第5章 三日日後半 第4話 濁流

「あれっ……?」

「ち、魑魅魍魎が……?」

 魑魅魍魎が襲ってこないことに気づいた秋奈と夏代が、目を見開く。恐る恐る目を開いたが、すぐにまぶたは全開になった。

 魑魅魍魎が次から次へと、光の粒となって空中に消えていく。そして、自分たちのすぐ近くから、光が放たれていた。まるでそこに投光器があるかのように光が放たれ、辺りは明るくなっていた。

「な、何が起きているの……?」

「二人とも……小春ちゃんが……!」

 冬華の言葉に、秋奈と夏代は小春を見た。

 小春が握りしめているお守りから、光が放たれている。その光が、魑魅魍魎を光の粒に変えているみたいだった。そしてお守りを握り締めている小春も、何が起きたのかという目をして、驚いていた。

「どっ、どうなっているんですか!?」

 お守りと辺りを見て、小春が問う。

「いや、それはこっちが訊きたい」

 夏代の言葉に、秋奈と冬華は頷いた。

「一体、何がどうなっているんだ……?」

「おっ、お守りを握り締めて……産土様に助けを求めたら、突然お守りが……!」

「うぶすなさま?」

「こっ……このお守りを貰った神社の、神様です!」

 小春が答えると、ウコンとサコンが駆け寄ってきた。

「まさか、これは……!」

「信じられん……だが、事実だ!」

 ウコンとサコンは、霊撃刀をそっと鞘に納めた。

「ウコンさんにサコンさん! これは一体……!?」

「これは、宇迦様のお力そのものだ!」

「めったに見られない光景ッスよ!」

 落ち着いたサコンと、興奮気味のウコンがそう答えた。宇迦様のお力とは、なんだろうと小春は思った。

「魑魅魍魎なら一瞬で消し去り、亡霊もこの力には勝てない。我々の霊撃刀とは、比べ物にならない正一位の階級の力だ。信じる力が強くあって、宇迦様に気に入られていないと、このようなことは起こらない。もしかして、小春は……!?」

「……そういうこと、みたいッスね!」

 納得したように微笑むサコンと、同じように微笑むウコン。いったい、自分がどうしたというのかと、小春は首をかしげるばかりだった。

「おっ……己ぇっ!」

 恨めしい声がして、小春たちは声がした方を見た。近藤が、わなわなと震えている。しかし、それは怒りで震えているというよりも、恐怖で震えていると表現したほうがしっくりくるようなものだった。

「魑魅魍魎に……村人の亡霊たちが……!」

 恐怖で震えている近藤に、ウコンが叫んだ。

「往生際が悪いッスよ! 負けを認めるッス!」

「くそおおお……!!」

 近藤は、子供のように地団駄を踏んでいる。

「なぜだ!? どうしてあんな小娘に邪魔されたんだあっ!?」

「教えてやるッスよ! この子は宇迦様の加護を受けているからッス!」

 ウコンが叫ぶが、近藤は納得いかない様子で問う。

「それがどうしたというのだ!?」

「それだけ、宇迦様のことを純粋に信じる気持ちが、強いということだ!」

 答えたのは、サコンだった。

「お前は、自分に都合よく仏の教えを解釈し、信じる気持ちを利用していた。しかし、そんなことは神も仏もお見通しだ。だから勝てなかった!」

「こ……このぉ……!」

 近藤は手にしていた数珠を、力まかせに引きちぎり、地面に叩きつけた。バラバラと玉が散らばり、足元に転がった。

「こうなったら、一人でも道連れに……!」

 近藤が動き出そうとした。

 その時。


 ゴゴゴゴゴゴ……。


 どこからか、地震のような音がした。その音に驚いた小春たちは辺りを見回すが、音がどこから聞こえてくるのかは、分からない。

「なっ……何……?」

「一体……何なの?」

 冬華と秋奈が、辺りを見回す。キョロキョロと辺りを見ても、地面が微かに震えているだけで、何が起きているのかは分からなかった。

「地震……でしょうか?」

「い、いや……違う! あそこ!」

 小春が首をかしげていると、何かに気づいた夏代が、遠くを指し示した。夏代が指さす先を見て、小春たちは目を見開いた。

 山が崩れ、濁流が化野村へと向かっていた。山の木を飲み込み、薙ぎ倒しながら進んでいく濁った水。水はすり鉢の底にあるような化野村へ、瓦礫と共に流れ込んでいった。化野村が水に飲み込まれ、田んぼも家も水の中へ沈んでいく。

