第26話
「あなたは部外者だから」と言うヨゾラの言葉はもっともだ。
僕はただのお金を払って宿泊や食事のサービスを受ける人。それ以外の何者でもない。
彼女の言葉の銛は浮かれ、奢っていた僕をブスリと突き刺した。ヨゾラに嫌われてしまった。
僕が彼女の秘密を暴いた事については謝罪をして、それ以上責められる事はなかった。しかし、その瞬間から何かが決定的に変わってしまった。
追い出される事はないし、食事も出る。必要があれば会話もする。ヨゾラは一見、前と何ら変わりはない。
しかし明らかに空気が違う。海はどんよりとし、生ぬるい湿度を帯びた風が窓を揺らす。
僕がやってしまった越権行為について触れないのは、僕が客であるからだろうか。
それとも自分の貯金とは言え保管されていたキャッシュカードに手をつけて、高校をサボって沖縄に来るような奴には何を言っても無駄と思っているのか──僕は部屋から出る事が出来ず、意味もなくインターネットサーフィンを続けている。すぐ近くに最高の海があるのに引きこもっている僕は、今この島で一番愚かな男だろう。
「なーにやってんだか……」
中途半端に開いたドアの向こうから、ヨゾラがこちらを見ていた。慌てて飛び起きる。
「他のお客さんが来るから、男子とは言え閉めといた方がいいんじゃない?」
その言葉にヨゾラが僕の様子を見に来てくれたのではなく、ただ単にだらしがないことを注意しに来ただけだと理解し、心は沈む。しかしそれは自業自得なのだった。
「ぐだぐだしてるなら……お手伝いをしてくれてもいいのよ?」
様子があまりに哀れすぎたのか、それともただウザかっただけなのか。とりあえずの、ヨゾラの以前と変わらない言葉にほっとする。
距離感を間違えなければ、まだやりなおせる──裁判にかけられて、実刑ではなく執行猶予になった被告人の感情はこんなものかもしれなかった。
「何をすればいい?」と尋ねようとして、その前に自分が出来る事は庭の手入れと風呂掃除、買い物の手伝いぐらいしかない事に思い至る。
僕はもちろん医者でもなく、大工仕事も車の運転もできない。ひたすらに無力なのだった。
僕に与えられた仕事は野菜の皮むきだ。ピーラーで延々と処理をしていく。おじさんは宿泊客の送迎をしに港へ向かった。夏休み中の有名大学の旅行サークルだ。想像しただけでげんなりとした気分になるが、態度に出ないよう今から笑顔の練習をする。
車の音が聞こえ、その後すぐに外がガヤガヤしはじめたのを聞き「ここは自分だけの楽園である」と言う自分勝手な妄想の世界が破壊されたことを改めて知る。
「こんにちはー! お世話になりまーっす!」
明るい男女の声は反射的に自分とは違う界隈の人間だと感じ、身体が縮こまるような感覚にとらわれる。
僕が仕事を頼まれたのは、彼らが民宿に到着するまでの時間だ。エプロンを外し、そっと自分の部屋へ戻る。
再び畳の上に転がってスマートフォンをいじる。
家族からの連絡をシャットアウトするためにインターネット断ちしていた頃は随分時の流れが違うと思っていたのに、今はあっという間に数時間が過ぎ、かつ、つまらない。
僕は意味もなく、旅行サイトの口コミを見ていた。海が近くない『民宿へんな』はあまりレビュー数が多くない。しかしその評判は上々だ。
『お父さんと娘さん、お二人で経営されている民宿です。建物は古いけれど、綺麗に掃除されており、ほっこりまったり出来る素敵なお宿です』
『従業員さんの心遣いが素晴らしいです! よく出来た若おかみが出迎えてくれます』
『朝昼晩、美味しい沖縄の家庭料理をいただけます。なんと、状況によってはリクエストも可!』
『お宿のお姉さんの話が面白い。お願いすれば、お弁当のサービスやスーパーへの送迎もあり』
レビューの中のヨゾラは親切だ。僕にしてくれた事は、どのお客さんにもしているサービスに過ぎない。
僕は一体、ここで何をしているのだろうと自問自答する。
