猫塚の招き猫

葎屋敷

ねんねこ、ねんねこ。


 なんだい、おまはん。旅の人かい? ほう、ここらで良い茶屋を探してるのかい。

 それなら、「猫塚」があるよ。名前のわりに「寝子ねこ」は期待しちゃぁいけねぇが、あの店は鯛の潮汁が絶品だ。この町に来たら、猫も杓子も一度は寄るよ。名物案内双六ランキングにも載ってるさ。

 ほう、なんで店の名前が「猫塚」かって? そんなもん、わたいが知るもんかい。店番の娘の帯がだらりと垂れた「猫じゃらし」だからかねぇ?

 ……いや、もしかすると、その娘が拾ったっていう「招き猫」から取った名前かもしれないよ。

 そうさ。猫塚の店先には、いけ図々しい顔したブサイクな招き猫の置物が一匹。なんでも、路地裏で捨てられてたのを拾ったって話でね。あんなブス猫拾うたぁ、あそこの娘は好き者でいけねぇ。

 だが、その招き猫を拾ってから、あそこの店が繁盛してるって噂もあるもんだよ。

 まぁ、なにが本当ほんこかなんてのは、それこそ知れんもんでありますね?



 *



 抜き足差し足忍び足。弥八郎は膝をぐっと曲げ、つま先を地面に降ろす。内玄関の扉を持ち上げるようにしながら引いて、中へと入る。そこは、町きっての料理茶屋「猫塚」の店の入り口だ。猫塚は近頃儲かっていうという話だったが、そこらの住民と変わらず、鍵はかかっていなかった。

 この店の名物は鯛の潮汁で、それを目的にこの町に来る者がいるほど、それは美味いのだとか。この店が儲かっているのは、潮汁があるからだという者もいる。

 ただ、弥八郎は、潮汁以外にも儲かっている理由があると聞いていた。どうにも、この店の娘が「招き猫」が縁起物で、それを拾ってからというもの、店が繁盛して仕方ないのだという。

 そんな置物ひとつで店が儲かれば苦労はしないはずだが、実際に店の棚には手でちょいと手招きしている猫が飾られているということは、この町の住人ならば皆知っていた。


 そんな猫塚にこっそりと入って行く、この弥八郎という男は盗人であった。町を巡って、夜な夜な民家へと忍び込み、小金と食い物を盗るのである。

 彼はこの町にやって来て早々に猫塚の噂を聞き、夜になるとさっそく忍びこんだ次第だ。目的はもちろん小金に食い物。そして、金になりそうなお宝である。もしこの店の招き猫が本当に客寄せの奇妙な力を持っているのだとすれば、そこらの商人に適当に売ってしまえるかもしれないという魂胆があった。


 弥八郎が店へと入れば、中は灯りひとつない。経営しているという娘は奥に引っ込んでいるらしかった。今頃は夢の中だろう。

 弥八郎はざっと店先を見渡す。そして、噂の「招き猫」とやらを早々に見つけた。


(けったいな猫じゃ……)


 招き猫は噂になるほどであるから、当然店の中でも目立つところに飾られているものだ。それは店の食器棚の上にふてぶてしい顔をして鎮座していた。その作りは意外と精巧なもので、尻尾が二股でなければ本物と見間違えていたかもと思われるほどだった。

 弥八郎は一先ず招き猫から目を背け、小銭を探す。この店は不用心にも千両箱の中にどさりと小銭を入れていたので、弥八郎は手ごろな金額のものを袂に入れた。ここで欲を出さず、少額だけ盗るのが、弥八郎のようなコソ泥が生きていく術のひとつである。家人の枕探しなんてのは、弥八郎のような小心者にはできなかった。

 彼は金を漁った後、鼠入らずと呼ばれる食器棚にも手をかける。食器棚の中には食器だけでなく、調理した食料も保管されている。頑丈な木でつくられた食器棚の中は鼠が侵入できない。しかし、本物の鼠は侵入できずとも、鼠野郎の盗みを妨げることはできないのだ。中にあった梅干しを摘みながら、弥八郎はもう一度招き猫の姿を見据えた。

 左の前足を宙へと浮かせ、丸っこい足で客を手招く猫の置物。こんなもので客寄せになるというのなら、商売というのはなんて楽ちんなものだろうか。

 弥八郎は右腕を伸ばし、棚上に両手をかけ、背伸びをする。すると、弥八郎の視線がぐいっと上がって、招き猫と目が合った。


(こんな猫がなぁ……)


 弥八郎は招き猫に引き寄せられるように、顔を近づけてその顔を観察した。普段であれば、金と食い物を漁った後は早々にとんずらする彼ではあるが、この時は不思議とこの偉そうな猫に惹かれていたのである。

