第6話/一章-⑤

「ほらよ!」


 俺の差し出したハードカバーを、興味なさげに紗里緒が受け取る。

 気だるげな動作で、パラパラとページを繰る。


「おまっ! ちゃんと……」


 読めよ! と言いかけた所で、響が俺の肩を引っ張った。振り向くと、何も言わず、ただ頭を左右に小さく振る。


 ……どうやら本当に読んでいるらしい。滅茶苦茶に速い。常軌を逸した速読だ。


 棒立ちのまま待ったのは、十分くらいだっただろうか。その間、ずっと紗里緒の顔を睨んでいたが、彼女の表情は一ミリたりとも変わらない。

 最後のページが繰られ、裏表紙が閉じられる。紗里緒は一つ、小さく溜息を吐いた。


「この……」


 焦らすようにゆっくりと動く口元を見ながら、俺は息を呑んだ。


「ウンコ製造機がぁぁぁぁぁあ!」


 薄暗い部屋を揺らし、校舎に響き渡る甲高い怒号。


「このクソみたいな紙束を出版するために使用した……」


 虚空を舞ったハードカバーは、


「紙とインクに謝れ!」


 俺の鼻先にクリティカルヒットした。

 思わず腰を抜かして呆然と尻もちをついている俺に、なおも追い打ちが迫る。


「アンタの犯した罪を教えてあげましょうか……」


 紗里緒の目が見開かれる。


「駄作陳列罪よ!」


 部室に沈黙が降りる。コントローラーを操作する軽い打鍵音を除いて。


「……ど、」


 どこが駄作だ! どういう料簡だ! どうして、お前がそんな事を言える! 続く言葉は色々あっただろう。しかし、俺の口から洩れたのは、たった一つの本心だった。


「……どこが駄目だった……?」


 そう。俺は自らの産み出した作品に自信が持てなかった。胸を張って、作品を誇れなかった。自分の心にさえ蓋をして、ひたすら隠してきた真実が白日の下に晒された瞬間だった。


 全てを見透かすように首を左右に振った紗里緒は、

「……全部」

 呆れるように言って、溜息を吐く。


 俺の生き方を含めて、全部……。そう告げているように聞こえる。


 不意に立ち上がった紗里緒は壁に据え付けられた棚から一冊の文庫を取り出すと、うなだれる俺に突き出した。


「……読めっつってんの!」


 今にも泣き出しそうな顔を晒したまま立ち尽くす俺に、文庫本が握らされる。

 目を落とすと、カラフルな表紙には淡いタッチのイラストで剣士と龍が描かれている。


 ライトノベル……、か?


 帯には『シリーズ累計一二〇万部突破!』の文字がデカデカと印刷されている。俺の本が四千冊足らずなので(ホントは三千二百冊で絶版だが……)ざっと三百倍ということになる。三百倍……! 理解が及ばず、意識が遠くなる。俺の場合、三千冊の内、百冊は親類縁者の手元にあるというのに……。


 俺は文庫本と紗里緒の顔を何度も見比べた。


「読まなくてもいいよ。何が駄目だったのか知りたくないのなら」


 なんで今更、ティーンズ小説? ハタチ越えても、読んでいいもんなのか?


「……でも、所詮ライトノベルだろ?」


 空気を読めない軽口に、


「所詮……ですって?」


 紗里緒の顔色が変わる。負の気配を察知した俺は、椅子に座ったまま後退る。


「……だ、だって、子供向けの小説じゃないか! その名の通り、読みやすくて内容の軽いライトな文庫……。こんな挿絵満載の小説なんて、絵本の親戚みたいなもんだろ!」


 振り上げられた腕が俺の襟首を捻り上げ、


「作品に大人も子供も関係ない! 面白いか面白くないか、でしょうが!」


 激しい怒号とともに突き放される。


「それ……」


 いつの間にか、もう一台のパソコンを相手に作業をしていた響が口を差し挟む。


「シャルちゃんの作品なの」


 ……なっ⁉ こいつも……? プロの作家……なのか⁉


 驚きの反面、この生意気な美少女を屈服させたい衝動が身体を揺さぶる。所詮は高校生の書いたライトノベル……。勢いとまぐれで本になったに違いない。文法や構成の点で見れば、純文学と比するに値しないだろう。俺の中にプライドという名の野心が、やりこめられた怒りとともに湧き上がってくるのを自覚する。


「……吠え面かくなよ」


 ライトノベル程度と純文学を並べるんじゃねぇ。これでも伊達に大学院まで行ってねぇんだよ。文章は研究し尽くしてる。アラを見つけて、あげつらってやる。


表紙を捲る。中扉は少年と……半裸の少女……。なぜ脱がす! こういう所が苦手なんだ……。色々と思うところはあるが、読んでやるよ……。俺の尊厳を守るために!


 ページを繰る。繰り続ける。

 しばらく俺は立ち尽くしていた。最後のページを繰り終えると、裏表紙をそっと閉じる。


「……つ、」


 つまんねぇ! ツッコミどころ満載だな! ついていけねぇ! 吐き捨てる言葉の選択肢は色々あった。しかし、俺の口から洩れたのは、たった一つの本心だった。


「……続きは?」


 パソコンの画面から目を逸らすことなく、紗里緒は無感動に棚を指し示した。

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