長き夜は来たりて

にゃしん

邂逅

 アゼルバイジャンの首都バクーから西へ向かう。

 激しい高低差の末に比較的なだらかな場所にファリドは住んでいた。

 朝早くより家業である羊の世話を始め、日が沈めば家に帰る生活であった。

 当然学校に通える状況ではなく、足の悪い父と生まれつき虚弱体質の母を支えるため、体にムチ打つようあくせく働き詰める。

 やはりその日も疲労困憊になり、夕食にも参加せず一人ベットに突っ伏して早々に眠りについてしまった。


 そうして目が覚めたのは相棒の牧羊犬であるマルフの存在であった。

 いつもなら部屋に入ることはせず、決められたリビングで寝ているのだが、どの様にして扉をあけたのか気づいた頃には枕元に顎を乗せ、目でこちらに何かを訴えていたのであった。

 眠い眼を擦りながら中古の古びた携帯で時間を見れば午前一時。


「もう少し寝かせてくれ」


 ファリドは再び体を横にし、眠りつこうとしたがマルフがそれを阻止するかの如く、顔を執拗に舐め始めた。

 すぐに止めるだろうとたかをくくったが、一向にそんな気配は感じさせず永遠と長い舌がまるでミルクでも飲む時のように上下に往復するのでファリドは諦めて、ベッドから飛び起きた。

