真夜中に昇る太陽 ~コンビニで彼女はいつも週刊誌を立ち読みしている~

雪車町地蔵

第1話 夜が明けるまで、あと――

 一部の同族諸氏どうぞくしょしにはご理解いただけると思うのだが、いつも同じ場所に立っているひと、というのが世の中にはいる。


 別段、幽霊の話ではない。

 毎日毎日ルーティンワークで行動していると、同じように決まった行動をしている人物とバッティングすることもあるという……それだけの話だ。


 かくいう私にも、そのようにして出会ったひとがいた。

 比較的遅い時間まで仕事をしている私は、帰り道にあるコンビニへと寄るのを日課としていた。

 買うのはチョコミントアイスだけ。他のものを買い足すことはない。


 そのとき、必ず雑誌棚の前で立ち読みしている女性がいたのである。

 必ず、必ずだ。

 私とて、三百六十五日、欠かすことなくコンビニ通いをしているわけではないが、コンビニに立ち寄った日は、絶対にその女性がいた。


 年中作業着を着て、長そうな髪を頭の上でまとめているひとだった。

 彼女は他に買い物をするでもなく、一心不乱に週刊誌を読みふけっているのだ。


 初めは、奇妙だと思った。

 そのうち、彼女がいることが当たり前になった。

 やがて、その人を見ると安心する自分に気が付いた。


 会話など、したこともない。

 ただ彼女とすれ違うだけ。

 背中越しに、読んでいる週刊誌を覗き込んだこともあったが、中身は漫画であることが多かった。


 労働のあと、特有の汗の臭い。

 それが、強く脳裏に焼き付いていた。


 挨拶もなく、ただ背後を通り、私はチョコミントを購入し、店を出る。

 それだけの日々が長く続いた。


 コンビニは、一種の避難所だ。

 闇夜の中にあって、ぼうっと光り輝く建物は、少しだけ心に余裕を与えてくれる。

 いつしか彼女も、私にとっては安心の一要素となっていた。

 出会うのは決まって真夜中だったが。

 さながら彼女は、真夜中の太陽ごとき恵みを与えてくれていたのだった。


 ……けれど。

 あるとき彼女は、急に姿を消した。

 初めは急用でも出来たのかと思っていたが、何日っても戻ってくることはなかった。

 はばかられたが、店員さんにも訊ねてみた。

 もちろん返ってきたのは、知らないし答えられないという定型文だった。


 私は落ち着かない気分でチョコミントを買う。

 甘く、苦く、心を癒やしてくれるはずの氷菓ひょうかが、その日からはじつに味気ないものとなってしまった。

 世界は色褪いろあせ、仕事にも身が入らなくなっていった。


 どれほど経った頃だろうか。

 いつも通りコンビニへと立ち寄ると、彼女の姿があった。

 ……思えば、私はそれで舞い上がってしまったのだろう。


「あの、すみません」

「……はい?」


 思わず、話しかけてしまったのだ。

 彼女の声を聞いたの初めてで、それは想像していたよりもずっと高い音色をしていた。

 しどろもどろになりながら、自分がこのコンビニを愛用していること、しばらく姿を見なかったが大丈夫だったかなどと訊ねる。


「ナンパ、ですか? 下手だって言われません?」


 ショックだった。

 が、彼女の反応は至極もっともである。

 傍目から見れば確実に私は不審人物だし、そもそも彼女とはこんな話をするような間柄ではない。

 悄然しょうぜんとしつつ、非礼をびてその場をあとにしようとしたとき、


「チョコミント」


 彼女が、言った。


「チョコミント、買わないんですか?」


 どうしてそれを知っているのかと戸惑えば。


「あたしも、見ていましたから」


 はにかんだような顔とともに、そんな言葉が返ってきた。

 見ていた?

 誰が? 誰を?


「あたしが、あなたを。知ってます、いつもチョコミントだけ買うひと。変な人だなぁって、ずっと思っていて。あと、眼鏡が日によって違うやつかけてるの、おしゃれだなぁって」


 確かに、私は複数個眼鏡を所持しており、気分によって掛け替えている。

 けれど、どうしてそれを知っている?

 いや、答えはひとつだ。

 私が彼女を見ていたように。

 彼女もまた、私を見ていた――?


「好きなんです」

「え?」

「あ、違くて……週刊誌、少年漫画とか」


 彼女は赤面しながら、雑誌を持ち上げ、顔の下半分を隠す。


「お金無くて、ほんとはいけないって解ってるんですけど、続きが気になって読んじゃうんです」


 彼女はそのまま、しばらくコンビニに来なかった理由も話してくれた。

 なんのことはない、仕事が忙しかっただけなのだ。

 主に肉体労働が専門なのだと、彼女は袖をまくり力こぶを見せてくれた。

 いつかの汗の匂いの謎が解けたと、私は場違いな納得感を得た。

 同時に、安心もしていた。大病をわずらったというわけではなかったのだ。


「身体は頑丈なんです。あ、でも……チョコミントさんに会えなかったのは、ちょっと寂しかったりしましたね」


 それは、どうして?


「だから、好きなんですよ、漫画。毎日チョコミントだけ買っていく眼鏡のおしゃれな人なんて、それこそ漫画の世界の住人みたいで、ワクワクするじゃないですか!」

「――――」


 そう言って笑った彼女の顔は、とても魅力的で、とても輝いていて。

 私は。


「あのっ」


 私は、勇気を振り絞り、訊ねる。

 よかったら。


「よかったら今度、一緒にお茶でもしませんか?」


 彼女は、面食らったように凍り付いて。


「あ、え、えっと」


 彼女がうつむくまで、あと一秒。

 彼女が赤い顔で頷いてくれるまで、あと三十秒。

 彼女と一緒に出かけるまで、あと一週間。

 彼女と私が手を繋ぐまで、あと一ヶ月。

 彼女と私が。

 私たちの距離がゼロになるまで、あと――



 夜が、明ける。

 真夜中が終わる。

 私はその日、いつだって輝く太陽と、本当の意味で出逢ったのだった。

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