 しかし、それをただ見つめていることはできなかった。

「急ぐぞ!」

 サコンが、小春たちに叫んだ。

「もうすぐここも、水に飲まれる!」

「早く線路を辿って、水が来ない場所まで逃げるッス!」

 ウコンもそう云い、小春たちは頷いた。水に飲まれる。それはもうすぐ、化野駅があるこの場所も、水に飲み込まれて沈んでしまうことを示していた。

「はいっ! 皆さん、急ぎましょう!」

 小春が叫ぶと、夏代と秋奈、冬華は頷いた。ウコンとサコンが駆け出すと、それに小春たちも続いて進んでいく。

「まっ、待て――!」

 近藤が追いかけようとしたが、それよりも早く、流れてきた水が近藤の足を捕えた。あっという間に、水は近藤の膝までの高さになり、それから腰まで上ってくる。それでもなお、近藤は追いかけようとした。しかし、まるでそれを許さないかのように、近藤は何かに足を引っかけて転ぶ。立ち上がろうとした近藤だったが、水は近藤を飲み込むようにして包み込んでいった。

「たっ、助け――っ!」

 近藤はもがくが、足が思うように動かなかった。それに、水を吸った法衣が、おもりのように動きを封じた。

 その間に、立っている高さまで、水が押し寄せてきた。

「ああああ……!」

 近藤は最後に右手だけを水面に残し、水の中に沈んでいった。



 近藤が水に飲み込まれている中、小春たちは化野駅のホームから、線路へと降り立った。

「こっちだ!」

「頑張るッスよ!」

 サコンとウコンの言葉に従い、小春たちは振り返ることなく、走り続ける。バラストと枕木まくらぎのおかげで、走りやすいとはいえなかった。何度も転びそうになるし、バラストを踏むと刺激が足の裏まで伝わってくる。最初は気にならなかったが、歩を進めるたびに食い込んできて、痛みを感じるようになってきた。

 それでも、小春たちは前へ前と進んでいく。水に飲み込まれてしまったら、近藤のようになってしまう。それだけは勘弁してほしい。そうならないためには、足が痛くても前に進むしかない。進みにくい線路の上を、小春たちは必死になって駆けていく。

 どれくらいは知っただろうか。前を走っていたウコンとサコンが、足を止めて小春たちに振り返った。

「見よ、あれを……」

 サコンが指し示した先を見て、小春たちは絶句した。

 化野村が、水の底に沈んでいた。家々は水の勢いで壊され、瓦礫がれきとなっていく。盛獄寺と墓地も水に飲み込まれ、墓石が倒されていくのが見えた。必死で逃げてきた道も、さっきまで近藤と対峙していた化野駅も……。全てが流れてくる大量の水に飲み込まれて、水底へと消えていく。全てを飲み込んでいく水は、意思を持った生き物のようであった。

 その濁流に、小春は恐怖を覚えた。勢い良くせまってくる水は、禍々しいものもそうでないものも、関係が無い。ただその場所にあるものを、全て飲み込んで跡形もなく消し去ってしまう……。

「まだ時間は掛かるが、あと少しでここまで水が来るだろう。この先にある、比良坂駅まで行けば、もう大丈夫だ」

「比良坂駅……ですか」

 まだ、しばらくは線路を歩いていくことに、なるんですね。小春がそう思っていると、ウコンが微笑んだ。

「もちろん、このまま歩いていくというわけじゃ、ないッスよ?」

 そう云うと、ウコンは懐から勾玉まがたまを取り出した。それをそっと線路の上に投げると、勾玉は形を変えていった。小春たちが目を丸くして見守っていると、勾玉は鉄道車両へと変化した。くすんだ色をした、古い客車のような見た目。入り口のドアは中央にあり、進行方向の屋根には、煙突がついている。化野村に来る時に乗った列車と、そっくりだった。それが、かなり旧式のものであることは、小春たちにも分かった。

「これに乗って、戻るッス!」

「これは、何ですか?」

 夏代の問いに、ウコンが答えた。

「これは、蒸気動車じようきどうしやというものッス。かつて、この路線で使われていたッスよ」

「こっちから、乗り込むんだ」

 サコンの案内で、小春たちは蒸気動車に乗り込むこととなった。蒸気動車につけられた短いはしごを使い、サコンが補助して、車両中央の乗降口から、小春たちは蒸気動車に乗り込んでいく。

