猫の手を。

メイルストロム

猫の手

 ──にゃあ。


 なんて鳴いてみたけれど今まで通りの声じゃない。なんだかちょっぴり人の声真似に近いようだった。


「まぁ、こんな体ににゃっちゃったんだ。仕方無い仕方無いってにゃあ」

 後ろ手に組んでいた手を離し、目前に倒れた男性の側にしゃがみこむ。今までよりもちょっぴり安定しているかと思ったけど、そうでもなさそう。

「なぁお兄さん。私に譲っておくれよ、いいだろう?

 譲ってくれるなら、ちゃんと道行きを示してあげるからさぁ」

 肌は弾力を失い死斑の浮き出ている死体を相手に何をしているのかって、ちょっとした交渉事だよ。真っ裸のままじゃあ格好がつかにゃいから、行き倒れた人の衣服を貰おうと思っているのさ。可哀想なことに、この人はまだ残っていたみたいだからにゃ……案内の駄賃代わりに衣服を貰おうって思ったのさ。

 ──行き倒れの理由とか、そういうのはそれなりに。中身が残っているのはあんまりよくないらしいから、早めに成仏して閻魔様の所へ向かってもらわないと行けにゃいってさ──

「……ありがとうにゃあ、お兄さん。

 それで道行きだけれども……ほら、ここから先に道祖神様の像が見えるだろう。それを辿っていけばちゃんと彼岸に渡れるさぁ」

 笑顔でにっこりと、彼方へ送ってやってから衣服を貰うのさ。少し死臭が憑いているけれど、墓場で産まれた私には丁度良いのかもしれないにゃ。


 ──猫として産まれ幾年月、気が付けば尾は二股に別れ人の似姿をとれるまでになっていた。

 我ながら長生きだなぁとは思っていたのだか、よもや化け猫の域に届くとは思ってもいなかったのだ。また困った事に猫の姿へと戻る方法がわからないと来たもので、幸か不幸か耳は人のそれであり尾だけが残されている。

「……とはいえ、どうやって生きていこうかにゃあ。

 この姿では野鼠を獲るも難しいし、然りとて人の世で働いた試しなどはない。それに──」

 ──何故、よりにもよって墓場などという縁起の悪い場所で人の似姿を得るに至ってしまったのか。

 それでもまぁ、人里のど真ん中で化けるよりはマシなのだが……どうせなら森の湖畔やなんかの風情ある場所で化けたかったものだ。

「まぁ、ぶらぶらと猫のように気儘に行きましょうにゃ──」

 目的地もなにもなく、足の向かうままに流れ行こうと決めました。道行きにどんな出会いがあって、果てに行き着くはどこなのか。ふらふら生きて行くのも悪くにゃい。


 ──結局のところ、化物になっていたのだからマトモな食事など不要な体であったらしい。魚も肉も水も、何を摂っても満たされぬ不思議な体にされてしまったものだ。

 そんな私が惹かれるものが、一つだけ。


 ──理由は知らぬが人の死体に惹かれてしまうのにゃ。


 だから私は流れ着いた先にあった、山の麓にある小さな埋葬屋に身を寄せましたのにゃ。丁度後継者が欲しかったらしく、猫の手も借りたいような状態だったらしいのですにゃ。だから二つ返事で受け入れてくれましたにゃ。そんな老夫婦が営む小さい小さい埋葬屋へ、私のような若い娘っ子が弟子入りしたよと噂はすぐに広まったにゃ。教えられたことを忠実に守って頑張る私を、お爺さんとお婆さんは可愛がってくれましたにゃ。

 そんな私達の下へ送られるのは様々な仏様。ちょいと残念なことに中身の無い仏様ばかりではなく、中身がべっとりと残っている者も居たにゃあ。 だからまぁ、サービスとして彼岸への道行きだけは教えて上げていましたよ?

 それが原因でしょうかにゃあ、最後に対面したご家族から仏様がスッキリとしているだなんて言われるのにゃ。


 ……清めた仏様をどうするのかって?

