女教師、真夜中デートに繰り出す

依月さかな

名付けと流行りの婚約破棄と真夜中デート

久遠くおんって、どうかな?」


 季節は蒸し暑い日が続く初夏。冷房をガンガンに効かせた自宅で、私はそう切り出した。


「——あ?」


 いつになく今日の生返事は声音が低かった。

 それもそのはず。今はお昼ごはんの素麺を食べている時で、まさに目の前の彼は箸ですくい上げた素麺を口の中に入れようとしていた時だったからだ。


 間が悪すぎる。私も、もうちょっと考えてしゃべればいいのに。

 だけど負けない。ここはあえて空気を読まずに押し切ってみせる。


「天狗さんの名前よ。いずれ結婚するなら名前は必要でしょう?」

「あー、そのことか。つか、いきなり言われても飲み込めねえよ」

「ご、ごめんなさい」


 そうよね、唐突過ぎたわよね。でも思い立った時に言わないと、次にいつ伝えられるかわからないし。


 目の前の彼——同居している私の恋人なんだけど、彼は人間じゃない。鴉天狗からすてんぐっていう有名なあやかしだ。

 真夜中色の大きな翼と癖のない長い髪。鋭い印象のある瞳は青。翼を除けば、彼は私が推してやまないイケメンアイドル(二次元)にすごく似ている。つまり、彼は私のタイプなイケメンなのだ。

 そんな天狗さんに私は一ヶ月ほど前にプロポーズをしてしまった。

 見目麗しい天狗さんは子連れで可愛い娘ちゃんがいる。以前に奥さんがいたのだろうとは思っていたけれど、つい先日死別していたことを本人から打ち明けられた。

 普段は勝ち気で、自信たっぷりに俺様キャラを貫いている天狗さんが、その時は違って見えた。顔をそらして目を伏せるその姿が痛々しく見えて。涙なんか流していないのに、泣いてるような気がしたの。


 だから私はなんとか元気になってほしくて、思わずプロポーズしてしまったのだった。


 うん、言いたいことはわかってる。なんでそこでプロポーズってなるわよね。

 仕方ないじゃない。だって私、天狗さんのことが大好きなんだもの!

 娘ちゃんも天狗さんにすんごく似てて、めちゃくちゃ可愛いし。


 結果として、天狗さんは私のプロポーズを受けてくれた。ということは、私は彼と恋人同士で、婚約関係にあるってことだ。たぶん。

 結婚って、実は色々と準備が必要だ。しかも相手は名前を持たないあやかし。

 だから第一スタートとして、まず私は彼の名前を贈ることにした。

 結婚するということは夫婦になるということだもん。名前がないと役所に届け出だってできないし……。


「それで、どうかしら。久遠くおんって名前。私なりに考えてみたんだけど」


 やっばい、すごくドキドキしてきた。今にも心臓が爆発しそう。

 もし。もしも、天狗さんに「気に入らねえ」なんて拒否られたら、どうしよう。

 そっと顔色をうかがうと、ぱちっと天狗さんの瞳と目が合った。とくんと心臓が、また飛び跳ねる。


「いいじゃん。気に入った」


 よ、よ、良かったぁぁぁぁぁぁぁぁ。


「じゃあ〝久遠くおんさん〟で決まりね」

「やっぱり却下」

「ええっ、なんで!?」


 意見が二転三転してるんですけどっ。

 聞き返した私を、宝石みたいな青い瞳が軽く睨んでくる。不機嫌そうに眉を寄せ、彼は言った。


「なんで〝久遠くおんさん〟なんだよ。呼び捨てでいいだろ」

「だって、俺様だから……」

「またそれか。お前のこだわりってよくわかんねえよなあ」


 あれ、私も感覚ってずれてる? 俺様と言ったら、敬語と様付けよね。そう、本音を言えば「久遠様」でもいいくらいだけど。

 でも夫婦になるのにそれはちょっとおかしいか。

 んーでも、呼び捨てかあ。それはさすがに抵抗あるなあ。


「じゃあ、久遠くおん君で。呼び捨てはちょっと……」

「仕方ねえな。それで譲歩してやる」

「ありがとうございますっ」

「だから敬語禁止つったろ!」

「あー、またやっちゃった! ごめーんっ」


 このやり取りもう何回目だろうか。

 娘ちゃんはごはんに夢中で静かだ。かえってよかったかも。この子まで会話に加わったらカオスになって収拾つかなくなっちゃう。


「あ、そうだ。彩、来週の日曜日、予定明けとけよ」

「え?」

「二人だけで話したいことがあるから」

「え、ええ!?」


 突然の誘い。これってデート、だよね? 二人だけってことは娘ちゃんは抜きってことだろうし。

 天狗さん——ううん、久遠君からお出かけに誘ってくるのは今回が初めてだった。

 だからこそ、今までにないほどの大きな不安が私を襲ったのだった。




 ☆ ★ ☆




 逆プロポーズをしてから一ヶ月。久遠くおん君は少し変わってしまった。

 私が仕事で出かけている間、今までは家事を手伝ったり娘ちゃんの相手をしていたのに、家を空けることが多くなったのだ。

 どこに出かけているのと聞いても「別に」と返すだけで、何も教えてはくれない。


 そして極めつけが今回のデートのお誘いだ。


 彼に色良い返事をもらって婚約していると思ってた。でも私だけがそう思い込んでいたとしたら、どうしよう。

 あやかしは人間とは違うもの。彼が私と夫婦になるってことは、あやかしとしての生き方を捨てて私に合わせてくれるってことだ。名前を持つってことも、実際のところそういうことなんだし。