 車内は、壁も床も木でできていて、ロングシートが両端に備え付けられていた。つり革もあり、小春たちは通学で使っている都会の電車を思い出していた。自分たち以外には、誰もいない空間。それが小春たちにとっては、安心できた。

「イスがあります……!」

 足が、思っていた以上に疲れていたのだろう。小春は吸い寄せられるように、ゆっくりと歩きながら、ロングシートに腰を下ろした。小春に続くようにして、夏代と秋奈と冬華も、ロングシートに身体を預けていく。

「疲れたぁ……」

「座れるのが、こんなにありがたいなんて……!」

「お腹空いてきましたぁ……」

 秋奈と夏代に続き、冬華も座って、一息ついた。

「これから出発する。そのまま座って休んでいなさい」

 サコンはそう云うと、ウコンと共に前方の機関室へと入っていった。少ししてから汽笛が鳴り、蒸気動車は動き出した。小春は振動を感じながら、外の景色を見ようとして、窓の方に顔を向けた。

 濁流に沈んでいく化野村が、白黒写真のように白黒に変化していく。その景色は流れるように、遠くへと行ってしまう。蒸気動車の振動が、化野村から離れていることを教えてくれた。もう二度と、化野村に来ることは無いだろう。速度も上がってきて、やがて化野村は見えなくなった。視界から化野村が消えたことで、小春はそっとため息をついた。

 助かったんですね……。

 そう思いながら、隣に居る夏代を見ると、夏代は眠っていた。さらに隣に居る秋奈と冬華も、肩を寄せ合いながら、すやすやと眠っている。ずっと化野村の中で、怖い目に遭ってきた。逃げるために、必死になって走った。その疲れが、化野村から逃げ出せたことからくる安心感と、蒸気動車の振動で出てきたのだろう。

 すると、機関室のドアが開いた。

「これで、一安心ッスね」

「うむ、我々の役目も、もう少しだな」

 ウコンとサコンが出てくると、小春はロングシートから立ち上がった。

「ウコンさん、サコンさん!」

「小春、まだ起きていたのか?」

「もう大丈夫だから、寝てていいッスよ?」

 小春はそう云ったウコンとサコンに、頭を下げた。

「あの……助けていただいて、ありがとうございました!」

 頭を下げる小春に、ウコンとサコンは微笑んだ。

「助けたのは、小春自身だよ」

「えっ?」

 サコンの言葉に、小春は驚く。

「小春自身が、助かりたいと願ったから、助かったんだ。洞窟の中で我々が動けたのも、最後に宇迦様のお力がお守りから発せられたのも、全てな……」

「洞窟の中で、三人が近藤に連れていかれそうになった時は、どうなるかと思ったッス。だけど、三人の気持ちを取り戻せたッス。小春ちゃんの思いの強さには、本当に驚いたッス。今どき神山村の人の中にも、あそこまで思いが強い人は少ないッス」

「えっ……?」

 それはどういうことなのかと、小春は訊こうとした。

 しかし、それよりも先に、外を見たウコンが声を上げた。

「あっ、比良坂駅を通過したッス!」

「よし、時間通りだな」

 ウコンの言葉にサコンが頷くと、二人は小春に向き直った。穏やかな笑顔で、二人のイケメンから見つめられると、小春は少しドキドキしてしまった。

「小春ちゃん、もう安心するッス。起きたら、元に戻れるッスよ」

「我々はいつでも、宇迦様と共に小春を見守っている」

 ウコンとサコンがそう云うと、小春は急に眠くなってきた。小春の意識とは裏腹に、身体はロングシートへと吸い寄せられるように、向かって行く。小春はそれに、抗おうとしていた。

 まだ、ウコンさんとサコンさんに、ちゃんとお礼の言葉を告げられていない。それに、なぜ尻尾があるのか。そもそも、ウコンさんとサコンさんは何者なのか。訊きたいことがいくつもあって、それが聞けていない。それができないまま、お別れするなんて、とても納得できなかった。

 それに、ウコンさんとサコンさんの正体は――!

 待ってください! もう少し、もう少しだけウコンさんとサコンさんと、お話ししたいです!

 小春のその願いが届くことは無く、小春は意識を失った。

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