第2話/一章-①

 ――話は一時間前にさかのぼる……


 高校教師とは、非常に魅力ある職業である。


 未来ある若者の先達として、勉強に、青春に、悩み苦しむ子羊たちを導いていく……なーんて、建前でしかない。小生意気な生徒の相手、上司と保護者からの絶え間ないプレッシャー、放課後と休日は部活動の顧問……。魅力があるとすれば、安定した収入くらいのものだろう。教職に対して先日まで何の熱意も持ち合わせていなかった俺が今、この学園に立っている理由は、ひとえに糊口を凌ぐためである。


 運の尽きはじめは、大学三年で受賞した、小さな老舗出版社の文学新人賞。次点ではあったものの、念願の本となり、出版された。産まれたてのハードカバーを撫でたあの時の興奮と感動は、今でも昨日のことのように思い出す。どこが不運だって? 本題はこれからだ。今にして思えば、受賞の大きな喜びは、連綿と続く不幸のキッカケに過ぎなかったのだ。


 己の実力を見誤り、調子に乗った俺は、書いた。書きまくった。おだてられた豚が喜んで木に登るが如く書き続けた。最初の一年間はボツの連発。友人と疎遠になっても、彼女に振られても、仕方が無いと簡単に割り切れた。大学四年に上がっても、就職活動はそっちのけ。量を書くことを最優先するために、大学院へ進学することにした。まぐれ当たりの新人賞は両親の目も眩ませた。大学院という名のモラトリアムを手放しで許してくれたのだ。しかし、一年と半年が経っても、わずかな印税が振り込まれるばかりで、新刊を出すことは叶わなかった。


 ネットの名も知らぬ誰かが言っていた。作家になってからが地獄の始まりだ、と。そんな忠告を眉唾扱いし、あっさり聞き飛ばしていた当時の俺をブン殴ってやりたい。作家になりさえすれば、本を出せさえすれば、その先、輝かしい人生が待っていると妄信していた。


 そして先々月、老舗出版社は前触れなく潰れた。経営陣は夜逃げ。担当編集は雲隠れ。それまでひっきりなしに掛かってきていたダメ出しの電話は突如、音信不通になった。意気揚々と昇りきった先の景色を見た瞬間、梯子は外された。燦然さんぜんたる未来は暗闇に堕ちた。


 人生設計の方向転換を余儀なくされた俺は、なけなしの資格を総動員し、遅ればせながら就職活動に励んだ。しかし、結果はお祈りメールの嵐。見かねた研究室の教授が、私立高校の職を斡旋してくれた。なんでも、急な退職者が出て、教員の席が空いているという。採用試験の結果はあっけなく、合格だった。七月という中途半端な時期からの即日勤務開始を条件に、晴れて常勤講師に採用された。実績次第では、正規教員にステップアップできるらしい。俺は迷うことなく大学院を中退した。なんとか首の皮一枚で社会のレールにしがみついている心境だ。


 生活が落ち着けば、執筆を再開すればいい。落胆と諦念を見て見ないふりして、自らを奮い立たせる。社会人一日目の俺は、既に自分を欺くことを覚えていた。


 私立高村学園

 明治期に活躍した大作家、高村十座たかむらじゅうざを祖とするこの学園は、首都の西のはずれ、高村生誕の地にある。東京といえば聞こえいいが、周囲を山と畑に囲まれ、牧歌的な雰囲気が漂っている。空気が美味い以外、特筆すべきこともない郊外の学園都市だ。この学園の特徴は、幼稚舎から大学院までのエスカレーター式、長期一貫教育にある。広大な敷地に大小様々の研究施設と、全国有数の蔵書数を誇る巨大な中央図書館を備え、生徒は学年・学部を問わず、自由に使用できる。飛び級も珍しくなく、枠に捉われない、個性を伸ばす教育を身上としている。


 そして、全国でも珍しく高等部に文学科を有している。大作家の本流を汲んでいるだけあって、教師陣の層は厚く、力の入れようは半端ではない。脚本家や翻訳家を多く輩出する一方、近年では直木賞作家の晴河夏彦はれかわなつひこ氏も、本学科の卒業生である。そんな伝統ある高等部の文学科に、底辺作家の端くれである俺が採用されたのは不思議でしかない。


 俺が最も目をみはったのは、女性率の高さである。高村十座の妻である雷電倫子らいでりんこは、女性教育に熱心だった。昭和期まで女子高だった名残もあり、圧倒的に女生徒が多い。また、女性が働きやすい職場という事で、厚生労働省から『プラチナえるぼし認定』を受けている。そのため、教職員にも女性が多いのだ。パートナーが去って久しい俺も、結婚がチラつくお年頃……。素晴らしい出会いがある事を願わずにはいられない。


 そんな邪な妄想を抱く俺の姿は職員室にあった。

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