第1章 初日 第2話 紅楽荘の夜

 夕方が近づいてくると、小春は健一と共に、紅楽荘の玄関先で迎え火の準備をしていた。

「友達と一緒じゃなくて、いいのか?」

「大丈夫。みんなまだ寝ていたから」

 昼食後、小春以外の三人は、客室で昼寝をしていた。小春は眠くならなかったため、健一と光代の手伝いで、お盆の準備を手伝っていた。お盆の手伝いは、これまでも小春が紅楽荘に来た時に、やってきたことである。

「小春ちゃん?」

「あっ、起きたんですか?」

 小春が振り返ると、玄関に秋奈がいた。

 秋奈はサンダルを足にはき、近づいてくる。

「これって、何をするの? たき火?」

「迎え火の準備です」

「むかえび?」

 聞きなれない言葉に、秋奈は首をかしげた。

「迎え火とはのぅ、ご先祖様や精霊しようろう様をお迎えするための、目印のようなものじゃ」

 健一が説明した。

「お盆には、ご先祖様が帰ってくるというんじゃ。そのときにご先祖様が迷わないように目印として、迎え火をする習慣があるんじゃ。都会では、もうやらないかもしれんのぅ」

「初めて見ましたー。ここでは、よくやっているんですか?」

「うむ。どこの家でもやっておる」

「おじいちゃん、終わったよ!」

 小春が云うと、健一は頷いた。

「そいじゃ、火をつけるか」

 健一はライターを取り出すと、火をつけた。火がつくとゆっくりと広がっていき、小さなたき火ができあがる。

「これが、迎え火?」

「はい。今年もできました」

 小春が云い、健一も満足げに頷く。

「今年は若くて元気のいい子たちがいっぱいいるから、ご先祖様も驚くじゃろう」

 健一がそう笑った。



 夕方になった。

 迎え火が終わってからしばらくして、健一が小春たちのいる部屋にやってきた。

「小春ーっ、おるかのぅ?」

「はーい!」

 小春が返事をして、健一に駆け寄った。

「おじいちゃん、どうしたの?」

「お風呂の準備ができたんじゃ。そろそろ、みんなで入ってもいいぞ」

「ありがとう、おじいちゃん」

 小春は振り返り、三人に告げた。三人は畳敷きの客室で、テレビを見たり、スマートフォンをいじったりして過ごしている。

「皆さん、お風呂に入れるようになりました!」

 小春のアナウンスに、三人がほぼ同時に反応した。

「おっ、いよいよ温泉に入れるのか」

 夏代が待ってましたとばかりに、ボディソープとシャンプー、リンスが入った入浴セットを手にした。

「温泉! いいね、入ろう!」

「そうですね。みんなでお風呂なんて、修学旅行みたいで楽しそうです」

 秋奈と冬華も、乗り気のようだ。

 小春も持ってきた入浴セットと、着替えを手にした。

「タオルは用意がありますので、どうぞこちらへ!」

 小春は三人を連れて、浴場へと向かった。



 紅楽荘の温泉は、紅楽荘の中でも最も奥にある。浴場は一つしかないため、時間制で男湯と女湯が入れ替わるようになっている。しかし、今回は紅楽荘を切り盛りしている金子夫妻以外には、小春たちしか宿泊客はいない。そのため、紅楽荘の温泉は小春たちの貸し切りとなっている。

 内風呂と露天風呂があり、どちらも好きなように入浴できるようになっている。

「温泉は、なんと源泉かけ流しなんです!」

 浴場へと向かう途中、小春が温泉の説明をしていると、夏代の目が輝いた。

「源泉かけ流しだって!?」

「夏代ちゃん、知ってるの?」

 秋奈が訊くと、夏代は頷いた。

「奥から湧き出ているお湯を直接み上げて、そのまま使える温泉だ。温泉の効能が最も効率よく吸収できるから、人気があるんだ」

「すごくお肌に良さそうですね」

 冬華も興味津々きようみしんしんらしく、声が弾んでいる。

「なるほどー……!」

 秋奈は納得したように云うと、小春の腕をつかんだ。

「わぁっ!?」

「だから小春ちゃんは、お肌がこんなにスベスベで、白いんでしょ! 小さいころから、この温泉に入ってきたんだから、羨ましい~!」

「ど、どうなんでしょうか……」

 温泉の効能はあったとしても、肌質は生まれつきのものじゃないだろうか。小春はそう思いながら、三人を浴場へと案内していく。

 浴場へと続くドアには『貸切』と表示が掛けられていた。中に入ると脱衣所があり、着替えや脱いだ服を入れておくためのカゴと、カゴを置いておくための台が置かれていた。古めかしい体重計や足ふきマットも、ちゃんと置かれている。

