桜猫の贈りもの。

羽鳥(眞城白歌)

無精髭、狐っ娘に見惚れる。


 厨房ちゅうぼうは、重い空気に包まれていた。


 ここ『ダグラ森の砦』は、世界改革を目指す革命軍の拠点だ。迷いの森とも言われるダグラ森の奥にあり、森の歩き方を知る者でなければ辿り着けない。来訪者はほとんどなく、別地域の同志と連絡を取るときには街で待ち合わせるのが常だった。

 そんな砦には今、珍しく三人もの客が訪れている。


「あー、ここの調整板がイカれちゃってるのかも! 一番使う部分って一番触るから、魔法文字がすり減って誤作動起こしたりするんだよ」

「この部品は汎用はんよう品ですから、交換すれば大丈夫そうですね。他に不具合ないですか?」


 オーブンの扉を開けたり閉めたりしているスレンダーな女性は、青紫色の獣耳とふさふさの尻尾を忙しなく動かしながら、ハキハキと喋っている。その側には桜色の耳としなやかな尻尾を揺らしながら熱心にメモをとる、ふんわりした印象の美女がいた。

 まだ若い獣人族ナーウェアの二人は、魔法工学の技術者たちだ。青紫の狼獣人ウェアウルフがロベリア、桜色の猫獣人ウェアキャットはメルリリアというらしい。より正確には、オーブンを直せる技術者はロベリアで、メルリリアの専門は魔法製武器ソーサリーウェポンだ。

 さほど広くもない厨房の隅には大柄な黒髪の男が立っていて、二人のやり取りを見守っている。獅子獣人ウェアレオンの彼はアッシュといって、メルリリアの夫で革命軍ウチが懇意にしている鍛治師だ。オーブン修理の相談は最初、ウチのリーダーからアッシュに持ちかけられ、妻の親友が技術者だからと、護衛と紹介を目的に同行してくれた、というわけだった。


「アッシュ、珈琲でも淹れようか? ヒナも、カフェオレ作ってやるから元気出せ」

「俺は、そうだな、もらおうか。大丈夫だ、今日の夕方には間に合うさ」

「…………ん」


 厨房の丸椅子にちょんと乗っかって膝を抱えている狐っは、ヒナ。青銀色の大きな狐耳も、いつもふわっと膨らんでいる尻尾も、今日はしゅんとヘタっている。


 厨房の主力、革命軍の胃袋を養うかなめである魔法製のオーブンが壊れたのは、三日前の夕飯時だった。爆発炎上のような惨事は起きなかったものの、火蜥蜴サラマンドラが踊っても温度が上がらず、火力調整のつまみを上げ下げしてもうんともすんとも言わないという、地味な壊れ方をしやがった。

 オーブンがなくても料理はできるが作れない品も多く、パンや焼き菓子類は全滅だ。作り置いていたクッキーも昨夜、ヒナが最後の一枚を食べてしまって、今日は修理してもらうため朝から片付けと整理整頓に追われて、おやつを作ってやる暇がなかった。

 腹減り娘に、バリエーションが減ったごはんとおやつ抜きは物足りなかったらしく、不満こそ言わないがこうして朝からしょげ返っている。


 アッシュはヒナを気遣ってくれたんだろう。俺が小鍋でミルクを温めながら珈琲を淹れている間に、ヒナの側に座ってナイフを取り出し、それを見せながら話をしている。あれはたぶん、ヒナを狐獣人ウェアフォックスと勘違いしているな。

 ヒナは妖狐ようこ魔族ジェマなんだが、安全のためだとかで狐獣人ウェアフォックス変化へんげしている。狙われやすいとかいろいろ事情があるらしい。

 まあ、二刀遣いだし、本人も目を輝かせて聞いてるから大丈夫だろう。アッシュはまだ若い男だが、妻を前にして変なことはしないだろうから、俺の心も平安だ。つーか、いったい何を心配してるんだろうな、俺は……。


 俺とアッシュのぶんはブラック、ヒナにはミルクと砂糖と足してカフェオレにして、三人で厨房のテーブルについて修理が終わるのを待つ。ヒナは甘いカフェオレがお気に召したらしく、飲み終わる頃にはだいぶ元気を取り戻していた。

 ナイフに魔法効果を付与するのがメルリリアの得意分野だと聞かされて、好奇心も回復したらしい。楽しげに修理をしている二人を、薄荷はっか色の目をきらきらさせて見つめている。


