君の温かいご飯が食べたい

ひなみ

本文

 今日も仕事を終えると帰り支度をして愛車に乗り込む。

 夜勤明けは特にお腹が空くもので、ふらふらと足元が覚束なくなるほどだ。車の窓からは色とりどりの店の照明が眩しく光って見え、本来は真っ暗なはずの帰り道をいろどる。

 昨日は家系ラーメンをスープまで飲み干し、今日はファミレスのチキンドリアで軽く火傷をし、その舌をバニラアイスで冷やした。夜食は外食。それが僕の日常と言えるものだ。


 帰宅すると物音を立てないように、そろりそろりと風呂場へと向かいシャワーを浴びる。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、隣の部屋の様子を確認。楽しい夢でも見ているのか、だらしなく少しにやけている。ゆっくりとドアを閉めて自室へ。

 ペットボトルの水を半分くらい口にしたところで、机に何かが置かれているのに気付いた。


 そこには一冊のノートがあった。どうにも市販品には思えないくらい豪華な装丁そうていで、表紙には【Ich liebe dich】とある。一見して英語ではないのだけはわかったけれど、それよりも何が書かれているのかが気になって仕方がない。そして許可も得ず読んでしまうわけだから、心の中で『すまない』とだけ呟いて、表紙をゆっくりとめくった。


*****

【はじめに】

 このノートを開いているということは、これをすぐに見つけられたのかな? まあどうせあなたのことだからさ、勝手にごめんねなんて言いながら、今これを読んでるんじゃない? どう、当たってる?

 でね、このノートは何かというと。生活リズムが真逆で時間の合わない私達って、日常的に話すタイミングがないじゃない。できても挨拶くらいでさ。

 でも会話するにもメールとかだと味気ないと思って。だったらいっそ手書きの、交換日記みたいにしたら面白そうじゃない? と思いついちゃったわけなの! どう、私のこと褒めてもいいよ?


 中身はその日あったこととか、仕事のことでもいいし、とにかく伝えたいことを何でも書こう。

 あ、でも仕事疲れで何も書けない時は空白にでもしておいて。あと何も浮かばない時も同上。

 言っておきますが、あなたに拒否権は一切ありません。それじゃ、よろしくね!


 ちなみに、このノートはオーダーメイド品です。お値段は何と……、驚愕きょうがくの……秘密です!

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 現状を彼女なりに考えてくれているのだろう。文は人なりとは言うけれど、その言葉に間違いはなさそうだ。僕はふふっと小さく笑いながら、引き出しからシャープペンシルを取り出した。



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 そういうことね。いきなり何かと思ったよ。まあ、拒否権はないみたいだし? ここは一つ乗ってみようかな。

 仕事は相変わらずです。

 あと今日はファミレスで舌を火傷しました。以上。

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 火傷ってどうせドリアでも頼んだんでしょ。ちゃんとふーふーしなさい。

 こっちはね、クソ上司のせいでうおおおおおおおんっ! ってなってるんだよ! ああ! 思い出すだけでイライラするう、ちくしょうめ!!

 だから今、飲みながらこれを書き殴ってます。


 あーでも、ここで愚痴れたのですっきりした。おやすみなさい!

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 そういう手合いは音声データを取っておいて、後からしかるべきところに突き出すのがいいんじゃないかな。

 何か必要なことがあればすぐに言って。対処するから。

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 いや、そこまでのアレじゃないからね。でもありがと。

 でもやっぱり、顔合わせられないまま家に一人でいるって辛いんだなぁ。

 この日記のお陰でそれを余計に感じるかも……。

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 ね

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 ダイイングメッセージかな?

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 いつもありがとう。

 これからもずっと一緒にいてください!!!!

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 どしたの急に!?

 もしかして酔ってますか。

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 泥酔しながら書いたみたいです。反省。

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 反省はしなくていいんじゃない?

 じゃあ私も言うね。

 ありがとう。

 こんな私と一緒になってくれてありがとう! 大好きです!

 ちなみに、酔ってはいません。

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 ごめん。やっぱりこのままじゃいけないよね。

 そろそろ決断しなくては。

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 決断とは何だろう?

 大事なことならちゃんと教えてねー?

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 今の会社を辞めてきます。

 君の温かいご飯が食べたい。

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 私も、毎日一緒にご飯が食べたい。

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 この交換日記は半年ほど続いた後、ある日を境に役目を終えた。

 そして数年が経った、何気のない日のこと。


「ねえ。パパ、ママ、これなぁに?」

 今年で五歳になる娘が何かを持ってきた。手にしたその表紙には【Ich liebe dich愛してる】とある。


「ああ、こんなところにあったんだ」

 僕がそう声をあげると、

「なつかしいね?」

 隣で同じように彼女がノートに触れる。


「これなになに? これなになに?」

「うーん、そうだなぁ……。ママ達を繋いでいたもの、かな?」

「?? よくわかんないよー?」

「もう少し大きくなったら、意味がわかるよー」


 その会話を聞きながら、

 少しにじんだ視界のまま僕は二人を抱きしめた。

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君の温かいご飯が食べたい ひなみ @hinami_yut

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