1-4

 あれは、やたら月明かりが眩しく感じる満月の夜の事だった。


 いつもと同じような時刻、示し合わせる訳でもなく俺とやすみは二人屋上へ集まり空を見上げていた。


 ろくに街灯もない田舎町の夜空は、星の観測をするには快適だ。


 やすみは、幾千もの光の中から一つを指し示し、何座のなんていう星なのだと、事細かに教えようとしてくれている。

 どこのどの星を指差していて、何を説明されているのか全くわからず仕舞いだった。

 やすみには申し訳のない話なのだけど、それは俺が星に微塵も興味がないせいなのかもしれない。


 でもまあやすみが楽しそうにしているから、これはこれで良いとして……


 思い返して見れば、やすみに救われたあの日も夜が明けるまでこんな風にやすみは語り掛けてくれたっけな……


「ねえ?涼君聞いてる?理解してる?と言うか、理解しようとしてる?」


 半分聞き流していたのがばれてしまったようで、目を半ばまで閉じた訝しげな視線をこちらに向ける。

 ムッとしているのか、腕組みをして肘を抑える指がトントンとリズムを刻んでいる。



「ごめん。聞いてはいるんだけどさ、あまりに月が綺麗だったもんだから、そっちに気を取られてた」


 とっさに出た言い訳にしては、良い言い訳をできたと思った。

 星に興味がないと告げる訳でもなく、その星の一つである月に興味がいってしまっていたと言う高等テクニック。

 きっと天体好きのやすみなら納得してくれる事だろう。



「あー、なるほどね。たしかにそれなら仕方ないかも。なんせ今日は、スーパームーンだから」


 目論見通り納得してくれたようで、やすみは満月へと視線を移す。

 しかし、聞きなれない言葉だった。


「スーパームーン?なんだそれ?」



「月って地球の回りを公転しているってのは知ってるわよね?」


「まーそれくらいは、中学の理科で習った」


 俺の返事に満足したのか、やすみは満面の笑みで頷くと続ける。


「月が描く公転ってね丸い円じゃないの。楕円形なの。だから、満月でも地上から近く見える満月と、遠く見える満月があるのよ。そして今日は、地球から最も月が近く見える日!」


 顔の横に人差し指を立て、得意気に説明をしてくれたのに悪いが、半分も頭の中には入って来ない。


「つまり、今日が一番月が綺麗に見えるって事で良いのか?」


 俺の問いを受けてやすみは、少し思案してから答える。


「うーん。人によって感性は違うから、一概にはそうとは言えないと思うけど________でも涼君がそう思うならそうなんじゃない」


 やすみの言い分には一理あった。弱々しい月明かりを見て美しいと思う人も世の中には一定数いるはずだ。


 何が美しくて美しくないのかは、見る人の主観で変わる。

 それでも俺は……

「俺は綺麗だと思うよ。今日の月」



「ぷっ、なにそれ?口説いてる?もしかして私の事好きなの?」


 やすみは吹き出すと顔の表情を弛緩させ、からかうようにそんなことを言ってきた。


 ……やすみの事を好きか?

 それはイエスかノーかと問われれば、もちろんイエスなのだけれど、恋愛感情のそれとは違う。

 命の恩人として、一人の友人としての話だ。



「んなわけないだろ。感謝はしてるけどな」



「そっか、なら良かった」


 弛緩した表情を崩さないままやすみは立ち上がると一つ伸びをする。


「私ね、決めたんだ」


「決めた?急になんだよ?」


「涼君にする願い事」


「ああ……で、なんだ?」


 やすみと自己紹介をしあったあの夜、彼女が願いを口にする事はなく、『少し考えさせて』と言われた日から一週間がたっていた。

 ようやく決心がついたらしい。

 多少、大変な事でも、お金のかかる事であろうとも俺は叶えてあげるつもりだった。



「________私と、友達になって欲しいの」


 空を見上げるやすみの表情は伺い知る事はできない。

 一オクターブ程下がった声のトーンから、先程までのにやけ面で無いことは感じ取れる。




「友達……?友達ってのは頼まれてなるもんじゃないぞ。それにさ________」



「あはははは。そうだよね。ごめんね。頼むような事じゃないよね」

 

 俺の言葉を遮り、やすみが大声をあげた。

 辺り一帯に響き渡るほどの声量だ。

 そのままフラフラとした足取りで塔屋の方へと歩いていってしまう。



「いや、あのさ______」

 追いすがるようにして俺もやすみに続く。


 やすみが一足先、塔屋の扉まで辿りつきドアノブに手を伸ばす________その時だった。

 誰も来るはずがない深夜の屋上。扉が一人出にスルリと開く。



「探したよ、みーちゃん。ダメでしょこんな時間に出歩いて」


 扉から出てきたのは少し目付きのキツい女性だった。上下白の白衣の服装からして病院の関係者だろう。


『みーちゃん』聞きなれない呼び名だが、その視線はやすみへと向けられている。



「あっ、ともちゃん。見つかっちゃった」



「『あっ、ともちゃん』じゃないでしょ、朋美さん!!ほら、さっさと部屋に戻って」


「はーい」


 促されるままにやすみはこちらを振り返る事もなく扉の奥、院内へと消えていく。

 やすみを見送ったともちゃんの視線がこちらへ注がれる。


「で、こんな時間に君はここで何をしてんのかな?……患者さんって訳ではないよね」


 やすみが居なくなった屋上。ここに居るのは俺と朋美と名乗った女性だけ。

 だとするならば、その言葉は俺に向けられたもので間違いないだろう。


「あ、あの、やすみに会いに来て……」



「会いに来て、何?はあ、もうね、面会時間はとっくに過ぎてるの。わかる?」



「は、はい。あの……」


 歳上の気の強そうな女性に射すくめられて、頭の中は真っ白。言葉が出てこない。

 そんな俺の姿に呆れたのか、諦めたのか一つため息をつくと女性は続けた。


「はぁ……まあいい。今回は見逃してあげるから、早く帰りなさい」


「……は、はい。わかりました」


 返事をすると、言われるがままに鉄骨階段へと足を向け一歩を踏み出した。


「他の人に見つかると面倒な事になるから、次はこんな時間に来ないで、昼間会いに来なさいね」


 背中にそんな言葉が投げ掛けられ、間もなく扉が閉まる音がした。


 俺は思わず振り返る。先程まで女性が立っていた扉前には、当然ながら誰もいない。


 その場に立ち尽くす俺を、一段と明るい望月ぼうげつだけが見つめていた。

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