『お前、どこにいんの!?』
その時、まるで救いの手かのように、ケンスケからメッセージが来た。
体調は大丈夫か? ではなくどこにいるの、と来た。どうやら彼は僕がどうなったのか、薄々は感づいているみたいだ。
『別に』
『うわ、返事来た!』
そのメッセージと同時に、すぐに電話がかかってきた。今は暇なので、それに応答する。
何より、楽しそうな笑い声が民宿いっぱいに満ちていて、そこから「ハブられている」様な気分で正直苦しいのも理由の一つだった。
『家出少年ハルト君、お元気ー?』
ケンスケの馬鹿でかい声を、まるで数年ぶりに聞いたような気さえしてくる。
『よくわかったな。うちの親、そういう事は言わないだろ』
『そりゃお見舞いぐらい行くだろ。んで、明らかに空気が変なわけよ』
ケンスケ曰く。お見舞いに行っても会わせて貰えないし、かと言ってどこそこに入院しているとも聞かないし、これはとうとう『おばさんがハルトを殺害して東京湾に捨てたのかもしれない』と疑惑が浮かび上がってきたらしい。
その物言いが可笑しくて、思わず変な声が出てしまう。
『誤解するなよー。俺は、別にお前んちのおばちゃんがそーゆー事する人だって思ってる訳じゃないからな。でも俺の顔を見るなり、ごめんなさい、って……なんで俺に言うのか全く意味不明だし、言い方悪いけど普通じゃなかったから……これはやべえ何かが起こってると』
一旦会話が途切れた後、ケンスケは自分の推理を披露し始めた。連絡もつかず、一体僕はどこに行ってしまったのか? 彼は考えた末に、こっそりと駅前でクリーニング屋を営む自分の祖母に悩みを相談した。
すると彼女は『月曜日に、私服でいつもより早い時間に駅にやってきた僕を見た』と言ったのだそうだ。
『ばあちゃんの言うことだからよ。記憶がごっちゃになっている可能性もあるけど──自分の意思でどっか行ったなら、まあ、そのうち連絡もつくだろうと』
『学校はどうなった?』
『急性胃腸炎か、肺炎か、それか鬱かなにかと思われてるっぽいな』
『まあ、そうなるよな』
『で、結局どこにいるわけ? 栃木?』
『いや。沖縄』
『沖縄ぁ!? なんで!?』
なんとなく流れで、と言うとケンスケは盛大なため息をついた。
『大物だな……もう一週間近いだろ。このまま移住つうか……転校でもするのか?』
『いや……』
現状、何もプランはない。
『離島の交換留学制度とかあるよな。不登校の子供とか、親戚の子とかが地方の学校に転校するやつ』
『でも、この島には高校がないからな』
『お前本当にどこにいんだよ!?』
『離島』
『離島って石垣島とか?』
『もっと田舎』
『へー。うん。でも、お前アウトドアの趣味ないじゃん。長瀞に行ったとき、『水難救助の講習の事覚えてるか?』ってビビってたイメージしかない』
『そうだっけ……』
平均よりはずっと泳げるし、海に入った時はそれほど不安はなかった。しかし記憶を掘り起こしてみると、確かに僕はケンスケ一家と訪れた川下りに怯えていた記憶がある。やはり僕よりケンスケの方が記憶力が上なのだろう。
『それで、どーすんだよ。結局どこにいんの? てか、マジで何があった? 家出するなら、手始めにウチに来れば良かったのに……』
渡嘉敷島、としぶしぶ答えると、端末越しにカタカタとキーボードを叩く音がした。
『ほー。めっちゃリゾート。なんだ心配して損した』
『すまん。色々と。心配してくれてありがとな』
根本的な原因は他の所にあるとは言え、家庭崩壊のささいなきっかけが自分の話題だと聞いたら、ケンスケはきっと悲しむだろう。彼は本当に良い奴なのだ。
『え、やっぱりお前の家、俺に対してなにかした?』
『なんでもないよ──それじゃ、また』
俺も沖縄行きてえ──通話が終わったはずなのに、ケンスケがそう呟いたのが聞こえたような気がした。
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