保健室登校のあの子がね…

凪野海里

保健室登校のあの子がね…

詩葉うたはって、ほんとにドンくさいよねぇ」


 体育の時間。サッカーをしているときに、クラスのボス的存在である高科たかしなが放った一言だった。

 森下もりした詩葉は味方にパスされたボールをうまく運びきれずに、挙句蹴っている最中に足がもつれてしまって、派手に転んでしまったのだ。白い膝には砂と血がまじって、ひどく痛々しい。


「ごめん」

「ごめんって思ってるなら、ちゃんとボール運んでよ。また森下のせいで負けちゃったじゃん」


 高科がそう言うと、彼女の取り巻きたちはクスクスと嘲るように詩葉を笑いものにする。


「早く保健室行きなよ。そこにいられると迷惑」

「うん……」


 立ち上がって、痛む足を引きずりながらサッカーコートの外へと歩く。

 男子が試合しているサッカーを見ていた体育教師が「どうした、森下。怪我か?」と、すれ違いざまに声をかけてきたので詩葉はうなずいてその場をあとにした。

 付き添いの子は誰もいなかった。

 みんなの邪魔にならないようにと、運動場の端っこからまっすぐ歩いて、朝礼台を通り越す。うつむいていた顔をあげると、今いる場所から見える保健室の窓辺から、手を振っている人物に気が付いた。

 落ち込んでいた気持ちが晴れやかになる。

 窓が開かれて、そこから女子生徒が顔をだした。


かなで

「詩葉。怪我したの?」


 保健室のベッドから声をかけてきた彼女に、詩葉はうなずいて。バランスを崩さないように気を付けながら片足立ちになると、自分の膝小僧を見せた。奏と呼ばれた少女は目を見開いた。

 歩いても出入りしやすい方の窓から保健室へと入るけれど、そこには養護教諭はいなかった。


安野やすの先生、今外出中なの。私が手当てするね」

「ありがとう」


 奏は慣れた手つきで、座っている詩葉の足の治療を始める。濡れた布巾で軽く汚れを拭きとってから、沁みない消毒液を擦り傷の場所に垂らした。そこから大きめの絆創膏を貼った。


「ほい、どうだ」

「さすが、奏。慣れてるね」


 奏はえへん、と胸を張った。


「保健室登校の名は伊達じゃないってわけよ」


 そう言われて、思わず詩葉は口をつぐんだ。


「ちょ、やだ。そこは笑うところでしょ」


 重苦しくなっていく空気に、奏が慌てだすが。詩葉は笑うことができなかった。


「ほんと、詩葉って優しいよね。クラスでいじめられたりしない?」

「う……」

「また、高科って子?」


 奏の追及に、詩葉は黙ってうなずく。


「ハァ。ったく、その高科って子、とっちめてやりたいわ。詩葉を悲しい気持ちにさせたりして。まじ信じらんない!」

「仕方ないよ。私がドンくさくて。周りの空気に合わせられないのが、悪いんだから……」


 実際、詩葉はそういうことにとんと疎かった。

 たとえばクラスでハブられている子がいても、平気で声をかけたり。誰かが失敗をしてみんなの笑いものになっているときも、どうしても笑えなくて。

 そういうところが高科の目には気に入らないものとして映るのだろう。だから、標的にされている。


「詩葉は悪くないじゃん。詩葉は自分の意思持って行動してるってことだもの。逆に高科って子に合わせてるような人たちは、自分の頭でもの考えられないバカ、単細胞、クズってことよ」

