蛇の威を借る狐

「悪魔さんに寿命を対価に殺されることは可能ですか?」


自衛の魔法陣を書かずにただひたすら呪文を唱えていた愚かな人間。怯えた姿を見せまいと奮闘中だろうが顔が強ばっている。


「いひひっ、可能、なわけあれへんやん!良心が痛んででけへんわ!ボケ!」


アムが吾輩の背後で吠える。人間の肩が跳ねる。ホンマは暇つぶしがでけへんくなんのは嫌やってことやろな。ウミヘビ採取に付き合ってくれると言っていたのに、結局は大海を前にした蛙と遊んでいる。


「死にたいんです。お願いします」


「ほな、死んだらええやんそこん海で。何でワイら呼んだん?」


アムが真面目な口調でこの人間と対話を始める。吾輩が海に逃げようとしてもウェットスーツを掴んでは離してくれない。


「は?」


人間が鯉のように口を丸くする。


「悪魔さんらに最期のお願いでも叶えて欲しかったんか?アホ、嫌やで。そない居酒屋でタクシー呼ぶノリで呼ばれて嬉しないもん」


「いや」


「お前さん、随分と矛盾だらけで生きてきたんやな。ご愁傷さま。俺可哀想やろー?慰めて!っちゅー死にたいアピールにはウンザリしてんねん」


アムが肩を組んできた。本格的に逃がさない気だ。


「俺は矛盾してない。口だけじゃない。お前らがわかんないだけだろ。言い訳も聞かないくせに、わかったような口聞いてんじゃねえよ。理屈通しても馬鹿には屁理屈にしか聞こえない。都合が悪いと耳を塞ぐ口を噤む馬鹿ばっか。俺が何で、何で死にたくなってんのか、考えてみろよ馬鹿!!」


人間が怒鳴った。無理。逃げたい。無理。離して、アム。怖い。


「それ上司の前で言ってみ?」


意地悪、アムの意地悪。酷い。酷い。


「え?」


蛙。あれは蛙。


「大丈夫!できるって!悪魔の前でできたんやから」


出た、アムの悪趣味。人間の味方をするのが、好きだ。人間は救世主のような目で吾輩の後ろのアムを見つめている。でもアムは悪魔だ。


「あ、あはは、ああ、そうか、ありがとうございます!」


と砂浜で土下座する人間。そのまま踏み潰してやりたい。砂で溺死すれば良い。絶対にできるはずがないのだけれど。


「でけたら教えて!」


アムがスマートフォンを差し出して連絡先を交換している。勿論、吾輩は盾に使われている。帰りたい。



やっと人間が離れていった。二人で歓談している雰囲気の中に強制参加は拷問だった。蛇田に会いたい。


「ユンさんごめんな?ワイだけじゃああんま気迫出えへんやろ?ユンさん格好ええかんなぁ、ついつい頼ってしまうんよ」


吾輩の人間離れした背格好が、悪魔たらしめていると人間は単純に考えるのだろう。ボスが生み出してくれたこの身体、アムにこのように使われるのは好きではない。


「……蛇田」


「おんおん、蛇田に冷凍マウスちゃんお土産やで!な?機嫌直して?」


アムのゴマすりも何億回目だろうか。そろそろ痺れを切らして、離別してもいい頃だろうか。


「アム嫌い」


「ああ、グダんのかいな」


このウンザリの表情が僕には決定的な一打となった。もっとゴマをすって、いや自尊心を擦って、僕のご機嫌取りをして欲しかった。という僕の気持ちをわかっているのに、それをしないアムはさらに嫌いだ。


「死ね」


「もうユンさんはあの人間よりもかまってちゃんやな〜♡」


って僕の腕にわざとらしく抱きついてくるから、腕引きちぎって捨てて海に飛び込んだ。ウミヘビと同様の泳法で海中を遊びまくる。自然の中にいる時が最も生きていると実感する。変温動物になり皮膚呼吸をして尻尾を伸ばして爬虫類へと、僕の愛する蛇に身体を変え……。一瞬、何が起こったのか。何も理解ができなかった。脇腹が抉られた。赤色。血液。サメ。捕食。牙。激痛。死亡。僕は猛毒な蛇なんかじゃない。人間と蛇の歪な悪魔の創作物だ。



「ユンさん!?ユンさん!!……え、どないしよ?海の藻屑にするで?」


残された俺はユンさんの引きちぎられた腕を思いっきり放り投げて、魚達の餌になることを祈った。流石にあの人がここまで覚悟のある人だとは思わ、いいや、舐めちょったわ。最初から格好良い蛇さんやった。続けて俺も飛び込んで、海から自宅へと戻ってきた。そもそも水嫌いやねん。そんで自室のパソコンからユンさんをモニタリングしよう思っとったんやけど、如何せんユンさん潜水長いかんなぁ。最長で一時間近く潜っていられるらしいで?せやから、何処を見ればええんかわからん、ってユンさん血ぃ出てるやん!!その血液を頼りにユンさんの跡を追っていくと、


「ユンさん!?」


歯型が残る、抉り取られた脇腹を片手で抑えて、海面に浮かんでいるユンさんを見つけた。サメにやられたんか。どないしよ。でも、ユンさんは俺なんかに助けてもらいたないやろ。それにユンさんは死んだら海の藻屑になりたいタイプやって。なあ、そうやろ?



「はあ、はあ、はあ……」


海水が鉛のように重い。慌てて私服のままで飛び込んじゃったから、最悪。でも出る時にスマホ手にしてて、まじで良かった。水没事故ったら俺まで死んでた。危ねえ。って一息ついて、浜辺にユンさんの死体同然のものを天日干しする。そしてそれにユンさんお手製の回復薬をぶっかけると、なんとゆーことでしょう!みるみると細胞が再生していくではありませんか!!


「アム、どうして」


「ん?」


「どうして、その瓶が、空っぽ、なんだ。それは、蛇達の、大切な……」


息を切らして痛がりながらたどたどしく見栄を張る様子に目から鱗が落ちる。まだ喧嘩中やったか。


「ああ、すまんのう。ユンさんのために使ってしもうたわ」


「っざけ、んな……」


逆鱗に触れた。


「……はああ!?アンタほんまに、どつくで?!回復薬ぐらいまた作ればええやんかボケ!!ワイが何で"わざわざ"助けてやったのか、ユンさんはわかれへんのか??」


ユンさんの嫌いな大声で怒鳴った。


「アム」


青空を見つめたまま、彼はいつもの落ち着いた低い声で俺の名前を呼んだ。お天道様に背を向けて上からその顔を覗き込む。残された片腕で俺の首を絞める。その弱々しさに、つい笑みがこぼれそうになった。


「僕の心を読んでいるのだろう?」


逃がさないための首絞め。素直になれないだけの照れ。わかってるけど、それが俺の虚しさの原因になる。


「いいや、良心が痛んででけへんわ」


「お前に良心などないくせに」


あたた、ツケが回ってきた。


「いひっ、随分と酷いこと言いよるな。マイルールに従ってるだけやで」


「……ありがとう、助けてくれて。何度経験しても死は怖いものだな」


正直、はぐらかされると思ってた。そうやって、ユンさんが俺にも蛇田に見せるような笑顔をしてくれるのが、何よりも俺の救いだ。

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Inc.Angelo 吐夢 @strangetom

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