすみの本当の願い。

 もしかしたらこの場を納める為に、友美がついた嘘なのかもしれない。


 それでも俺は、やすみの残した日記を読みたかった。本当の願いを知りたかった。


「それは、どこで見られるんですか?」


「________って言うサイトでね、『やすみ』っていうペンネームで執筆してるよ」


「ありがとうございます」


 お礼を言うや、フェンスを飛び越えて、俺は一目散に走った。


家に置いてきた携帯電話を求めて。

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