 やっぱり結婚やーめたって言われたら、どうしよう。

 婚約破棄って今流行ってるみたいだし。


 私が一人でどんなに悶々としてたって、時の流れは残酷だ。あっという間に日曜日は訪れて、私は彼に言われるまま車を指定の場所に走らせたのだった。






 市内の山間地区へ車を走らせること数十分、案内の看板が出ている駐車場へ車を停める。

 あたりは真っ暗で、完全に日が沈んでいる。それもそのはず。久遠くおん君が指定した場所に着いた頃にはもう夜八時を超えていた。


 意外なことに人は多かった。

 家族連れだったり、私たちのように男女二人連れだったり。まあ、久遠くおん君はあやかしだから他の人には見えないだろうけど。


「彩、こっちだぜ」


 ほうけていた私の手首をつかんで久遠くおん君が引っ張っていく。主要道路から田んぼのあぜ道に入り、ぐんぐん進んでいく。

 おかしいわね。今の時期ってお祭りとかなかったはずだけど。なにかイベントごとってあったっけ?

 首を傾げる私には構わず、久遠くおん君は振り返りもせず、足を進ませた。そうして進んでいるうちに開けた場所に出て——、


 きんいろの銀河に出迎えられた。


「うわあっ、きれい!」


 鬱蒼うっそうとした杉の山と田んぼを背景に、無数のきんいろの光が浮かんでいた。糸を引いて飛び交っていて、まるで流れ星みたい。


「なかなかいい眺めだろ? この辺はホタルの保護に力入れてて、市も鑑賞できる時期に合わせてイベントを企画してんだとさ」

「そっか、今ってホタルの時期なのね」


 思い返してみれば、職場——職員室のデスクにチラシが置いてあった気がする。ずっとこの田舎町に住んでいたのに、すっかり忘れてた。


「お前に話があるって言っただろ」

「うん」


 きたーーーー! ついにきてしまったぁーーーー!!

 どうしよう。なんて言われるんだろう。やっぱり婚約破棄? 世の中にありふれた物語の中では婚約破棄されたってしあわせになる結末が多いけど、あれって別の人との幸せをつかむやつが多いよね!? やだやだ、絶対やだーーー! 私は久遠くおん君としあわせになりたいっ!

 どうしよう、目の前の景色がにじんできた。泣きそう。

 暗い中では私が心の中で大暴走を起こしてるだなんて気づいていないんだろう。視線を遠くの、きんいろのホタルに向けながら、久遠くおん君は続ける。


「そこでだ。これを渡しておく。受け取れ」

「ええっ、そんなやっぱり婚約破棄!?」

「——はあ?」


 しまった、ついに口から出てしまった。

 気まずい。すごく気まずい。穴が入ったら入りたいくらい恥ずかしい。


 久遠くおん君はしばらく黙ってたけど、盛大なため息をついたあと、私の手に何か押し付けてきた。無理やり握らされる。

 なにこれ。これって、箱? すごくちいさい。手におさまるくらいのサイズだ。


「え、待って。ちょっと待って」


 さすがにバカな私でもわかる。けれど、久遠くおん君は待ってくれなかった。

 暗闇の中、頼りになる灯りはホタルの小さな光だけ。

 なのに、久遠くおん君が自信たっぷりに唇を引き上げるのがわかった。


「待たねえよ」


 大きな手のひらにつかまれて、箱を無理やり開かされた。目に飛び込んできたのは銀色の光るリング。

 婚約指輪だった。


「婚約破棄じゃなかったーーー!」

「だからなんでそうなるんだよ!?」


 どうしよう、すごく嬉しい。目頭のあたりが熱くなってきちゃった。

 良かったよぅ。久遠くおん君にあきれられたわけでも捨てられたわけじゃなくて、本当によかった。いや、今ってたぶんちょっとあきれられてるような気もする。

 すごい、すごーい。私ってば、鴉天狗の久遠くおん君から婚約指輪もらっちゃった!


 あれれ、でもおかしいぞ。

 あやかしって、お金持ってなかったよね。これどうやって買ったんだろ。


久遠くおん君、これどうしたの? お金持ってないって言ってたのに」

「そんなの仕事始めたに決まってるだろ」

「うっそーー! どうやって? あやかしって人間には見えないんでしょう!?」

「そんなの人間に化けてるに決まってんじゃねえか。俺様を誰だと思ってんだ?」

「久遠君だよ」


 そっか、そっかぁ。日中、お家にいなかったのはお仕事を初めてたからなんだ。

 全然知らなかった。

 でも働いている間、娘ちゃんはどうしてるんだろ。あとで聞いてみよう。


「お前が俺様を生涯の伴侶として選んだんだ。なら俺様はお前がいる世界の規則ルールに従って生きると決めたんだよ。どうだ、嬉しいだろ?」

「うん、めちゃくちゃうれしい」


 胸のあたりが熱くなってくる。

 そっとリングを左手の薬指にはめれば、真夜中の外で光って見える。ほんとに私、久遠くおん君と婚約したんだ。


 実感したら、泣けてきた。

 そうしたら隣の気配が動いて、頬に流れていく涙をすくうようにキスをされた。唇に触れたところがじんと熱くなる。

 胸だけなく、顔も手足も熱を持って、私を混乱させた。

 どうしよう。でもすごくしあわせだ。


 真夜中の山や田んぼは静かだった。

 数えきれないホタルたちがきんの糸を引きながら、私たちを見守っていた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女教師、真夜中デートに繰り出す 依月さかな @kuala

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