第23話
「ヨゾラちゃん、これ母さんから。この前診療所まで送ってくれてありがとうね。もー。おばあちゃんたらあんたもあの子を見習って真面目にやんなさい!だって」
「うん。またいつでも。旦那さんの仕事が見つかったら、また出ていくの?」
「今、ホテルの面接受けてて。まあ調理師の免許持ってるから雇ってもらえるとは思う」
「そうなんだ。うまくいくといいね」
僕は今、ヨゾラと彼女を訪ねてきた同年代らしき島民の会話に耳を傾けている。僕の身分が「民宿へんな」預かりになった事で、ある意味大手を振って島を闊歩できるようになった。そのため、今は手伝いとして返却されたレンタカーのシート部分を点検している。
「あの人、最近よく見かけるけどバイトの人?」
「そんなところ。ねっ、沢田さん」
「あ……はい。こんにちは」
車からぺこりと頭を出し、礼をする。
「すいません、これ冷蔵庫に入れておいてもらえますか?」
ヨゾラは非常に丁寧な言動で僕にタッパーを差し出した。余計な事を言うなよ、を通り越して動きが不審だからどっかに行けと言うのである。
「わかりました」
ちょうど一仕事終わった事だし、と煮物の入ったタッパーを冷蔵庫にしまい込んでいるとエンジン音がして来客が去った事を知る。見送りが終わったらしいヨゾラはいつものように事務所にいた。
「あの人、友達?」
「そうだね」
なんだ、友達がいるんじゃないか。しかも相手の家族の送迎を代わってあげるくらいの。以前スーパーで発言した「友達いない」発言はなんだったのか? と僕は首をひねる。
「すごくいい子だよ。面倒見がいいんだよね。あたしが男だったら小学校の時点で惚れちゃうかも」
当然ながら、先程の人とは小学校からの付き合いだと言う。つまり僕とケンスケみたいなものだ。
──それにしては。
人生半分以上の付き合いと考えると、よそよそしいような。狭い島での事、おおっぴらに対立はできないけれども何か抱えている、と言う可能性も十分にありえる。
この島にやってきてから、ヨゾラが島民と話す場面を何回か見た。
島民と接している時のヨゾラは礼儀正しく、明るく、からかうような言動をしない。島の人間にとっては、そちらのヨゾラが本体かもしれない。
彼女は常に外向きの顔をしている。
──島の男が彼女を放っておくはずないのに?
僕は首をひねる。
「どうしたの」
「……いや。さっきの人、お腹大きかったなーと思って」
「沖縄は早いうちに子供を産む人が多いからね」
話をつなぎ合わせると、ヨゾラの同級生は職を失った旦那さんを伴って生まれ故郷の島に戻ってきたようだ。
「人生のスピード感がすごいね」
明日の事もわからない僕には、あと数年経ったところで他の人間の人生を背負えるようになるとは到底思えない。
「そうだね。結婚なんて……考えられない」
「なんでまた」
ほっとした様な、何も言っていないのに勝手に振られた気分になってしまうような。ヨゾラは僕を見てにっこりと笑った。
「だって……そうしたら、この島から出ていけないでしょ」
気分で物を言っている。普通に考えればそうかもしれないが──なんとなく、その言葉は真実に聞こえた。
そんなはずもないのに、冷えた空気がどこからか入り込んで足首のあたりをくすぐっているような感覚にとらわれる。
島から出ていきたいの? と世間知らずの素朴な少年として尋ねれば良かったものを、どんくさい僕の頬の筋肉は引きつったままで、うまく言葉を紡ぐことができない。
「冗談だよ。この島、狭すぎるでしょ。そういう風に見れないっていうか。そもそもあたし、モテないの」
僕は引き続きそんなわけあるか? と強く主張したい気分ではあったものの、ヨゾラは帳簿とにらめっこを始めてしまい、僕は取り残される。
彼女の父親は言う。あの子はぶっきらぼうだから、と。島民は言う。彼女は礼儀正しくて真面目だと。
一体、どの彼女が本体なのか。正しくは、僕に本当の顔を見せてくれているのかどうか、それを知りたくなる。しかしヨゾラはだんまりで、いつものように唇を尖らせてシャープペンシルをかちかちと鳴らしている。
彼女を構成するすべての要素はこの島にピッタリと噛み合っているように見える。ただ、彼女の心だけは──異質で、この島にないのかもしれない。
「どしたの?」
ガレージに突っ立ったままの僕があまりにも不自然なので、ヨゾラはそう尋ねるしかなかったのだろう。怪訝な顔でこちらを見つめている。
「いや、べつに、その……」
手の平の汗をズボンで拭う。
「悩みとか、あるなら……」
「あるなら?」
「聞くけど……」
帳簿がぱたんと閉じて、ヨゾラはこちらを見た。
「聞いてどうするの?」
「えっ?」
てっきりなに言ってるの、バカみたい! の様にはぐらかされると思ったのだが、今日のヨゾラはそうではなかった。
「もし、あたしの悩みがあるとして。それがもし──ハルト君なら、簡単に解決できそうな事だったらどうする?」
