エピローグ
現在、カ・シィーツォは、イズミールの上空を衛生のように周回していた。その気にさえなれば、ドロップポッドでイズミールの大地を踏める所まで接近しているのだ。想像していた以上にデブリが漂っており、やはりイズミールの人類は高度な技術を有していたのだと窺い知れた。
イェルンはカ・シィーツォに開いた穴を塞ぐべく、アディと2人で船外作業をしていた。航行には支障ないものの、このままでは
下手をすれば、救難信号を発信したままハイバネーションに入り、何年も過ごさなくてはならない事態も想定される。それだけに、修理は慎重かつ丁寧に進められた。幸い、外壁を補完するための素材は固定されていたおかげで、宇宙空間に投げ出されずに済んだ。時間さえ掛ければなんとかなりそうだった。
イェルンは眼下に広がる美しい青さに、改めて感動を覚えた。
どんな生物が命を紡ぎ、どのような歴史を経て今日に至った惑星なのか、興味が尽きることはない。そして、なぜこれだけの美しさを讃えている星の住人が、滅亡への道を歩まなければならなかったのかも知りたいと思った。
いつの間にか、イェルンの手が止まっていた。
「イェルン?」
アディに話し掛けられ、飛んでいた思考が戻る。
「どうしたの? また、ぼうっとしてたんですか?」
「ああ……あいつ、無事に着けたのかなって……」
「あいつって、ラグティナ?」
「うん。あの漂流物で大気圏突入に耐えられたのかな」
「気になります?」
「そりゃ……うん。まあ……」
問われて、自分が奇妙なことを考えていることに気づき、イェルンの返事が曖昧になった。死闘を演じて、もう少しで殺されかけた相手のことを心配している。
「そんなに気になるなら、降りてみます?」
アディがいたずらっぽく言った。確かに行こうと思えば行ける。しかし広大な星をさまよい、たった1人の相手を探し出すことなど不可能だ。
たった1人……。無事に生還していたとして、あいつはこれからどうやって生きていくのだろう。
「私……イズミールの人たちは、滅亡してないんじゃないかと思うんです」
まるで自分の心を覗き見たようなアディのセリフに、イェルンは驚いて目を見開いた。
「待ってくれている人がいるから、あれほど必死になって帰りたがったんですよ。きっと」
待っている人がいるからこそ、そこが帰るべき場所になる。あのラグティナにとって、地上の人々が求めていた光なのか。
アディの説にはなんの裏付けも確たる根拠もない。信憑性など僅かな欠片ほどしかないが、イェルンはそれこそが答えなのだと信じたくなった。
「……そうだな。きっとそうだ」
「今日の作業は、もう終わりにしましょう。どうせ今日明日で終われる作業でもないし」
アディは自分の意見をはっきり言うようになっていた。本来からして芯の強さは持っていた彼女だが、厳しい試練を乗り越えたことで変化が生じたらしい。それとも、相手が自分だからだろうかと、イェルンは密かに思った。
「それがいいか。戻って休憩しよう」
イェルンに反対する理由などなく、2人は揃ってカ・シィーツォの内部に戻った。
その夜、イェルンはブリッジのスクリーンを熱心に見ていた。映し出されているのは、ウィズ・ディスクに収められているデータだ。もう何十回見直しているか分からないが、イェルンの熱意は冷めることはなかった。
アディが飲み物を持ってきてくれた。スクリーンを見て苦笑しながら、カップを一つ差し出した。イェルンは、すっかりイズミールに魅入られてしまったようだ。表情や態度には出さないが、地上に降りずに帰路に就くのは断腸の思いに違いない。
「また見てるんですか?」
「うん。ああ、ありがとう」
静かだった。かつては7人ものクルーが動き回っていたとは思えない。ふいに寂寥感が通り過ぎた。
「2人きりだな……」
「え?」
アディが動きを止めたので、イェルンは慌てた。誤解されるようなことを言ってしまったと思った。
イェルンが慌てたのを見て、自分が妙なリアクションをしてしまったと、アディの方も焦った。
「あのっ」
「あのっ」
「………………」
「………………」
一度意識してしまうと、どうにもいけない。互いに体温が上昇するのを抑えながら、静寂の間が流れた。
「な、なにか進展はあったんですか?」
アディが取り繕った。絶妙なタイミングに、イェルンは息を吐き出したくなった。
「……ああ。イズミールの人々が、自分たちの母星をこう呼んでんじゃないかって、手掛かりを掴んだ」
「本当?」
「どうやら、俺たちはイズミールの美しさに惑わされていたようだ」
「どういうことです?」
「イズミールが奇跡的に美しい青さを湛えているのは、地表の七割が水で覆われているからだ。あの青い部分は、すべて海なんだ」
「これだけ豊かな水に恵まれた星は、滅多に見つかりませんね。本当に綺麗……」
アディは窓の外に目を向けた。イェルンが奇跡的と評したのは大げさではない。イズミールは、溜息が出るほど美しかった。
「だから、発想が至らなかったんだ。イズミールの人たちは、この水で覆われた星を大地の球と表現した」
「たったの三割しかない方を、星の名に冠したんですか?」
「不思議な発想だろ? もしかしたら、大昔のイズミールの人は海を知らなかったのかもな」
「そんなことってあるんでしょうか? ちょっと信じられませんが……」
「どんな可能性だってあり得るさ。宇宙は謎と神秘だらけだからね。もしかしたら、大地を信仰する教えがあったのかも知れないし……」
言いながら、もしかしたら当たりなのではないかと思った。イェルンたちの星だって、エネルギースポットと呼ばれる場所は圧倒的に陸地の方が多い。人が生活の場を地上に決めているから、当然と言えば当然なのだが。
イズミールの人たちは、より深い信仰心を大地や山や樹木に捧げていたことは大いに考えられる。
「それで、それらしい名前は分かったんですか? まさか、そのまんま大地の球なんて呼んでなかったのでしょう?」
「いや、それがそうでもないんだ」
「え?」
「ラグティナたちは、大地の球をそのまんま縮めて地球と呼んでいたみたいだ」
「地球……」
アディは吹き出した。みんながいなくなってから、初めて見せる笑顔だ。屈託のない笑顔は、理屈抜きにイェルンも温かくさせた。
「どんなセンスです? 地球って……」
アディがあまりに楽しそうだったので、イェルンも釣られて笑いだした。
「もしここに戻ってこられて、ラグティナとコミュニケーションが取れたら訊いてみるかな。地球って安直すぎないかって」
イェルンのおどけた言い方に、アディはさらに声を上げて笑った。
地球。この星の人類にそう名付けられた惑星は、イェルンたちの故郷ヴェンバーの住人が移住を始めても、優しく迎えてくれるだろう。ラグティナたちが絶滅していなかったら多少の衝突はあるかも知れないが、それだって時間が解決してくれるに違いない。なんの疑いもないくらいにそう思えるほど、地球の柔らかい青さは温かく穏やかだった。
〈了〉
宇宙の片隅にて 雪方麻耶 @yukikata
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