エンジェル・トレイル

赤木フランカ(旧・赤木律夫)

某国の戦場にて

 見上げた空は鉛色に濁り、粉砂糖のような雪がパラパラと落ちてくる。深く息を吸うと、冬の香りの中に、かすかな金属とシンナーの臭いを感じた。戦場の臭いだ。


 少女は破壊された民家の壁に背中を預け、乱れた呼吸を整える。視界の端に砕け散った便器を見つけ、今座っているのがトイレの床だと気付いた。だが、そんなことを気にする余裕はなかった。


 遠くから攻撃ヘリのローター音が近づいてくる。味方が運用している機種の音だが、味方じゃない。あのヘリは少女たちに向かってロケット弾を撃ち込み、機関砲を掃射してきた。決して誤射ではなく、少女たちの存在を消そうとしているのだ。


 ついさっき、友だちが死んだ。仲の良かった子なのに、彼女は突然顔の半分を失って死んだ。少女は友だちの死を悲しむこともできず、味方のヘリから必死に逃げて、この廃墟に隠れた。


 叫び声とアサルトライフルの射撃音が聞こえてきた。まだ少女の仲間がヘリと戦っている。助けに行くべきなのだろうが、足に力が入らない。迷っているうちに、ヘリが機関砲を発射する。仲間の声は聴こえなくなった。


 また死んだ。知ってる子だったかもしれない。少女は同じゲリラ軍の仲間の顔を思い出そうとするが、思考が鈍って誰の顔も頭に浮かばない。


 朦朧とする意識に反して、五感は研ぎ澄まされていた。両耳がかすかなローター音の変化を捉え、ヘリがすぐそこまで迫っていることを直感する。ここにいてはまずい!


 少女はアサルトライフルを抱え直し、民家から飛び出す。建物の影に隠れるように、身を低くして走る。ヘリが再び機関砲を発射し、少女と同じく街を走る少年兵たちを潰していく。仲間が死んだ悲しみより、自分じゃなくて良かったという安堵が少女の心を支配した。


 死にたくない! その一心で少女は走り続けるが、とうとうヘリは少女に狙いを定めた。機関砲の砲身が回転し、少女のすぐ後ろに砲弾が撃ち込まれる。少女は崩れた民家の中に飛び込み、壁を盾にする。


 20mmの砲弾では、コンクリートの壁は貫けないだろう。ヘリはきっと、少女を追って旋回してくるはずだ。その隙に死角に回れば、まだ逃げるチャンスはあるかもしれない……


 そんな少女の考えに反して、ヘリはロケット弾を撃ち込んできた。旋回することすら億劫だったらしい。民家の壁が砕け散り、瓦礫とともに少女は吹き飛ばされる。


 少女の身体が地面を跳ねる。体中を強く打ち付け、どこが痛いのかも解らない。だが、死んでいないことは確かだった。まだ意識がある。


 少女が目を開くと、地面に人形のようなものが転がっているのを見つけた。死んだ弟が好きだった、特撮ヒーローのソフビフィギュアだ。今さらこんな玩具が役に立つはずはないのに、少女の手は無意識にソフビへと伸びる。テレビの中ではビルよりも大きな巨人だったのに、ソフビは少女の手の中に納まるほど小さい。


 少女はソフビを握りしめ、よろめきながら立ち上がる。顔を上げた先に、ヘリがホバリングしていた。獲物を見つけた猛禽類のように、静かに少女を見下ろしている。


 大好きなヒーローだったから、このソフビを持っていったら天国の弟は喜ぶだろうか? いや、今まで何人も人を殺してきた少女が、天国へ行くことはできないだろう。そもそも、天国なんて存在しないかもしれない。天国が存在しないなら、神も……


 死を目の前にして、少女はハッとする。そうだ、この世界に神なんていない! もし神様がいるのなら、自分はこんな残酷な死に方をしないで済んだはずだ! では、一体今まで、何のために戦ってきたのか⁉


 怒りと悲しみと絶望が叫び声となって少女の口から飛び出す。それを遮るように、機関砲の射撃音が耳に詰め込まれた。


 ほんの一瞬の出来事だった。少女は目の前の光景が理解できなかった。自分を殺したはずのヘリが、黒煙を上げて高度を下げていく。ヘリは瓦礫の山の上に墜落し、爆発した。弾け飛んだローターブレードの一本が、少女のすぐ横に突き刺さる。


 自分は死んだはずだ。それなら、この光景を見ているのは一体誰だ? 自問を繰り返す少女の耳に、遠雷のような音が聴こえる。


 空を見上げると、轟音と共に黒い影が現れた。鳥……いや、鳥の形をした機械――戦闘機が、機関砲やミサイルで攻撃ヘリを撃墜していく。その様子を見ているうちに、少女はようやく自分が助かったことを理解した。


 少女の命を救った戦闘機は、敵も味方も運用していない機種だった。もしかしたら、この紛争に介入した第三国の機体なのかもしれない。しかし、少女にとってそんなことはどうでもよかった。


 少女の命を狙う者の尽くを撃ち落とし、戦闘機は空域を去っていく。音速まで加速し、機体の周囲に雲の輪が発生する。


 天使だ……少女はそう思った。あの戦闘機は、少女の命を救うために超越的な存在が遣わした天使なのだ。


「これがあなたの答えかッ! 神よッ!」


 ソフビを握りしめ、少女は号哭した。


――終――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エンジェル・トレイル 赤木フランカ(旧・赤木律夫) @writerakagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説