ライカンスロピー

深川夏眠

lycanthropy


 塩茹でされた蝲蛄エクルヴィスとグリーンアスパラガスのコンソメゼリー寄せに舌鼓を打って、フッと壁に目をやると、タロットカードの意匠のタピスリが掛かっていた。ⅩⅧ〈月〉。悩める月に吠える二頭の犬、そして、まるで仲間に入ろうとするかのようにハサミを振り翳して水から上がりつつあるザリガニ――。

 ギャルソンが炭酸水を継ぎ足しに来たので、

「なるほど、気の利いた演出だ」

「恐れ入ります」

 ここはよいりの遊び人が小腹を満たしに集う、密やかなレストラン。

「十八番は何を表していたかな」

「幻惑、あるいは現実逃避ですとか」

「うん。ピッタリだね」

 ギャルソンは一礼してテーブルを離れた。他にはどんな意味があったろうかと考えるうちにワインの酔いが回ってきた。

 会計を済ませて外へ出ると車が待っていた。家に帰るべきなのだが、悪ふざけが足りない気がして適当な冗談を言ってみた。夜が明けないところへ連れて行ってくれ……と。

「承知しました」

 漆黒の林道を抜けてひらけた場所に出た。月明りに煌々と照らされた、みどり豊かな水辺だった。十数人の男女が歌ったり踊ったり抱き合ったりしていた。

「仲間に入れて差し上げてもいいけれど……招待状をお持ちかしら?」

 胸ポケットにカードが入っていたので引き出した。タロットの〈月〉だった。

「これは失礼。お寛ぎになって」

 オイルランタンのほのかりの中、デッキチェアに身を委ねる人、地面に広げたラグマットに手枕で寝そべる人……。

 どうでもいい雑談と知らない誰かの噂話。クロスティーニとカクテルグラスの載ったトレーが回ってくる。淫靡な印象さえ受ける艶めいた低い囁きの中に、まとまった意味を嗅ぎ付けんと耳をそばだてていたら、むらくもが晴れて月がポッカリ顔を出した。

 すると、水面みなもに浮上した無数の青いザリガニが岸に押し寄せて奇怪な帯を形作り、拳を突き上げてなにがしか抗議する人の集団よろしく一斉にハサミを屹立させた。池のほとりは鉄灰色に蹂躙された。

 驚いて周囲を見回し、更に度肝を抜かれた。頽廃的な夜会を催していたのはルー・ガルーたちだったのだ。彼らはこめかみに青筋を刻み、窮屈そうにぜわしく胸を掻きむしってボタンを弾き飛ばすと、体表を覆った剛毛を逆立てて野太い唸りを上げた。

「とんだ御託宣だったな……」

 〈月〉のカードの意味を思い出した。「潜在する危険」「幻滅」。または「猶予なしの選択」だ。三十六計逃げるにかず。

 木立ちのを駆け抜けて――お気に入りの靴が傷んでしまったが、仕方ない――月明りの下、パーキングメーターに寄せて停まった黒塗りのハイヤーと、その横で一服する運転手のシルエット、彼が燻らす紫煙の細いうねりが目に入った。

「やあ、乗せてもらえるかな」

「はい」

 小高い丘を越える頃、空が白み始めた。前言撤回。

「やっぱり朝はいいな」

「そうですか?」

 舌の根も乾かぬうちに……と、運転手が少し眉をひそめるのがわかった。

「だって、ずっと夜のままじゃ、モーニング・メニューにありつけないからね」

 狼人間どもが決して味わえないだろう軽やかな朝食のセットを思い浮かべて胸がときめいた。フレッシュなオレンジジュース、オムレツ、サラダ、ポタージュ、パンケーキ。食後には淹れ立てのコーヒー。ああ、何て清々しい。

「せっかくだから、朝食に付き合って。それから送ってくれたまえ」

「かしこまりました」




              lycanthropy【END】




*2022年3月 書き下ろし。

⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/h7nKhjH9

*縦書き版はRomancer『月と吸血鬼の』にて

 無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116522&post_type=rmcposts

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ライカンスロピー 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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