 小春たちはそこで服を脱ぎ、入浴セットと身体を洗うためのタオルを持ち、浴場へのドアを開けた。

「わあっ!」

「すごーい!」

 秋奈と冬華が、声を上げる。岩づくりの内風呂が、湯気をもうもうと上げていた。身体を洗うためのシャワーと蛇口は十か所ほどあり、内風呂には常にお湯が注がれている。そして先客は、誰もいない。

 まさに貸切状態だった。

「早速入ろうよ!」

「待った!」

 内風呂に向かおうとした秋奈を、夏代が引き留めた。

「まずは、身体を洗ってから。温泉に入るなら、それがマナーだ」

「はーい……」

 大人しく秋奈は、シャワーの前に置かれたカランに座って、洗面器にお湯を注いで身体を洗い始めた。

 小春も空いている場所に腰を下ろすと、持ってきたボディソープとシャンプーで、身体の汗を流していく。黄色いプラスチック製の洗面器は、小さいころから使ってきたものだ。家にあるものと全く違うが、小春はこの洗面器が好きだった。

 身体を洗い終えた小春たちは、掛け湯をしてから内風呂へと入っていく。

「ふぁーっ、気持ちいいです……」

 熱めのお湯に身体を預け、小春が呟く。小さいころから、何度でも繰り返し入ってきた温泉だ。しかし、何度入っても気持ちがいい。

「結構熱めのお湯ねー」

「源泉かけ流しだから、きっと元からこれくらいの熱さなんだろう」

「温泉から出たら、夕食。楽しみ~」

 秋奈、夏代、冬華がそれぞれ云った。

「おじいちゃんによりますと、この温泉は神山村の近くにある神明山しんめいざんという山の奥深くから、汲み上げているみたいです」

「そんな深いところから、汲み上げているの?」

 冬華の問いに、小春は頷いた。

「はい! 神山村には他にも何件か温泉旅館がありまして、みんな同じ場所から汲み上げているそうなんです」

「じゃあ、神明山は火山なのかもしれないな」

「火山なの!?」

 秋奈が夏代の発言に、目を丸くした。

「温泉は、火山の近くに出ることが多いんだ。火山の地下奥深くにあるマグマが、地下水を温めて、それが温泉として地上に出てくるんだ」

「ふ、噴火したりは、しませんよね……?」

 冬華が少しビビっているようだが、小春は笑顔で答える。

「大丈夫です。小さい頃からここに来ていますけど、神明山が噴火したなんて、一回も聞いたことがありません!」

「良かったぁ~……」

 冬華が、安心した様子で云う。

 すると、夏代が立ち上がり、内風呂から出た。

「夏代ちゃん、どこ行くの?」

 秋奈が問うと、夏代は微笑んだ。

「露天風呂だ。せっかくなんだから、露天風呂も楽しんでみたいと思ってな」

「あっ、私も行くー!」

 秋奈も立ち上がり、冬華と小春もそれに続き、全員が露天風呂へと移動した。

 外に出ると、岩に囲まれた露天風呂が、そこにはあった。こちらにも源泉が注がれ、湯気が立ち上っていた。

「おおっ! 雰囲気があるわねぇ!」

 秋奈が早速露天風呂へと入り、タオルを頭の上に乗せた。

「はぁ~、極楽極楽ぅ~」

「秋奈、まるでオッサンだぞ」

 夏代が指摘しつつも、露天風呂に入ると秋奈と似た、気持ちよさそうな表情へと変化していく。それに続いて、冬華と小春も露天風呂に入った。同じように、気の抜けた表情になって、温泉の虜になっていく。

 こんなに大勢で、みんな一緒に露天風呂に入るなんて、初めてのこと。みんなの気持ちよさそうな表情を見ていると、声をかけてよかったなぁ。

 小春はそんなことを考えながら、露天風呂でくつろぐ三人を見ていた。



 温泉を楽しんだ小春たちは、持ってきた寝間着に着替えてから、部屋に戻ってきた。来ていた服や下着は、光代が洗濯してくれるということで、光代に預けていた。取り違えを防ぐために、あらかじめ衣服を入れておくカゴや袋には、一人ごとに名前が書かれていた。

