真実の夜

サトウ・レン

真実の夜

 真実の夜が、目を醒ます。


 しん、と静まり返った世界に、闇だけがどこまでも広がっている。常夜灯が頼りになった景色の中に、あなたは立っている。気付けば、桜並木に挟まれた道の路肩にいて、どういう経緯で自分がそこにいるのか、あまりはっきりとしない。まるで夢遊病者のようだ、とあなたは思った。


 車の走行音さえも聞こえない。真夜中の田舎町なんて、そんなものだ。市内に行けば、カラオケやファミレスを陣取るヤンキーたちなんかがいるかもしれないが、ここには何もない。真夜中、出歩いたところで、娯楽めいたものは。


 あなたは、歩を進める。


 あてもなく、というわけではない。たぶん自分はここを目指している、とそんな予感に従ったのだ。桜並木を抜けると、そこには毎日のように見てきた建物がある。深い闇夜を背景にしてそびえ立つ姿には、どこか異様な、言語化することの難しい、圧迫感があった。見慣れたそれに、そんな印象を抱いたことなんて、いままで一度もなかった。夜が、そうさせるのだろうか。


 あなたの通っていた中学校がある。つい先日、卒業式を終えて、もうあなたはその学校の男子生徒ではないが、まだ懐かしむにはあまりにも早すぎて、在校生のような気持ちは抜けていない。


 顔ははっきりとしないが、ふと見上げると、校舎三階のベランダにひとの姿を見つけた。


 学生服を着ていることは分かった。あなたがかつて着ていたものと、まったく同じだ。制服に付いた金色のボタンは、黒く染まった世界にあっても、よく映える。うちの学校の男子生徒だろうか、とあなたは首を傾げる。だとしたら、相当な不良生徒だな。あなたは、自分のことを棚に上げて、そんなことを考えた。


 彼の姿が、教室の中へと消えていき、その場所に明かりがつく。まるで誘っているようだ、とあなたは思った。


 あなたは学校の中へ入ることにした。正門は閉じていなかった。生徒玄関も施錠されていない。そんな不用心なことがあるだろうか。普通はありえない。だとすれば、先ほどの彼の仕業なのか。そう思った途端、どきどき、とあなたの緊張感が増す。


 生徒玄関から階段へと向かう間にある廊下を歩いていると、突然、背後から、からん、と音がした。びっくりして振り返ると、竹刀が一本、落ちていた。あなたは剣道と縁もゆかりもないが、その竹刀を見ると、真っ先に思い出すことがあった。


「好きな子ができたら、どうしたらいいんだろうな」

 困った口振りで、そう言っていた彼は、あなたの友達だった。彼の言葉を聞いて、あなたは、意外だな、と思った。硬派な性格の彼が、女の子の話をするなんて、本当にめずらしいことだったからだ。


 その彼が、剣道部だったのだ。


「好きな子か……。めずらしいな、そんなこと言うなんて」

「言うなよ。恥を忍んで聞いてるんだから」

「好きなら、告白すればいいだろ。……で、誰なんだよ」


 そんな話をしたのは、二年生の頃だ。十四歳、まだ未来があると信じて疑っていなかった頃だ。すくなくとも、あなたは。彼がどう思っていたかは、分からない。彼は硬派だが、繊細で、厭世的だった。そのどこか矛盾した感じのところが、あなたにとっては魅力に映った。あなたは何をするにも自信がなく、気弱な性格だったからだ。


 あなたは竹刀を手に取り、三階へと向かう、階段をのぼっていく。


 途中の踊り場で、何かが落ちてきた。一枚の写真だった。なんで、これが……、とあなたは思わず息を呑む。彼女と彼、そしてあなたが、三人でうつる写真だ。彼が自分の部屋で大切に保管していたことを、あなたは知っている。最後に彼の部屋でその写真を見掛けた時、罪悪感で心が苦しくなった覚えがある。


「佐々木だよ」

「佐々木?」

「そんな意外そうな顔しなくても、いいだろ。仕方ないだろ、好きなんだから」


 確かに意外だった。あなたは本心を、彼に気付かれないようにした。ばれたら、友人関係にもひびが入ってしまいそうな気がしたからだ。同じひとを好きになる、なんて思ってもいなかった。たとえばこれが学校で一番の人気者とかなら分かる。だけど彼女は、そういう目立つ雰囲気の女子生徒ではなかった。どんなきっかけで好意を持つようになったのかも覚えていない。あまり感情を出さない彼女が、ふいにあなたに向かってほほ笑みかけてくれた、とか、きっとそんなことだろう。


 応援するよ。そう言った、あなたの声は震えていた。


 彼と彼女が心を通わせていく様子を眺めながら、後悔していた。あんなこと言わなければ良かった、と。彼女のことが好きだ、ともっと自己主張をしていたならば、彼女の横に寄り添っていたのは自分だったのではないか。それで彼を嫌いになることはなかったが、嫉妬心を抑えるのは難しかった。


