呪詛神様の御手を拝借

淡島かりす

朝の境内にて

「ねー、手伝って下さいよぉ」

「嫌だよ。俺眠い」


 鳥居の上から返された声は、気怠いなんてものではなく溶けている。黒い着物の裾が風に吹かれて揺れているのを見上げながら、美鳥れんこは眉間に皺を寄せた。

 眠いという気持ちもわからなくはない。何しろ今日は気温も高いし天気も良い。おまけに桜も咲き始めて、昼寝をするにはもってこいの日である。昼寝と言うか二度寝と表現したほうが良いような時間ではあるが、そこは些細な問題である。

 れんこだって、許されるならば仕事も勉強も放棄して昼寝を決め込みたかった。だが、そうも言っていられない事情がある。脱色した髪をかきあげ、つけまつげとアイラインで縁どった目を一度瞬かせた。


「じゃあせめて、そこから降りてください」

「掃除の邪魔はしてないだろ」

「なんかムカつくんです」


 竹箒を地面に押し付けるようにして、れんこは冷たい声を出す。温かい風が吹いて、制服のスカートを軽く揺らした。今年編入した高校は、制服は可愛いのだが生地が少し薄い。れんこは更に裾を五センチ以上切ってしまっているため、今のような風は天敵だった。


「神様に向かって、ムカつくとは何だよ」


 鳥居の上から聞こえる声が鋭いものに変わったと思うと、れんこのすぐ側に音もなく何かが飛び降りてきた。黒い着物に身を包んだ少年は、黒髪と同じ色の大きな瞳にれんこを映し込む。

 年頃の男女が見つめ合う構図であるが、恐らく今ここに誰かが来たとしても、それを目にすることは無い。代わりに黒猫と真剣に睨み合う女子高生が見えるだけである。


「大体、俺と神社の世話するのがお前の仕事だろ。なんで俺が手伝うんだよ」

「アタシが頼まれたのは、この神社とその神様の世話です。クロはこの神社の神様じゃないでしょ」

「姉様に頼まれてるんだから、俺がここの主でいいんだよ」


 フシャー、と威嚇音でも聞こえそうな勢いで、クロと呼ばれた神は反論する。猫柳町の高台にある「花咲神社」は心願成就の神社として知られているが、現在はその主は不在。弟神であるクロが代行を勤めていた。


「ミドリ、お前生意気すぎ」

「ミドリじゃなくてミトリです」

「どっちでもいいだろ。巫女なんだから、神様の言うこと聞け」

「でもクロが手伝ってくれたら、掃除はすぐに終わりますよ」


 れんこがそう言うと、クロは面倒そうに「にゃあ」と鳴いた。


「そんな大変なら、掃除は明日でもいいよ。俺、あんまり気にしないし」

「参拝客が来た時に困るでしょ。ただでさえ、クロは参拝客のお願い事を全部呪いで片付けようとするんだから。あの神社に行ったら呪われる上に境内も汚い、なんて言われたら困るんです」

「仕方ねぇじゃん。俺は呪詛神なんだから」


 呪うことが専門の神は悪びれもせずに言う。姉神は心願成就、弟神は呪詛。ある意味とても似通っているとも表現出来る。


「っつーか、こうして喋ってる間に掃除すればいいだろ。なんでさっきから鳥居の周りしか掃かないんだよ」

「クロがそこにいるからですよ」


 何でもないことのように少女が答えると、クロは驚いた顔をした。猫の姿であれば耳を尖らせて尻尾を立てたに違いない。


「な……に、言ってんだよ」

「え、だって基本的に掃除する時はお喋りしてたじゃないですか。なのに最近は眠いだの暖かいだの言って、そこから殆ど動かないし」


 れんこは不満そうな顔で足元の落ち葉を箒で払った。


「だから掃除が捗らないんですよ」

「……え、本気で言ってる?」

「神様に嘘なんてつきませんけど」


 平然と返す巫女に、呪詛神は狼狽えた表情を浮かべる。暫くの間、二人は無言のままだったが、やがてクロが諦めたような溜息をついた。


「わかったよ。手伝えばいいんだろ」

「ありがとうございます。はいこれ、チリトリと火バサミ」

「どーも」


 クロは掃除道具を受け取ると、まだ掃除をしていない境内の方へと歩き出した。右手に持った火バサミを、意味もなくカチカチと鳴らす。

 れんこはその背を追いかけると、「クロ」と声を掛けた。


「今、ちょっと嬉しかったりしました?」

「にゃっ!?」

「あ、嬉しかったんだ。そうでしょ」

「嬉しくなんかない! ……絶対違う!」


 朝の神社の境内に、必死な声が響き渡った。


END.

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呪詛神様の御手を拝借 淡島かりす @karisu_A

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