【真夜中】たぶん何かのプロローグ

ながる

十六夜

 少し風の強い夜だった。

 丘の上に設えられた祭壇に、流れる雲の影が落ちていた。

 傍らに佇む人の影も、雲の影に飲み込まれていく。ほぼ丸い月が柔らかく照らし出す夜は、水蒸気の塊ひとつで簡単に闇に浸食されて、人々をより深い眠りにいざなう。


 祭壇にはまっさらな白い布がかけられ、そこに女性が寝かされていた。一糸まとわぬ白い肌。闇が降りても、ほんのりと内から照らされるように人の形が浮く。

 白い布と、傍らの人物の長いローブが風にはためいて、時に翻る。自分に当たりそうになる布を遮るように軽く手を上げて、その人物はぶつぶつとなにか呟いていた。


 風の音にもかき消されるその声が、白い肌に纏わりついて闇を呼ぶ。

 ピクリとも動かずにいた女性が、僅か、身じろぎした。身体の端から闇が染みこむように白い肌を染めていく。

 浸食が進むごとに、女性は苦しそうに喘いだ。細かく震える身体は、けれど何かに縛り付けられているかのようにそれ以上動くことはない。

 闇色がその身体の中心部にまで手を伸ばした時、彼女はこらえきれないように、ひときわ高い声を上げた。上げようとした。

 傍らで一部始終を眺めている人物の手で口を塞がれたために、残念ながらその声は風の音に紛れてしまったけれど。

 幼子を嗜めるように、優しく柔らかで、その手には絶対的な圧が乗せられている。


 完全に闇に染まった身体は、今度は端から白さを取り戻していく。隅々まで広がったものが、今度はその芯に集まるように。

 女性の震えが大きくなる。甲高かった喘ぎは、低くうなるように姿を変える。

 口を塞いでいた長い指が、彼女の口に押し入り、震える舌をひと撫でした。その指を噛み切らんばかりにと食いしばられても、その人物は動じない。唇に小さく微笑みを乗せて、赤子を愛おしむようにゆっくりと、何度も、暴れようとする舌を愛撫する。間違っても、噛み切らせたりしないために。


 集まって、闇よりも黒々と染まったものは、彼女の心臓をもてあそぶように染め上げた後、頸動脈から脳へと潜り込んでいった。一度反り上がった彼女の背が、力なく白い布に落ちる。

 僅かに眉を寄せ、動きを止めたローブの人物は、舌先が求めるように指に絡むのを感じると、安堵したようにその手を除けた。

 歯形は深く、赤い血が指先まで伝っている。その指を、今度は彼女の男を知らぬその場所へと侵入させていく。

 その胎へ己の血でまじないを刻み込んだ時、月を覆っていた雲が切れた。


 巻いて、一際大きく吹いた風が、ローブの目深にかぶっていたフードを取り払う。

 白く、柔らかそうな短髪がその風に踊った。だが、目元を隠す黒い布の仮面は、そよりとも動かない。

 月光が祭壇を照らす。

 大きく開いた女の口からは、もう何も出て行くものはない。その代わり、彼女の両目から闇が吹き上がった。見事だった彼女の金の髪が、色を吸われたように白く変わっていく。闇は祭壇の白い布を真っ黒に染め上げて、夜へと紛れていった。


 ほんの一時、風が止んだ。

 ローブの人物は女に白い目隠し布をつけ、黒く染まった布で彼女をくるみ抱き上げる。

 しばし空を見上げると、満足気に赤い唇をほころばせた。


 十六夜いざよい。進まぬ月。

 どうあがいても十五夜満ち足りたものになれぬ月。

 彼女になんと似合いだろう。


 ローブの人物は、その場の闇に紛れていた、もうひとつの黒い布の塊を足で転がした。

 月明かりにさえ、輝くような白い髪がこぼれ落ちる。

 短い就任期間だった。彼女が『預言の巫女』に就いたのは、昨日の太陽が天の頂にある時。


 ――歴代最短かなぁ……


 呟きは、再び吹き始めた風に流されて消える。

 もう一度こつんとつま先で小突けば、それは髪の先からサラサラと崩れて、風に飛ばされていった。

 残った小さなナイフが、カランと音を立てる。

 流れる雲が、再び月を覆い始めた。

 フードを目深にかぶり直し、その人物は歩き出す。


 波乱の時代の幕開けに、胸を高鳴らせて。






※十五夜は必ずしも満月ではなく、十六夜が満月になることもありますが、ここでは月齢を指しているのではないことをご了承ください。異世界ですし。念のため。

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