『プラチナの季節』読書感想文

くれは

僕はプラチナの価値に気付けない

 この本のタイトルにもなっている「プラチナの季節」とはなんだろう、と考えた。プラチナとは白金のことだ。それが元素の一つであるというのは、化学の教科書に書かれている。

 辞書を引いてみたところ、それだけでなく「高価な」「貴重な」「特別な」という意味もあるらしい。それであれば意味がわかると思った。つまりこのタイトルは「特別な季節」ということだ。

 けれど、一体何が特別だったのだろうかと、この本を読み終えた僕は考えた。


 特別というのはなんだろうか。日常と非日常であれば、非日常に近いもののような気がする。プラチナとはとても貴重なもので、だから特別なのだ。

 拓也の身に起こったことは、特別なものだっただろうか。父親の失踪や姉の自殺未遂、親友との喧嘩、家出、初恋の相手との別れ。それらは確かに日常ではないかもしれない。けれど、一つ一つ見てみればそれは世の中にありふれているようにも思える。それに、できることなら経験したくない出来事でもあって、それを「貴重な」体験と言ってしまうのはためらわれる。

 プラチナという言葉の意味について、その輝きについて考えると、どうしてももっと美しくキラキラとしたものであってほしいと思ってしまう。

 けれど、その美しさを僕は拓也の様々な体験の中に見出せなかった。ほのかが木漏れ日を受けて佇むシーンは確かに美しかったが、そのあと死んでしまうほのかの最後の輝きが「特別な」ものだったとは、僕は思いたくはない。

 むしろ、拓也の家族が壊れてしまう前、穏やかに過ごしていた日々の方が特別だったのではないだろうか。当たり前のように笑っていたほのかの姿の方が貴重だったのではないだろうか。


 僕にとってのプラチナはなんだろうか、と考えた。けれど、僕は自分のそれほど長くない人生の中に、プラチナを見付けることができなかった。

 この毎日の日常がいつかは僕にとってプラチナになるのだろうかと考えると、僕はぞっとする。僕がそう感じるとき、きっと僕にとってのプラチナは失われてしまったあとだろう。プラチナは貴重なもので、きっと失われた後にしか気付けないのかもしれない。

 拓也が失われてしまったほのかとの思い出を語るとき、その中にプラチナを見出すように、僕は何を失って何を見出すのだろうか。

 けれど、実際に手の中にプラチナがあるときには、その価値に無自覚でしかいられないのだ。そう、僕だって今、プラチナの季節を生きているのかもしれない。けれど、今の僕にはその価値はどうしても感じられない。


 この物語は、だからといって「今を大切に生きよう」とか「日常を愛そう」とか、そんなことを言っているようには思えない。

 人はどうしようもなく価値に無自覚だ。それがどうしようもない人というものだ。誰もがそうだ。

 そう言われて突きつけられているような気がする。

 僕の手の中にもきっとプラチナはあるだろう。けれど、それは失われるまでは決して気付けない。この物語が僕に語りかけてくるそのことを考えると、僕はとても恐ろしい。

 それでも僕は生きていくしかない。手の中にあるはずのプラチナを取りこぼしながら、失いながら。それでも、人は季節を生きてゆく。


 手の中にあるうちにはプラチナの価値には気付けない。だからプラチナは貴重で特別なのだと思った。



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