「服を洗濯までしてもらえるなんて、悪いねぇ」

 秋奈が云うと、小春は首を振った。

「大丈夫です。おばあちゃんは昔から、人の世話を焼くのが好きなんです」

 小春は、過去のことを思い出していた。

 おばあちゃんはお祭りや運動会、地域の人の集まりがあったりすると、進んで顔を出していた。私もおばあちゃんの手伝いをしたことがあるけど、いつもおばあちゃんは慕われていた。誰にでも優しいおばあちゃん。でも、おばあちゃんが一番優しくしてくれる相手は、きっと私だけだと思っている。おばあちゃんは私が来たらいつも、私のことを気にかけてくれるのだから……。

「ところでさ、エアコン、使う?」

 秋奈がエアコンのリモコンを手に、三人に訊いた。

「必要ないよ。エアコンが無くても十分涼しいじゃない」

「昼間は暑くてたまらなかったけど、今はそれほどでもないかな」

「神山村は、夜は意外と涼しいんですよ。熱帯夜にならない限り、大丈夫です」

 夏代、冬華、小春が答える。

「じゃあ、いらないか~」

 秋奈はエアコンのリモコンを放り、寝転がった。

「あー……確かにこうすると涼しいかも」

「それにしても、そろそろ夕食の時間ですよね?」

 冬華が時計を見ながら呟く。

「お腹が空いてきた……」

「確かに、私もお腹が空いてきたな」

 夏代も、自分のお腹に手を当てる。

「お昼があんなに豪華だったから、今度はどんな食事が出るのかな?」

「小春ちゃん、どんなものが出るか、分かったりしない?」

 秋奈が、小春に尋ねる。

「実は聞いてみたんですが……」

 その言葉に、三人が小春の近くに集まってきた。

 小春は温泉から出た後に、光代に会っていた。三人と自分の洗濯物を、選択するために預けるためだ。その時に小春は、光代に今夜の食事について聞いていた。これは小春にとっても、教えてくれるという自信があった。

 いつも家族と一緒だったり一人で紅楽荘に来た時には、必ずどんな料理を出してくれるか、光代は教えていた。だから今回もきっと教えてくれるだろうと、小春は祖母を信じて疑わなかった。

「……教えてくれませんでした」

 だが、期待もむなしく小春の予想は、裏切られた。以前は教えてくれた祖母が、今回ばかりは教えてくれなかった。小春には何度も「楽しみにしていなさい」とだけしか云わなかったのだ。

「こんなことは、初めてです。おばあちゃんが、夕食の内容を教えてくれないなんて、これまで一度もありませんでした」

「小春が分からないとなると、これはできてからじゃないと、分からないな」

 夏代がそう云った。

「それならさ、みんなで何が出るのか予想してみない?」

 秋奈の提案に、小春たちは頷いた。

「いいですね!」

「あ、それいいかも。想像するだけでも楽しそう」

「面白そうだ。昼ごはんを参考にしながら、予想してみるのもいいな」

 小春が頷き、冬華と夏代も同意した。

 その時、冬華のお腹がぐるぐると鳴った。

「あー……想像する前なのに、お腹が鳴っちゃった……」

「冬華ちゃん、本当に食べることには敏感ですね」

 小春が笑い、冬華たち三人も同時に笑った。

 さて、これからどんなものが夕食のメニューとして、出てくるのだろう。おばあちゃんの作ってくれる料理はどれも美味しいけど、私なら何が出てくるといいかなぁ……。

 小春が考え始めた時、光代が現れた。

「小春ちゃん、それにみんな」

「あっ、おばあちゃん!」

 小春は考えるのを止め、祖母に駆け寄った。

「夕食ができたから、そろそろ降りておいで」

「はーい!」

 返事をしてから、小春は客室の中に向き直った。

「夕食ができました!」

「どうやら、想像する必要はなくなったみたいだな」

 夏代はそう云うと、立ち上がった。

「そうだね。ここまで来たら、実際に見たほうが早いね!」

「お腹ペコペコー。早く行こうよー」

 秋奈と冬華も、立ち上がった。

 小春たちは客室から出て、部屋の電気を消すと、廊下を歩いていく。階段を下り、昼間に昼食を食べた部屋へと、小春たちは向かっていく。貸切状態だから、誰ともすれ違うことはない。小春たちはワクワクしながら廊下を進み、食事の用意がされた部屋へと辿り着き、障子を開けた。