中途半端な目覚めに頭を少々痛めつつも、寝ぼけた表情でマルフの首下を可愛がる。


「なんか小腹が空いたな」


 春はもうすぐだが、まだ冬を感じさせる気温だ。

 普段着に着替え、両親を起こさぬよう静かに扉をあけ、音を立てずにリビングまでやってきた。

 テーブルに残り物でもあるかと暗い部屋を携帯のライトで探ると、丁寧に木蓋で保護された食べ物を見つけた。

 おそらくこれは自分の夕食だったものだ。

 冷えているが、充分に美味しい母の手料理を平らげ気持ちも落ち着いたことで再び、自室へ戻ろうとした。

 しかしまだマルフはどこか気に入らない様子で行く手を阻むように辺りを彷徨き始めた。


「お前はなにがしたいんだよ」


 日頃は頼りがいのある相棒だが、今日はなにか様子がおかしい。

 落ち着かない様子だが、目だけは鮮明に主人を見つめている。

 ファリドも意図を汲み取るべく真摯に面を向けると、付いて来いとばかりに尻尾を左右に振りながら玄関へと向かってあるき始めた。

 後に続くと玄関ドアを前足で引っ掻き回しながら開けろと催促している。

 仕方がなく、開けてやると一目散に走りはじめた。


「あ、おい待て」


 薄着ではないが白い吐息が長く続く。

 辺りに家はなく電灯もないため、星空の光だけがマルフの場所を導く。

 さほど遠くまでには行ってはいないが、寒さのあまり家に戻ってくるまで待とうとファリドは考えた。

 最近あまり仕事以外で構ってやれる時間がなかったため、じゃれ合いたいだけだろうと考えていた。

 満足するまで遊ばしてやろうと黙って見つめていたが、マルフが突然吠えた。


「父さん達が起きるだろ!」


 やめさせるべく慌てて走り始める。

 マルフの方も勘違いしているのか、遊び相手のつもりで遠くに逃げ始めるのでムキになり、追いつこうと必死になった。


「はあ……やっと捕まえたぞ」


 アームロックをかけた状態で首下を撫で回すと気持ちよさそうな表情で目をうっとりとさせる。


「もう満足しただろ。帰るよ」


 背中を軽く叩いて遊びの終わりを告げるも、マルフは一向に動こうとはしない。

 尻を冷たい草原に落とし、息を荒くしたまま何かを待っているような姿勢であった。


「俺はもう寒いから帰るからね」


 ファリドはうんざりした気持ちでポケットに手を突っ込んで帰ろうとした時であった。

 まばゆい光が夜空から駆け落ちてきた。

 マグネシウムを燃やしたかのような激しい閃光が周囲を明るみさせる。

 暗闇で見えなかった森のざわめきや自宅の屋根の補修部分を照らすほどであった。


「うわっうわっ」


 慌てふためいてファリドはマルフにしがみついた。

 片や相方は全く動じずに閃光を目で負いながら依然として舌を出して息をしている。

 閃光はやがてゆっくりとパラシュートのようにゆっくりと地面へと落ちた。


「家の庭の近くだ。火事になるかもしれない。戻るぞ」


 ファリド達は大急ぎで家へと戻った。


「この辺だったよな」


 形態のライトで手入れが行き届いた庭を探す。

 大きく育った観葉植物達の葉や根本を掻き分けながら、慎重に例の光を探すも痕跡すら見当たらない。

 ファリドにはあれが何だったのか検討もつかないでいた。

 ただ、激しく光っているので引火の可能性が頭に過ってしまい、今もこうして探りをしている。

 マルフが吠える。


「夜は吠えるの禁止だって」


 躾の行き届かない相棒に己の不甲斐なさで頭をかきながら、愛犬の元へ駆け寄る。

 何かを見つけたようでライトを向けた。

 小さな羽の付いた……人形であった。

 それを拾い上げると、所々に焦げが生じており先程の閃光を思い出させた。

 飛行機から落下したのだろうか、いやだとしてもなぜ燃えていた。

 腑に落ちる理由が見つからず、投げ捨てるのも忍びなく思ったファリドは着ていた服で汚れを落としてやろうと人形の頬を上着で優しく拭いてやる。

 焦げは消せないが泥や土は綺麗にすることができ、なんとはなしに満足気になる。

 心なしか人形の表情も和らいだように見える。


「俺は女の子じゃないから、いらないんだ。ごめんな」


 ファリドはレンガで造られた半円の花壇の上に倒れないように置いてやる。

 柄にもなくそこまでする自分に少し照れてしまうが、マルフの姿を見て我に帰る。


「もう充分遊んだよ。明日も早いから寝よ」


 マルフを手招きしてやると、理解してくれたのか家の中へと先に入っていった。

 大きく欠伸をし、首をまわすとファリド自信も家に入ろうとした時であった。


"ありがとう"


 知らぬ女性の声に思わず振り返る。


「誰かいるの?」


 脂汗がわきだち、周囲を懸命にライトで照らす。

 しかし人の姿は無く、其の事がさらにファリドを恐怖にかりたてる。


「出てきて。お客さん?」


 声が裏返り、まともな思考もできぬまま震えながらライトを振って何か映らないかと期待をする。


"あなたが置いてくれたレンガの上よ"


 。その言葉で人形を思い出すもつかの間、あの時みた閃光が夜空から落ちてくる。

 一つや二つではない。長くのびた光の尾が丘の向こうにも見え、昼だと勘違いさせるほどの閃光が降り注ぎ続ける。

 ファリドは口をあけて、幻想的な光景を前に立ち尽くした。


"光の精達が再び地球へと帰ってきたの。私はその先陣"


 声はいつしか耳元から聞こえていた。

 意を決して横目で見ると、人形だったものに六枚の半透明な羽が生えた生き物がファリドの肩に腰掛けていた。

 それはまるでそのものであった。

 悪い夢だと思いこむ。疲れが取れていないせいで中途半端な夢を見ているのだ、と。


"これからはあなた達に変わって私達がこの星の主よ"


 人形はそれだけ言い残すと、息を吹きかけどこかへと消えていった。



昨晩の怪奇現象に世界中の知識人たちは舌を巻いた。

衛星写真で問題の場所を捉えるも代わり映えのしない山岳ばかりである。

ただ妙なことに住民の一部が消えており、現地の調査員たちはこれから調査作業を始めるとのことであった。

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