その庭の秘密

秋色

その庭の秘密


 その春休みは、工事の音でテンションが上がった。

 私と弟、それに子猫のまりんの二人と一匹で駆けていく道。近付くに連れ、ガガガという機械の音やカンナをかける音が鳴り響いてくるその場所。海の側の遊歩道沿いに見える工事現場だ。「潮の香園」を作る工事だと看板には書いてある。潮の香園の事を最初は公園かと思っていた。でもそうではないとクラスメート達が春休み前、話していた。お金持ちが作っている庭園らしいと。


 私達家族が、パパの故郷の町に一家で引っ越してきてから六ヶ月目の春休み。それまで住んでいた大きな都会の街とはだいぶ違う。地方都市って言うらしい。海の近くで、船が行ったり来たりするのを見られるから、私と弟の裕翔ゆうとはここでの生活が大好きだった。パパも前いた場所でのリストラの苦い思い出を忘れてのびのびしていた。

 ママだけは、元いた都会の生活が性に合っていたみたいだ。いつも懐かしがっては、ここの生活にぶつくさ言っていた。「ここにはキラキラしたものが何にもない」と。

 そしてまりんの心の中だけは分からない。でも前に住んでいたマンションでは、大人しかったまりんがここに移ってからは度々外を冒険したがった。散歩中、色々な場所をウロチョロして私達を手こずらせる。結局はしばらくすると駆け戻ってくる臆病者だけど。私と裕翔で写真と似顔絵付きのポスターを作って色々な場所に貼らせてもらった事もある。その晩、何事もなかったように平気な顔をして帰って来て毛布にくるまっているまりん。ちょっとムカつくけど、やっぱりまりんもこの町を楽しんでるんだな、と思う。



 潮の香園の工事は、そんな猫の手を借りたいほどの忙しさだと言う。それは、人見知りしない裕翔が友だちになった工事現場のお兄さんから聞いた情報。

「猫の手なんて大げさだね」とまりんを抱いた裕翔が言う。

「いや、ほんとに工事は急ピッチで進めているんだ。夏の初めまでに完成させる予定だからね」とお兄さん。

 ずっと掘っていた大きな穴は池になり、真ん中には敷石が敷かれて道が出来た。その端には百合の花の形をした照明が付いた。


 私と裕翔はいつも工事に来る人の数を数えていた。人数は昨日一人、今日また一人と少なくなっていく。だいぶ出来上がってきた証拠だった。



 工事現場で働くメンバーは、その日によってちょっとずつ違っていた。また、途中で抜けた人も、途中から加わった人もいた。その中で最初の頃からずっと働いているおじさんがいた。そのおじさんだけは、誰とも話さないし、目付きが悪い。でも腕は確かなのだろう。池の事も花壇の事もベンチの事も全てに関わっているから。

 ガタイが良くて、大きなレンガもまるで枕のように軽々と抱え上げている。私と裕翔の間では、モクさんと呼んでいた。裕翔の絵本の中に出てくるキャラだ。いつも黙っているこわもてキャラ。


 春休みの間、裕翔は、工事をしているおじさん達にフェンス越しに話しかけては友達になっていた。


「今、何してるの?」


「それ、何に使うの?」


 多分うるさがられていたんだろうな。でもあのモクさんだけは話しかけても振り向かない。無愛想な表情を一切崩さない。だから裕翔は、結構怖気づいていた。一度、フェンスのすぐ外にある材木を手で触っていた裕翔にモクさんが静かに舌打ちした。それからは私達二人はいっそう遠巻きにモクさんを見るようになった。

 さらに私達の間では、モクさんはヤバい世界の人ではないかという憶測が生まれ始めた。

 ある日、パパに「大きな池のある庭って見た事ある? どんな人がそんな庭のある家に住んでると思う?」と何気なく訊いた時の事だった。パパはこう答えた。


「そんな庭のある家を子どもの頃、見た事があるよ。庭に大きな錦鯉にしきごいがたくさん泳いでいたんだ」


「そうそう。そんな感じの庭。見た事あるんだね! どんな人が住んでたの?」


「それはヤバい感じの親分の家だった」


「え!」 


 今なら普通にお金持ちの人もいると分かるけど、小六の私に、その時のパパの言葉が与えたインパクトは大きかった。そして裕翔に後で話した。

「あの庭ってもしかしてモクさんの家の庭なのかなぁ」と。


「もしかしたらそうかもしれないね」と裕翔も簡単に同調した。「自分の家を自分で作ってるのかもしれないね」



 そんなある日、猫のまりんが、とんでもない脱走を試みた。そのシーンを今も忘れられない。今もスローモーションで記憶の箱からよみがえる。裕翔の腕の中から飛び出し、フェンスの中に入っていったまりんの姿を。そこは、ピンポイントでちょうどモクさんが一生懸命作業している所だった。