「気になるなら、近くで見てきたらどうだ?」

「……うん!」

「あー、ヒナ、邪魔にならないようにしろよ!?」


 身軽く駆け寄っていったヒナの背中に声を掛けるも、ちゃんと伝わったのかどうか。ロベリアもメルリリアもヒナを邪険にしたりせず、優しく迎え入れてくれたようだ。

 ずっと落ち込んでたからな、いい気分転換になるだろう。


「ふふ、子供って可愛いな」


 俺の向かい側で強面を和ませて、アッシュが呟く。子供が可愛いっていうのには完全同意だが、おまえさんの年齢で子供というにはヒナは大きすぎるだろうが。


「あんたらは、まだなのか?」


 他意はなかったが、不躾ぶしつけだったかもしれない。向かいの黒獅子は固まった。それからゆるゆると腕を上げて顔を覆い、ぽそりと呟く。


「妻が、可愛すぎて……今はまだ、独り占めしたい」

「……そっか。それもいいよなぁ」


 まずい話題でなかったことにほっとしつつ、迂闊うかつな自分を反省しつつ。だが無骨な職人の意外な一面を見てしまった俺は、その微笑ましさにニヤニヤ笑いが収まらなかった。


 



 オーブンの修理が終わるのは午後のおやつ時間くらい。三人がオーブンに向き合っている間に、俺は蒸し器を出してきてカスタードプディングを作ることにした。

 カラメルソースは砂糖と水を煮詰めれば簡単だし、プディングもミルクに砂糖と溶いた卵を合わせてし、器に分けて蒸すだけだ。オーブンで作る時のような焦げ目はできないが、とろみがあって滑らかな仕上がりになる。


 作業が一段落したタイミングを見計らい、冷蔵室から取り出す。スノーウルフは昼寝でもしているのか、奥のほうに小さな雪山ができていた。もう少し暑くなってきたら、フルーツフラッペを作ってやれそうだな。

 適度に冷えたプディングを型から外して平皿へ乗せる。小さく切ったフルーツを飾り、チョコソースと生クリームを添えれば、なかなかお洒落な仕上がりだ。案の定、技術屋の女性たちとヒナは、目を輝かせてデザートを見つめている。


「チョコと生クリームはお好みでどうぞ。おかわりはないが、わりと満腹感はあると思うぜ」

「これなに? ぷるぷるしてる!」

「これは、カスタードプディング、のフルーツアンドクリーム添えですね! カットフルーツのサイズもデザインも、彩りの配置も絶妙で隙がありません。クリームも、んんっ、甘さは控えですがまろやかでコクがあって、飽きがきません! それにチョコレートソース……艶めくダークブラウンのアクセントがビターな甘みを――」

「リリー落ち着け。君、早口すぎて、ヒナが聞き取れてないだろ」

「うー……ん?」


 そんなめちぎられるようなものでもないと思うが、喜んでもらえたなら何よりだ。ふんわり可憐な奥方が想像以上に饒舌だったのは驚いたが。賑やかで明るい様子に安心したのか火蜥蜴サラマンドラたちも顔を出し、彼女らに愛嬌を振りまいている。

 一口ごとに感動するメルリリアを強面を緩めて嬉しそうに眺めているアッシュが、印象的だった。


 彼女たちのお陰でオーブンは無事に稼働できそうだ。今から仕込めば、夕飯にはパンも焼き物も出せるだろう。ヒナの中で拗ねている腹の虫も、機嫌を直してくれるに違いない。

 大人の女性たちに挟まれておやつを食べるヒナは、主に胸のサイズ差が原因かもしれないが、子供っぽく見えるな。なんて、存外失礼な感想を心で漏らしていた俺は、のちに我が目を疑うことになる。

 




 後日、注文していた武器を取りに鍛冶屋へ出向いたリーダーが、ヒナ宛のプレゼントを預かって来た。

 桜スタンプが散らされたファンシーな包みには、ミントグリーンとオーキッドピンクを組み合わせた可愛らしいエプロンドレスと、小花をあしらったベレー帽が入っていた。


 見慣れた和装装束から春色のエプロンドレスに着替えたヒナには、普段と違うふわっとした愛らしさがあって、嬉しそうに輝く薄荷はっか色の両目はますます神秘的で。新鮮にもほどがあるだろうその姿は、俺の理性を猛烈に揺さぶってくれた。

 お洒落な猫職人の手を借りた結果、ウチの狐っが春の妖精に――なんて、クサすぎて口に出せるはずもなかったけれど。


 ヒナはやっぱり美人だなぁと、月並みな感想とともに、俺は思い知らされたのだった。




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桜猫の贈りもの。 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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