キャットるミューティレーション

犬鳴つかさ

キャットるミューティレーション

「ここは……」


 目を覚ました麦茶むぎちゃは強烈な光を受けて瞳孔どうこうを細めた。天井には妙な幾何学模様が刻み込まれている。こんな場所には、まるで見覚えがない。


「オ目覚メニナラレマシタカ」


 声のした方に目を向けると宇宙服のようなヘルメットを被った生き物がいた。しかし、人間ではない。その首らしき部位の下からはタコのような触手が何本も伸びている。周りを見渡すと同じような生物が何体も椅子に座ってコンピュータらしきものをいじっていた。


「私ハ、じゃすてぃす星カラ参ッタ地球破壊作戦司令官ノ『こすもの』申シマス。以後オ見知リ置キヲ」


「ええっと……」


 麦茶は猫である。体毛の濃淡が小麦色と茶色に分かれているので、そう名付けられた。


 彼の心の中にいくつもの疑問が浮かびあがる。戸惑いながらも順繰りに質問していった。


「ここは、どこニャのでしょうか?」


「我々ノ宇宙船デス。地球破壊作戦ノ基地デモアリマス」


「ニャぜ私とアナタは言葉を交わすことができるのでしょうか」


「我ガ星最新鋭ノ翻訳装置使ッテルカラデス」


「ニャにゆえ私が招かれたのでしょうか?こういうのは牛などがさらわれるものではありませんかニャ……?」


「地球ニハ『猫ノ手モ借リタイ』言ウアリマス。私タチハ、トッテモトッテモ困ッテル。アナタハ立場アル方ノヨーダシ、信用ガ置ケルト思イマシテ……」


 たしかに、麦茶には役職があった。IT企業の名誉課長である。もちろん業務は専ら社員に癒しを与えるだけの名ばかり管理職ではあるのだが。宇宙人はそれを真に受けて優秀な頭脳を持った猫だと判断したのだと言う。


「理由モウヒトツアリマス。アナタ昔、人間ニ虐待サレテタ」


 宇宙人……『こすもの』の言葉は事実だった。最初の飼い主からは酷い虐待を受けている。殴られたり、蹴られたりして、ついには捨てられた。保護猫となって、今の会社に引き取られるまでさんざんな思いをしたものだった。


「どうして、地球を滅ぼそうとしているのですかニャ?」


「決マッテマス。人間ナドトイウ身勝手ナ独善ノ塊ハ本格的ニ宇宙ニ進出スル前ニ排除スルベキダ。ヒトハ憎シミシカ生ミ出サナイ。観察スルヲ続ケルウチニ我々ノ意見ハ、ソノヨウニ収束シマシタ」


「ふむ……」


「他ノ生物ハ、カワイソウデスガ尊イ犠牲デス。人間ハ余リニ危険スギル。ソノコトハ痛メツケラレタアナタガ一番良クワカッテルハズデス」


「……」


「モチロン同士ナッテクダサルナラ、アナタノコト手厚ク保護シマス。我ガ星ハ大歓迎デス」


 麦茶は、しばらく考え込んでから鳴いた。


「わかりましたニャ……あニャたたちのお手伝い、させていただきますニャ。その代わり、一つお願いしたいことがあるのですが構いませんかニャ?」


「何ナリト」


「もし、お手伝いが終わったニャら私を地球に帰していただけませんかニャ?」


「? オ忘レデスカ? 我々ハ地球ヲ……」


「はい。それでも帰りたいのですニャ」


「……? 私ニハ理解デキマセンガ、オ望ミナラバソノヨウニシマショウ。脱出ぽっどヲ手配シテオキマス」


「ありがとうございます。それで、どういったことでお困りニャのですか?」




 それから麦茶は地球破壊作戦についてアドバイスを求められると、何かと理由を付けて船内の設備をいじった。会社のコンピュータと似ていることに感謝しつつ、着々と物事を進めていく。仕組みは普段から社員の様子を見ていたので理解できた。


「ゴ協力アリガトウゴザイマシタ。オ帰リノ脱出ぽっどハ、アチラデス」


 受けた全ての疑問への対応が終わると、こすものは一つのカプセルを指し示した。


「ありがとよ……いえ、こちらこそありがとうございましたニャ」


 麦茶は、そそくさとポッドに乗り込む。


 発進数十秒前、というところで椅子に座ってコンピュータと向かい合っていた宇宙人が叫び始めた。


「司令ィー! 司令ィー!」


「ドウシタ⁉︎」


「れーざー兵器ガ格納庫デ暴発!」


「船尾ニ異常高温発生!」


「緊急安全装置沈黙!」


「マ、マサカ……」


 こすものは改めて脱出ポッドを見た。小型の装置のガラス窓からは、ふてぶてしい表情の猫が冷たい視線を彼に寄越している。


「ま、ざっとこんなもんかニャ……おっと、この語尾はもういいか」


「騙シヤガッタナァー! 貴様ァー!」


「オレぁ『猫被ってた』んだ。もしかして知らない? そいつぁ残念。のお勉強不足だぜ? 宇宙人さんよ」


 麦茶は人間を滅ぼそうなどと思ったことはない。虐待された過去はあれど、それは前の飼い主が悪いのであって人類の全てがそのような外道では無いと知っている。今の会社の一員となってから自分に癒しを求めてきたり、飯をくれたり、執拗に撫で回したりしてくる……少しはマシな人間どももいると知ったのだ。


「人間は独善の塊ねぇ…… 確かにそうだ。だが、うわべだけの知ったかで星一つ消そうとしてるアンタらよりはマシだわな……そろそろ失礼させてもらうぜ。使えない部下バカどもがオレの帰りを待ってんだ」


「チックショオオオオオオオオッッッッッッ!」


「畜生で結構。運が悪かったな宇宙人ひとでなし。よりにもよってオレの手なんぞを借りたテメェの負けだ」


 宇宙船は最後の呼吸をするかのように麦茶の乗った脱出ポッドを吐き出す。高速で射出されたポッドはすぐに大気圏内に突入し、奇しくも同じ時に音の無い世界で火花が散った。




「あー、どこ行ってたんですか課長!」


 ポッドから降りて地上をさまよっていると見覚えのある人間が駆け寄ってきた。麦茶の所属する会社の女性社員だった。


「すっごく探したんですよー、もー! 勝手に出てっちゃダメじゃないですかー!」


 女性社員は麦茶を抱えるとゆっくり彼の額を撫でながら歩き出す。


「さー、帰りましょうねー。えへへー、もふもふー」


 ──こいつ、オレの苦労も知らないで。


 はぁ、と人間だったならため息を吐いていただろう。


 ──まぁ、言葉が通じて、本当のこと言ったところで──。


 信じるわけないよにゃあ、と麦茶は心の中で困ったように笑った。

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キャットるミューティレーション 犬鳴つかさ @wanwano_shiba

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