「言い方……」


 さすがに、クズは言い過ぎではないか。

 けれど奏は「まだまだ言い足りない」とばかりに、しかめ面をしたまま、フンッと鼻息を荒くした。


「私は、詩葉が笑ってくれなきゃ嫌だし。悲しいよ。保健室登校の私に、いつも優しくしてくれるのはあんただけ。私にとってあんたはヒーローなんだから」


 奏はどこか悲しそうに微笑むと、詩葉の頭を優しく撫でてくる。

 そんなことない、と。詩葉は心のなかで思う。

 自分にとって、こんな自分に優しくしてくれる奏こそが「ヒーロー」なのだと思ったからだ。



 詩葉を送り出してから、しばらく経ったあと。保健室に来客があった。


「なんだよ、安野いないのかよ」


 ため息をつきつつ、入室記録に来客の女子生徒は名前を書いた。


 高科たかしなさえ

 傷の具合・突き指


 自分の名前の上に森下詩葉の名前もあることを知り、高科はふと妙案がひらめいた。

 さっきは森下のせいでサッカー負けちゃったから、腹いせに彼女の入室記録を消してしまおう。そうすれば、森下は体育の授業を体よくサボったことになる。

 消しゴムを手に取ろうとしたとき、ゴトン。と音が聞こえた。驚いて顔をあげると、そこにはスカートを吐いた生徒が夕日を背に立っていた。


「あ、な、なんだ。先客がいたの?」


 消しゴムから手を離す。危ない、あとちょっとでバレてしまうところだった。

 保健室登校の子だろうか。そういえば、この学校には保健室登校の生徒がいるということを、高科は聞いたことがあった。

 それから、奇妙なウワサも。かつて、クラス内でのいじめが原因で保健室登校をしていた生徒がこの部屋で自殺を図ったというウワサ。

 背筋に、うすら寒いものが走った。


「安野、いつ戻ってくんだろ」


 ぼそぼそつぶやきつつ、椅子に腰を下ろした。夕日を背にした女子生徒は何も言わない。

 気味悪いな、と思う。いつまでもあんなところで立っていて。夕日がまぶしくて顔も見えやしない。それどころかまるで顔の部分に、はっきりと夕日が見えるような――。


「ひぃっ」


 声にならない悲鳴をあげて、高科は腰を抜かした。

 その生徒には、頭がなかった。夕日の部分が頭になっているではないか!

 足を動かそうにもその場に固まってしまい、動けない。その生徒の足が、ゆっくりとこちらに歩いてくるのがわかる。


「や、やだ。近づかないでよッ!」


 まるでロボットのようなぎこちない足取りで、ゆっくりとゆっくりと生徒は近づいてくる。

 その首からドクドクと、いつの間にか血が流れていって、制服にべったりとついていき。それから、床にもポタポタと垂れていく。


「いやあああああああああっ!」

「――あら、怪我したの?」


 パチン、と部屋に電気がともった。

 顔をあげると、出入り口のところに養護教諭の安野が白衣姿で立っていた。

 思わず女子生徒の姿を探すが、そんなもの。始めから存在していなかったかのように。跡形もない。床についていたはずの血痕も消えていた。


「どうかした?」

「い、いえ。なんでも……」

「待ってね。すぐ治療するから」


 安野はそう言うと、手にしていた書類をまとめて机の上に置くと、「怪我の具合は?」と聞いてきた。


「あ、た、体育のサッカーで。突き指を」

「付き添いの子は?」

「いえ、これくらい大したことなかったんで」

「そう。あら、さっきそういえば。同じように体育で擦り傷作った子いたわね」

「あー、同じクラスの森下ですか」

「でも変ねぇ。入室記録に名前がないわ」


 え、そんなはずは。


「そんなはずないですよ! 消してないし!」

「消してない?」


 思わず口走ってしまったことに気づいて、慌てて口を閉ざすが。時すでに遅し。振り向いた安野に「なんでもないです」と顔をうつむかせてボソボソ言うと、安野がまたも「消してないって何?」と聞いてきた。


「え、っと」

「まさか、詩葉の名前。消そうしたの?」

「いや、その」

「やっぱあんタ、とっチめたほうがイいのかナァ?」


 安野のはずの声が、だんだんと歪むように。別の声が重なってくるのがわかる。

 顔をあげるな。本能に似た何かが、高科に告げていた。だから顔をうつむかせ続けた。

 そのときまたも、ゴトン、と音が聞こえた。まるで、何かが落ちるような。

 それが視界の端に現れ、ゴロゴロとこちらまで転がってくる。黒い塊。いや、よく見れば長い髪だ。もし、首の上に存在すれば、背中まで届きそうなくらいの――。

 こちらに向いたモノは、2つの黒いぽっかりとした空洞と、開いた口からは歯が何本も抜けて、血をダラダラと涎のようにこぼした顔。


「詩葉を、傷つけるノ、ユルサナァイ」

「いやあああああああああっ!」





 その保健室にでてくる幽霊にはウワサがある。

 誰もいない時間にそこを訪れると、優しい子には優しい対応をしてくれて。

 いじめの首謀者にはきついお仕置きを食らわすという、ウワサが。

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