「それは……僕にできる事なら、なんでも……」
と言いつつも、できることはそんなにない。ヨゾラは次に何を言うのだろうと視線を逸らせない。やがて、彼女のきゅっとした唇がゆっくりと開いた。
「じゃあ、お医者さんになって!」
「へっ」
彼女は言う。この島には診療所が一つしかない。そこも夕方17時には閉まるのだと。もちろん複数の医師が所属していて、持ち回りで休みが取れる──そんな話ではなさそうだった。何しろ、夜中に急患が出たら医者の家に行ってチャイムを鳴らすか電話をかけると言うのだから。
「それは……なれない……ごめん」
「なんでよ。あたしが今から勉強するより可能性高くない?」
「そうかもしれないけど」
僕がもごもごとしていると、ヨゾラは引き出しに帳簿をしまって鍵をかけた。もちろん彼女は島の医療の現状を憂いている訳ではなくて、僕が困りそうな事を言って話をそらそうとしたのだろう事はさすがにわかり始めている。
……僕はヨゾラに悩みを打ち明けるほどの価値を見出されていないのだ。
「じゃあ、あたしがかわりに東京に行っちゃおうかな」
「それもいいと思うよ。何がしたいの?」
「……うーん」
「スカイツリーに行きたいって言ってなかった?」
必死に思い出した話題に対し、ヨゾラはあいまいに笑う。
僕がヨゾラに対してどうこう思っていることは、すべて僕の妄想にすぎない。僕は何でも彼女に話してしまうけれど、彼女は自分の事を話さないから、このように妄想がはかどってしまうのだ。
「あたしってつまんない人間だな。そう言われると、別に何もないの。まあ、いいでしょ。お昼は何がいい?」
ヨゾラが立ち上がって食堂へと手招きするので、僕はそれについてゆく。
「なんだろう……昨日の残りでいいよ」
「早く里芋こないかなー。団体客がくるまでには……こないよねー」
栃木の俊哉おじさんは僕がお世話になっているからと、地元の特産品を送ってくれた。しかし飛行機と船で運搬しなければいけないために、明後日の午前中にはすぐ到着しますよ、なんて事にはならないのだった。
「美味しい食べ方教えてね」
ヨゾラの言動はチグハグだ。郵送は一週間ぐらいかかると言ったのはヨゾラなのに、台風が来るから早く帰ったほうがいいよと言ったのもヨゾラなのに、その反面僕が一週間後にもここにいて、里芋の皮むきを手伝う前提で話したりもする。
彼女は適当に言っているのではなく、その時の気分によって僕の扱いをどうするか決めかねているところがあるのだ。
「午後はさ……何をしようか?」
僕は背もたれにもたれかかり、熟年のお手伝いさんのような雰囲気をまとって話しかける。
「そうだなあ。一緒に返却された、海遊び用のおもちゃを洗ってくれる?」
レンタカーとともに返却された品々の状態は客のモラルによってまちまちだ。庭でバケツに水をはり、ジョウロやスコップなどの遊具についた砂を落としてゆく。
──男の子用。
おもちゃは男の子用だった。他にも不思議なことはある。例えば、子供用の食器や食堂に置いてある椅子。日焼けして、端っこは破けている。
別におもちゃの柄とか色はこの性別、と決めつける必要はないのだけれど。
──まるで、まるで。元からあったものをそのまま使いまわしているみたいじゃないか?
民宿の中に、かつていたはずの人達の痕跡はほとんどない。居住スペースとは分かれているから当然だろうけれど、ある筈のものが僕の目には見えていないような、そんな曖昧さがこの家にはある。
気のせいかもしれない。何せ、先ほど食べたチャーハンが盛られた皿は二十年前からこの家にあるのだと言う。歴史の古い家なら、時の流れでいろいろなものが集まってきてもおかしくない。
「こんにちは」
次に依頼されたガレージの掃き掃除をしていると、郵便の配達員がやってきた。この家の本来の住民ではないけれども、小包と郵便物を受け取って机の上に置く。通販の商品、何かの請求書、ダイレクトメール。
その中に一通「宛先に尋ねありません」とスタンプが押されて返却された郵便があった。
「平安名アサミ様」とヨゾラの字で書かれた封筒は、博多の住所に送られたものだ。
──親戚。違うな。これはきっと彼女の母親だ。
ヨゾラの母親は出て行って、その後福岡から手紙を寄越したと言う。彼女は定期的に届かない手紙を送っているのだろうか。それとも、何か心境の変化があって──?
「郵便きた?」
洗濯機置き場からヨゾラの声がして、はっと顔を上げる。
「うん。何か……たくさん、来た……!」
郵便物をわざとダンボールの下に紛れ込ませて、心底どうでもいいように見えるように偽装した。
僕がバレませんようにと思っているのと同じぐらい、ヨゾラも同じことを思っているだろうから。
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