 これは三人で遊びに行った時に、撮った写真だ。あなたの分に、と渡された写真もあったが、貰ってすぐ、あなたは捨ててしまった。


 写真の中で、三人は笑っている。だけどあなたの表情は、笑顔を貼り付けていても、その奥には隠しきれない暗さがある。ふたりには気付かれていない自信はあっても、あなた自身は分かってしまう。


 あなたは、写真を胸ポケットに入れ、ひとつ息を吐く。


 ふたたび階段をのぼり、三階に着いたところで、あなたは封筒を見つけた。

 裏面のあて名の欄は、白紙のままだ。中から、手紙を取り出す。渡されなかったラブレターだ。あなたではなく、これは彼が書こうとしていたものだ。彼と彼女は、お互いが相手に対して恋心を抱いていて、あなたを含めた周りは、ふたりの気持ちに気付いていた。だけど当人たちだけが、相手の感情に鈍感だった。だから交際するまでにはいたっていなくて、その状況を打破するためにラブレターを書こうとしたことを、あなたは知っている。いくらでも伝達手段のある現代で、敢えて恋文という手段を選ぶのが、古風な彼、らしい。


 手紙には、決して綺麗とは言えない文字が並んで、

 そして途中で終わっている。


 暗い廊下の先に、光を見つける。学生服の謎の生徒がいた教室は、すぐ、そこだ。もう気付いている。誰が、あなたを待っているのか。


 教室に入ると、懐かしい顔がある。机に座り、あなたを見る彼はまだ、十四、という年齢のままだ。


「久し振り」

 あなたの言葉に、彼はほほ笑んだ。あぁ久し振り、と。


 彼が死んだ、と聞かされた時、あなたは真っ先に自殺だ、と考えた。ときおり彼は、生きていることに意味なんかない、と吐き捨てるように言うからだ。厭世的な彼ならそういう行動を取ってもおかしくない、とあなたは思ってしまったのだ。しかし実際はまったく違った。繁華街に行った時、偶然ひったくりの現場に居合わせた彼は、その犯人からバッグを奪い返そうと揉み合いになり、その時に思いきり頭を打ちつけたのが原因で、亡くなってしまったらしい。あなたもあとになって、それとなく聞かされただけで、詳しいことを知っているわけではなかった。


 書きかけのラブレターは、ピリオドを打たれることもなく、終わってしまった。彼の死によって。


「また会えるなんて思わなかった……」

 ――そりゃあ、俺は死んでるんだからな。


 と彼が言って、あなたはその彼らしい言い回しに、笑ってしまった。


「幽霊でも、会えて嬉しいよ」

 ――勝手に、幽霊にするな。


「でも、生きてはないだろ?」

 ――まぁ、な。


 そこで、お互いの言葉が止まり、静寂の時間が続く。


「こう、色々会って言いたいことがあったはずなのに、実際に会っちゃうと、何を言えばいいか分からなくなるな」

 ――彼女は、元気か?


「元気だよ。……いまは、僕と、……付き合っている」


 言いよどみつつ、あなたは答えた。どれだけ隠したくても、これだけは言わなければいけないような気がしたからだ。


 彼が死んだあと、彼女はあまりにショックが大きかったのだろう。それは表情にも、行動にも、表れていた。似合わない非行に走ったりしたことも知っている。このまま彼女も死んでしまうんじゃないか、と不安になることもあった。そんな彼女に、ある時からあなたは、ずっと付き添うようになった。すこしでも彼のいない悲しみを和らげることができたら、とあなた自身の心にまで嘘をつくのは卑怯だろう。あなたは彼女が好きだったのだから。下心は間違いなくあったし、その自身の心を嫌悪したこともある。


 ――そっか。

「怒らないのか?」


 ――お前はもともと好きな子に、好き、と言った。それだけのこと、さ。

「気付いてたのか……」


 ――そりゃあ気付くさ。友達、だからな。


 黒板の上に付けられた時計を見ると、時刻は午前二時を指している。あなたはここまで来る中で、現実の自分が置かれている状況を思い出していた。


「僕を連れて行くつもり?」

 ――んっ? 何を言ってるんだ。お前が勝手に来ただけだろ。


「だって、いまの僕は」

 ――こっちに来るな。待っているひとがいるんだろ。


 と、彼がほほ笑んだところで、



 真実の夜が、目を醒ます。



 気付くと、あなたは真っ白な部屋の中にいた。一瞬、そこがまだ教室の中だと勘違いしてしまったが、すぐに現実のいまに自分はいるのだ、と思い直した。病室のベッドの上で、あなたの周りを家族と、そして彼女が囲んでいる。あなたの姿を心配そうに見ている表情が、驚きに満ちていくのが分かった。


 奇跡だ。

 そんな声が聞こえた。看護師かお医者さんか、誰が言ったか、は分からない。


 だって、こっちに来るな、って言われたから。

 そう言おうとして、やめることにした。

 たったひとり以外には、秘密にしよう、とあなたは決めたから、だ。



 ちょっと物語っぽく、してみたんだけど、どうかな?


 信じてくれないかもしれないけど、って自信なさそうだったね。

 でも大切なひとふたりの間に起こった、物語のような出来事を、語り聞かせてくれたあなたを、私は信じているよ。

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