第3話/一章-②

「……とまぁ、以上が一日の流れですね」


 終礼が終わり、書類をまとめながら、相模原穂乃果さがみはらほのかは独り言のように呟く。学期末の忙しいさ中、新人の教育係を押し付けられた悲しき女性だ。


 俺と同い年の、二十四歳。年齢よりも幼く見えるのは、華奢な骨格と背の低さ。それに、生まれつきの童顔によるものだろう。大人っぽく栗毛に染めたポニーテールは、背伸びした幼女のようで微笑ましい。女子高生の群れに飛び込むと、まるで見分けがつかない。それどころか、中学生にさえ見える。しかし、キャリアと経験を持ち合わせた、格上の先輩であり、なにより、顔立ちが非常に整った年頃の美女だ。早速、こんな素晴らしい出会いに巡り合うなんて……俺は神の気まぐれに感謝した。女っ気のない研究室通いだった俺にとって、コンビニ店員以来の女性との会話かもしれない。素っ気ない『温めますか?』の問いに、死んだ声で答える『はい』が会話に含まれるのならば、だが……。


「今日の仕事は終わり、かな?」

 突然、背後から野太い声を掛けられ、お花畑状態だった俺の意識が、一瞬で雑然とした職員室へ引き戻された。脳内を見透かされたかようなタイミングに、肩を竦めてしまう。


「こ、校長先生!」

 その姿を認めるや否や、思わず立ち上がる。路頭に迷いつつあった俺を拾ってくれた恩人だ。


「初日はどうだったかね? まぁ、徐々に慣れていってくれ」


「あ、ありがとうございます!」

 何度も深く頭を下げる。正規教員になれるかどうかを左右するキーマンだ。全力でゴマを擦っておいても、擦り過ぎるという事はないだろう。


「では、最後に少し話をしよう。校長室まで来てもらえるかな?」

 許しを乞うように目配せした俺に、相模原教諭は小さく頷いた。


「あ、相模原先生も一緒に来てもらえるかね。私一人だと、どうも……」

 その濁したような言い方が気になったが、この童顔の美女となら、たとえ火の中、水の中。


「え、えぇ。わかりました」

 何かを察した相模原教諭の表情が曇る。その様は、泣き出しそうな小学生のように見えた。


 二人して、校長の後に続き、職員室と扉一枚を隔てた校長室へ入る。立派な革張りのソファへ促され、平卓を挟んで向かい合う。隣には相模原教諭が腰かけた。


「……早速なんだが」

 前のめるように顔を突き出した校長の話を、背筋を質して拝聴する。


「部活の顧問をやってほしくてね……」


「顧問……ですか?」


 嫌な予感は当たった。もちろん、部活の顧問なんてやりたくない。そんな余暇があるなら執筆に充てたい。しかし、そうもいかないだろう事は事前の調べで分かっていた。就業前からある程度の覚悟はしていたが、俺はとぼけたように聞き返した。


「そうだ。生徒とのコミュニケーションもとれるし、君のスキルアップにもつながるよ」

 体のいい残業要請だった。


「経験を積んで、ステップアップを目指そう」


「はぁ……」

 それを言われると、断りようがない。気のない返事が空気とともに口から洩れる。


「しかし、何の部活でしょう? 私に教えられる内容ならいいのですが……」

 運動部の経験は無い。指導のしようがない。それに、土日が潰れてしまうのも嫌だ。


「そこは、ほれ、君、作家なんだろう? 君に丁度いい部活があるんだよ」


「えっ⁉ 作家さんなんですか⁉」

 叫びにも似た感嘆で横やりを入れたのは相模原教諭だった。


「そうなんだよ! 出版社から本を刊行しているプロだぞ」


「こ、校長先生!」


 俺は就職面接を思い出した。やけに執筆活動について、突っこんだ質問をされた覚えがある。大学院へ進んだ理由でもあるので、包み隠さず話したが、それをこんなあけっぴろげに暴露されるとは思わなかった。


「どんな本なんですか?」

 相模原教諭は興味津々だ。


「歴史小説ですよ。しかし、全然売れない、しがない底辺作家です」


「いやいやいや、すごいですよ! 自分の作品が、本になるんですから……」

 俺を見つめる相模原教諭の瞳は羨望とちょっぴりの憂いに満ちている。


「あ……」

 そんな彼女の瞳が何かに気づいたように見開かれた。


「校長先生……まさか……」

 何かを警戒するように、恐る恐る校長へと視線が移る。


「あぁ……その『まさか』だ……」

 急に空気が凍る。二人とも黙りこくっている。


「で、何部なんです?」

 話について行けない俺は何気なく聞いた。


「それはな……」

 校長は口に出すのも憚られるように、生唾を飲み下す。


「……総合文芸部……だ」


 文芸部?


 一瞬、俺は、あぁ、良かったと思った。それなら俺にも教えてやれそうだ。

しかも、文芸部なら土日の活動なんて無いだろうし、練習も、遠征もない。部室へ行く必要すらないかもしれない。職員室で雑務をこなし、冷やかし程度に部室を覗けばいいだろう。放課後を有効に活用できれば、家での残業もなくなるわけで、その時間を執筆に充てられる。


 うん。悪くない。顧問を避けて通れないならば、一番いい選択なのではないだろうか。


「いいですよ。文芸部ですね?」


 簡単な利害計算の後、俺は安易に請け負った。


 それが地獄のはじまりとも知らずに……。

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