 自分が他人様の家で盗みに入っていることすら忘れ、彼は猫に気をとられていた。見れば見るほど、猫の瞳に吸い込まれそうになった。

 弥八郎はなんだか心の底からその招き猫が欲しくなって、そうっと手を伸ばした。小銭を懐に入れる素早さと比べれば、大層緩慢な動きであった。

 そんな弥八郎の目を覚ましたのは、他でもない、その招き猫であった。

 その場に自分以外誰もいないと思っている弥八郎の顔を、置物であるはずの招き猫の爪が刃のように襲ったのである。


「んびゃあ!」


 潰れた猫のような悲鳴をあげながら、弥八郎は後ろへ亀のようにひっくり返った。なにが起こったか理解が及ばず、弥八郎はただ、顔面にできた傷を手で覆いながら、畳の上を転がった。


「いてえ! いてえ!」


 左右にドタバタと、子どもの地団駄よりも大きな音を立てながら、弥八郎は痛みに絶叫する。傍から見れば猫の引っ掻き傷でしかない顔の傷は、傷口に塩をやすりで擦りこむような、耐えがたい痛みを弥八郎に与えていた。

 彼は顔に置いた指と指の隙間から、上方へと視線をやる。そこには、先程までの招き猫の姿はない。自立し生きる化け猫の姿があった。


「ば、ばけね――」


 言い淀んだのは、鋭い瞳に射抜かれそうになったから。要は、猫から殺気が放たれていたからに他ならない。

 逆立った毛は針のようにとがっていた。先程まで片腕に余裕で収まりそうだったはずの猫の全長は、いつの間にか二倍以上になっている。その巨体が棚から降りれば、どすんと音が立つ。まるで屋根から雪の塊が落ちたかのような重量のある音が耳を襲った。

 これだけでも奇妙なものであるが、なによりもおかしいのが、二股に割れた尾である。置き者と割り切っているときは、奇天烈な形状と思うだけであった。しかし、いざ猫が置物でなく、動いているとなると、あの尾が示すのは、ただの猫ではないということ。

 つまり、目の前にある存在が「猫又」と呼ばれる怪異であるということである。


「ひ、ひぃい!」


 畳の上で何度も足袋を滑らせながら、弥八郎はばたばたと足を動かす。彼は驚きのあまり、すっかり腰砕けになってしまって、立ち上がることができなかった。その間にも、弥八郎に落ちる猫の影はみるみるうちに大きくなる。それは当然。なにせ、猫又そのものが焼けた餅のように丸々と、膨らむように太っていくのだから。

 猫又はあっという間に食器棚よりも大きくなって、天井に頭をぶつけるほどの大きさになった。その様を見ることしかできなかった弥八郎の顔は色を失くしている。震える唇から漏れる声は、すでに意味をなさない。


「た、あ、あ……」


 大きく開かれた目から零れる涙は、主の顔を汚していく。べとべとになった塩味の人間を味わわんと、巨大猫又は弥八郎の頭に噛みついた。

 弥八郎が抵抗を見せる前に、猫又はその首を食いちぎってしまった。頭を失った弥八郎の身体はバタリと畳の上に倒れる。湯のみがちゃぶ台の上に転がった時のように、その身体を起点に血が広がる。草の目に彩られた赤は扇のようであった。

 猫又は弥八郎の顔を噛まずに、ごくんと人呑みした。そして横たわっている身体を爪で弄んでいる。その様子を、襖にもたれている娘は笑みを湛えながら眺めていた。


「ねんねこ、ねんねこ。猫の手借りるだけの、いい商売だぁ。金払わねぇ鼠食らぁせときゃ、お猫様がお礼に客寄せなさる。楽ちん楽ちん」


 灰吹きに煙草の灰を落としながら、娘は猫の口にじゅぶじゅぶと地をすする音を聴いていた。なんとも不思議なことだが、あの巨大猫がすすれば、畳の目の隙間に入り込んだ血も、一滴残らずその口の中へと納まるのである。畜生妖怪であるくせに食い方が綺麗とあれば、茶店の猫としては上出来である。

 猫が汁の一滴まで楽しんでいると、その歯に弾かれた小銭が娘の足元まで転がって来た。弥八郎の袖の中にあったものだ。すでに、当の本人の身体は足の先まで猫又の腹へと収まっていた。


「まいど~」


 元はといえば、その金は弥八郎のものではなく、この店のものだ。つまり、娘からすれば梅干しの代金をもらったわけではないが、代わりに命で頂戴した。娘は鼠への礼を口にしながら、拾った小銭を煙草盆の火入れの中へ落とす。ちゃりんと甲高い音は、腹の底を叩くような猫の低い鳴き声で掻き消された。

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猫塚の招き猫 葎屋敷 @Muguraya

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