「わあっ!」

 小春は、声を上げた。

 川魚料理や山菜料理が、これでもかと並んでいた。それだけではなく、地鶏を使った郷土料理や、小春も久しぶりに口にするジビエ料理もあった。

「さぁさ、ごはんの準備もできたし、みんな座って座って」

 光代がそう促し、小春たちは昼食の時とほぼ同じ場所に腰を下ろした。

「おばあちゃん、ジビエ料理なんてどうやって!?」

 小春が驚いて訊くと、光代は微笑む。

「近所の猟師さんから、いただいたの。孫娘たちが来ていると話したら、去年の冬に仕留めたものだから食べさせてやれって」

「えっ、ジビエ料理って、田舎ならどこでも食べられるものじゃないの?」

 秋奈の言葉に、冬華が答えた。

「ジビエ料理は、時期が限られてくるのです。猟師さんが山で猟ができる時期は決まっているから、猟師さんの知り合いがいるか、取引をしていないと難しいよ」

「そうなんだ。詳しいねー」

「だって、一度食べてみたかったんだから!」

 初めて目の当たりにしたジビエ料理に、冬華は目を光らせていた。今すぐにでも、口の中へと持っていきたい。冬華のそんな気持ちは、小春にもよく分かった。

「ん……」

 夏代が、祖霊舎と自分の目の前にある料理を、何度か見比べた。

 そして目を見張り、光代に声をかけた。

「あの、おばあさん」

「はいはい、なんでしょうかね?」

「あのぶつだ……いえ、祭壇の前にある棚に、いくつか同じ料理がお供えされているのには、何か訳があるんですか?」

「精霊棚のことね」

 光代は頷いた。

「祖霊舎の前に置いてあるのは、ご先祖様へのお供え物さ。そして同じ料理をお供えしてあるのは、ご先祖様と同じものを食べることで、神様であるご先祖様から力を分けてもらうためなんよ」

「そうなんですね。ありがとうございます」

 夏代はお礼を云い、軽く会釈えしやくした。

「じゃあさ、そろそろ――」

 秋奈が箸を手にしようとしたが、小春がそれを制した。

「ちょっと待ってください!」

「こっ、小春ちゃん!?」

 秋奈が驚いていると、いつの間にか金子夫妻が、精霊棚の前に正座で座っていた。

「すいません、もうちょっとだけ、待っていてもらえますか?」

 小春は金子夫妻の後ろに移動し、そこで正座をした。

「掛け巻も畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿萩原に、禊ぎ祓い給いし時に……」

 健一が祝詞を詠みはじめ、神妙な空気が流れ始める。光代と小春は頭を下げて、じっと祝詞に耳を澄ませていた。三人はその雰囲気に呑まれ、言葉をかけることができなかった。

 二種類の祝詞が終わると、健一が立ち上がった。

「待たせたのぅ。それじゃあそろそろ、食事にしようか」

「お待たせしました!」

 小春も元の位置に座り、光代も座り直した。

「それでは、いただきます!」

 小春の一声で、少女たちは食事を始めた。


 食事をしている間、紅楽荘の中は少女たちの楽しそうな声に、包まれていた。

 小春だけではなく、他に三人も同じ年頃の少女が集まれば、賑やかになるのは当然の摂理かもしれない。普段は食べられない希少な川魚を使った料理や、珍しい山菜料理。猟師さんからのサプライズで実現したジビエ料理に、少女たちは舌鼓を打ち、次から次へと料理は無くなっていく。



 すっかり日が暮れて暗くなった場所から、紅楽荘の方角を見ている者がいた。

「楽しそうだな」

「そうっすね。声がここまで聞こえてきます」

 二人の男が、そう言葉を交わす。

「どうするッスか? オレたちも行きますか?」

「バカ」

 一人の男が、もう一人の男に云う。

「こういう時に顔をつっこむなんて、野暮だろう。そんなことをしたら、お仕置きを食らうだけだろう」

「冗談ッスよ。でも、楽しそうなんで、ちょっと羨ましいッス」

「俺たちにできることは、見守ることだけだ。さ、そろそろ行くぞ」

「はいッス!」

 男たちは闇夜の中に消えていった。

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