 そりゃあ弔うに決まってるじゃありませんか。ただ少しだけ、ここの弔いは変わっていて……仏様を土へ埋めて還すのにゃ。

 それはとっても大変だから若い私が担当しているんにゃけど、その作業は基本的に埋葬屋がやるのにゃ。最近はもう老夫婦も来にゃくなっていますし、私一人で猫車に仏様を乗せていくのです。

 そんなある時、赤子の鳴き声が聞こえてきたのです。

 墓場森などと呼ばれるこんな森へ誰が置いていったのやら──


 ──声の先に居たのはおくるみにくるまれた赤ん坊。ここいらで一番立派な道祖神様の所に置くなんて……それにまだ目も開いていないような乳飲み子ではあるまいか。

「うーん……ごめんよぅ、私には君の声が聞こえないにゃ。

 君の声を聞ける人が来るまで待っていて欲しいにゃあ……」

 とは言ったものの、赤子の声が聞こえるものなどいるのだろうか?かといってこのまま置き去りにすれば、万が一にでも人拐いに会うのではないか。野性動物に食われてしまうのではないかと、嫌な予感というか想像をしてしまった。

「仕方無いにゃ……っと」


 ──ぶちり。


 自分の左手小指を噛み千切って布でくるんで、ちょいとした呪いをかけてやりましょうにゃ。本物の怪異相手には通じるか怪しいけど、それ以外なら確実に追い払えるはずにゃ。

「後でまた来るからねぇ、大人しく寝ているんだよ」

 ちょっぴり特別な音を消しちゃうお呪い、それでも触れるのなら手痛いしっぺ返しがついてくるおまけ付きなのにゃ。


「……ありゃりゃ、行き倒れにゃ」

 依頼のあった仏様を弔ってから、件の赤子の下へ戻る最中に見つけたのはボロボロになった夫婦らしき二人の仏様。

「──当然、中身は残っているかにゃ」

 仏様の上で漂う二つの人影、じっと視てやれば当然気づかれるわけでして。悲しそうな顔で漏らすは怨み言かと思いきや──

「──そこの方、我らの願いをどうか聞いてはもらえませぬか」

「願いによりけりですにゃ。私にも出来ること出来ないことはありますからにゃ?」

「……赤子を、赤子を救ってほしいのです」

 母らしき女の言葉で思い当たるのは先の赤ん坊。

「あー……この先、道祖神様の元に置かれていた赤子かにゃ?」

「はい……あの子は無事でしたか?」

「無事だよぉ……貴殿方がどうしてこんなところで亡くなったのかは知らにゃいけど、子供の事は任せにゃよ。ついでに君らも埋葬しておいてあげるにゃ。だから安心して彼岸へ逝くにゃ。道祖神様を辿れば迷わずに逝けるにゃよ」

「ありがとうございます、化猫の貴女……息子を、宜しくお願いします」


 ──その声を最期に二人は霞のように消えてしまう。

 残された二つの仏様を猫車に乗せて、件の赤子の下へ歩みを進める。

「そう言うことならあっちの呪いにするべきだったかにゃ……けどそれじゃあ獣畜生に盗られるし、難しいにゃあ」

 近づくにつれ、声が聞こえてきた。先程のような赤子の泣き声ではない。拙さこそのこるものの、ハッキリとした声として聞こえている。

「ありゃりゃ、小指がなくなってりゃ」

 別れ際、赤子の腹に乗せたお呪いが無くなっていた。となればあの声は──

「サムイヨ、コワイヨ……」

「よしよし、独りにしてゴメンなぁ」

 冷たくなった赤ん坊を抱え上げそっと首へ手を当てる。そこにある筈の熱はなく、体には一切の動きがない。その事実に自然と笑みが漏れたのは内緒だよ?

「ダァレ……?」

「坊や、お母ちゃんとお父ちゃんに逢いたいかい?」

「……ウン」

「それじゃあ、ついといで……私が彼岸に、親の下へ渡してあげるから」


 ──ご夫婦さん、借りる手の相手は選んだ方がいいにゃ。

 猿の手よりはマシだろうけど、化け猫は駄目だにゃ。今度は普通の猫の手を借りると良いにゃよ。





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