第12話 三国志以前の弓の達人


弓矢は、清の時代になるまで戦場でメインの武器として使われ続けたために、弓矢の達人とされる武将はいつの時代も、数多くいました。

三国志の時代も、弓の名人とされる武将が何人もいました。

ここでは、三国志以前にどのような弓の名人とされる武将がいたのかを見ておきましょう。


まず、春秋時代の楚の武将である養由基が知られています。

養由基は、135メートルも離れた場所から柳の葉を射ることができるほどの正確な射撃能力があり、なおかつ、7枚重ねの鎧を射抜くことができるほどの強力な弓を用いていました。

養由基は、一本の矢で、複数の兵を倒す妙技を見せたために、殿軍を務めた際に、敵兵を寄せ付けなかったという逸話が残されています。

春秋時代にすでにこれだけの威力がある弓を作ることができたということですね。


次に、前漢の時代に匈奴征伐で功のあった李広という将軍が知られています。

李広は、家伝の弓術を受け継いでおり、自在に的を射ることができました。弦の音がすれば、必ず一発で敵を倒すというほどの腕前を有しており、漢の飛将軍という異名を誇っていました。

この飛将軍が、呂布の飛将の由来となりました。

呂布は、三国志演義では、方天画戟を使って天下無双だったというイメージがありますが、正史を読むとむしろ、弓の使い手であったことがわかります。

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小説正史三国志を楽しむための豆知識 shikokutan(寝そべり族) @shikokutan

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