「まりん!」私達は、その名前を叫びながら、きっと顔が青ざめていた。

 怒られるのを覚悟し、フェンス越しに中の様子を見守った。するとモクさんはしばらくまりんを見つめてから、大きなカバンを肩に掛けて、まりんを抱え上げて工事現場から立ち去ったのだ。

 子猫の誘拐事件? 私達はモクさんに後ろから声をかける事もできず、早足でカツカツと立ち去るモクさんをただただ追いかけるのが精一杯だった。

 モクさんは、作りかけの庭園を出て、外の舗道を歩き始めた。子どもの足ではなかなか追いつけない。まるでハーメルンの笛吹き男みたいだと思った。モクさんはまりんをどうする気なんだろうと胸がドキドキした。サングラスをかけたモクさんがテーブルにうずくまるまりんにナイフを振り下ろすシーンが頭の中に浮かんだ。もし本当にそうなっていたらどうしよう……。そしてさっきまで豆粒のようだったモクさんの後ろ姿を見失った。

 不安に押しつぶされそうになりながら角を右へ左へと曲がって探し回った。裕翔は必死に私についてきた。走り疲れた頃、いきなり目の前がパッと開けた。

 真っ青な空と真っ青な海。そして青空に浮かぶ綿菓子の切れ端のような雲。探し回った私がその下に見つけたのは、長く続く遊歩道の途中に置かれたベンチ。そしてそこに座ってランチを楽しんでいるモクさんとまりんの姿。


 モクさんは海を見ながらサンドイッチを食べ、時々そのサンドイッチをちぎってはまりんにあげている。まりんもマンザラではなさそう。ノラと勘違いされてるのか?


「か、飼い主です。僕達がそのネコの飼い主です!」


 必死で裕翔が名乗り出る。頭を掻きながら、驚いた様子で私達を見つめるモクさん。


「カイヌシ?」


 それが私達とモクさんの自己紹介のシーンとなった。猫の手を借りた出会い。モクさんの豪快な笑顔をその時初めて見た。自己紹介と言っても身振り手振り。


 モクさんは外国人だった。マレーシアから出稼ぎで来ている庭師。だから普段、仲間と雑談していなかったのだ。



 裕翔が仲良くなった工事現場の例のお兄さんからその後、聞いた話はこうだ。モクさんの本当の名前はリムさん。凄腕の庭師で、庭のデザインコンクールにも出ているとの事。モクさんが分かる日本語は仕事に関する言葉、つまり庭に関する言葉のみ。それで当然、裕翔のフェンス越しの質問も理解されていなかった。


 猫のまりんはその日だけでなく、よくリムさんとお昼を一緒にしていたらしい。孤独なリムさんの唯一のランチタイム友達。猫に言葉の壁はなかった。


 自己紹介したリムさんとの付き合いはあっという間で、工事が終わるとそれきり。最後の日に手を振りながらトラックに乗っていった。リムさんに行ってほしくないまりんが、私の胸の中でバタバタし、すねていた。

 リムさんは、きっと今もどこかで素敵な庭を作り続けているだろう。弟とそう信じている。だからパパの車でのドライブ中に大きな庭の横を通り過ぎた時やガーデニングに関する写真を見つけた時等、ついつい心はあの春休みにワープしてしまう。


 例の潮の香園は、お金持ちのお庭だと思っていたら高齢者施設というお年寄りの施設の一部だった。でも土曜日と日曜日には、誰でも入れる事になっている。だから週末の私達姉弟の遊び場だ。今ではこの町にも慣れたママも週末のひと時をここで過ごしてる。キラキラした遠くの海の風景を楽しみながら。もちろんまりんも。まりんは潮の香園に来るみんなのお気に入りだから。



 でも私達姉弟だけの秘密がある。リムさんは知っていたのか知らないままなのか、今となっては分からないけど。潮の香園の入り口のセメントには小さな猫の足型がある。まりんの付けた記念の足型が。



〈Fin〉


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