1章 混乱極まるノーザン王城

[1-1]ご飯抜いて仕事したって非効率だよ

 部屋の前で呼びかける声が聞こえた。

 普段なら日常的にありふれた光景だったのだけど、胸騒ぎを覚えた。


 西大陸の北側の領土を治めるノーザン王国。その首都ルカニアの中央にたたずむ白亜の城が僕たちの家だ。

 朝日が昇ると同時に、城に仕える兵士や下働きの者たちは仕事を始める。

 国のため、また僕たち王族のために一生懸命働いているんだ。食事は部屋でらずに食堂に向かう道すがら、出会うひとたちに声をかけて城の者たちをねぎらうのが僕の日課だった。


 城内で一番大きな扉の前で、金色の髪の男が叫んでいた。

 青い軍用コートを着込んだラフな格好には見覚えがある。僕と同じ人狼ワーウルフ魔族ジェマで、我が国の将軍。一部の者には金狼ゼレスとも呼ばれていたっけ。——で、なんでそのゼレスが、朝っぱらから王の寝室の両扉を拳でガンガン叩いているのかなあ。


「何してんの、ゼレス」

「おお、ノアか。いいところにきたぜ」


 そっと声をかけたのでは聞こえないかもと思ったけれど、それは杞憂だったらしい。

 僕の顔を見るなりゼレスの眉間に皺を寄せていた表情が、一気に溶けた。


「大将が昨日の朝から部屋にこもってて出てこねえんだよ」

「……大将って。仮にも現国王、しかもきみの主君だろう? いい加減に呼び方を改めたらどうなのさ。国王陛下とまではいかなくてもカミル様とかさ」

「何言ってんだよ。大将は大将だろ」

「そんな、どっかの山賊や盗賊じゃないんだからさ……」


 いや、呼称を改めさせるなんて今さら過ぎたかもしれない。

 ゼレスは貴族の生まれどころか、ノーザン出身なのかさえ怪しいもんな。やたら背が高くって図体ばっかりでかいけど、剣はめっぽう強い。仕事ができるし、兵を統率することも得意だ。ただ唯一の欠点が、格式とか礼節をガン無視するってことで。

 せめて、公式の場では改めるよう切に望むばかりだ。


「それで、カミルが部屋から出てこないからって、どうして朝っぱらから騒いでいるわけ?」

「昨日の朝からだぞ? 厨房のやつらに聞けば食事を持ってこさせたわけでもねえみてえだし。かれこれ一日飲まず食わずで引きこもってるんだよ」

「なんだって!?」


 ゼレスが必死の形相ぎょうそうをしていた理由が見えてきた。

 カミルが部屋に引きこもるのはいつものことだけど、食事もろうとしないっていうのは見過ごせない。


「お前も知っての通り、大将は一度部屋にこもると出てこねえし、応答すらしない。俺は丈夫な方だから一日くらい食事を抜いたって平気だけどよ、大将は食が細くて身体だって丈夫な方じゃない。下手をすれば倒れかねねえんだよっ」


 本気で自分の主を心配しているのか、まるで噛み付くような勢いだった。

 僕の身体を押し退けて、ゼレスはもう一度荒々しく王の寝室の扉を叩き始める。


「大将っ、そこにいるんだろ!? 返事をしてくれ!」

「……食事ならった」

「それ昨日の話だろ!? しかも食パン一枚っきりじゃねえか」


 それは少なすぎる。

 栄養が偏っているどころの話じゃない。僕まで心配になってきちゃったよ。


 あまりにうるさいからカミルも返事をしたのだろうけど、扉は固く閉ざされたままだった。

 諦めずにゼレスは顔を険しくさせて扉を叩き続けている。

 心の底から心配しているんだろう。普段精悍な印象を受ける彼の横顔を見ていると、ゼレスまで顔色が悪く見えてきた。

 血色のいい肌が今日は青く沈んで見える。切長の両目の下はうっすらとくまが浮かんでいて——。え、隈? 

 最初は見間違いかと思った。けど、何度ゼレスを観察し直しても血色の悪さは消えない。


 嫌な予感がした。

 なんだろう。この胸のあたりに残る、モヤッとした感じ。こういう時、勘の鋭いすぐ下の弟なら、ピタリと言い当てられるのにな。


「ゼレス、おまえは我儘な奴だな。……キリのいいところまで終わったら、食事をる。それでいいだろう」

「よくねえから、俺がこうして迎えに来てんだろ!?」

「ちょっと、ゼレスも落ち着きなよ」


 さらにゼレスの声が荒々しくなって、さすがの僕も焦った。

 この白亜の城がいくら広いと言っても、あたりに響き渡るような騒ぎになっている。その証拠に、通り過ぎてゆく幾人かが肩を震わせたり振り返ったりしている。

 これはよくない。王族の一人として、なんとかしなくては。


 それにしたって、今日のゼレスはやっぱりどこかおかしい。

 カミル最優先なのはいつものことだけれど、今の彼はどこかイラついているように見える。

 実際、彼の腕に触れただけで乱暴に振り払われてしまった。


「落ち着いていられるかよっ! お前は大将がどうなってもいいっていうのか!?」

「そんなこと言ってないだろ。部屋から出たくないなら食事を持ってこさせるとか、色々と方法が——」

「おまえたち、うるさいぞ」


 僕としたことが迂闊うかつだった。

 二年前までは滅多に近づこうとはしなかった王の寝室。その扉が外開きになっているから注意しなければいけなかったことに。

 そして、僕はその両扉の真ん前にいたことに。


 何の前触れもなく、扉が開く。そしてその扉は大きな音を立てて、僕のひたいに直撃した。


「……いたっ」


 頭に軽い衝撃と鋭い痛みが走った。思わずおでこを押さえたらじんじんと痛みが増し、傷口が熱くなってくる。

 大丈夫、血は出てないみたい。意識もはっきりしているし、大した怪我ではなさそうだ、と——、


 顔を上げた瞬間。開いた扉の隙間から顔をのぞかせたカミルと目が合った。

 いつもは感情を映さない深紅の双眸そうぼう瞠目どうもくし、もともと白い顔が蒼白になっていく。


「……私は、なんてことを」


 うっそ、なんでこのタイミングで部屋から出てくるかな!? 間が悪すぎるんだけど。


 細い指をわなわなと震わせ、大きく見開いた目を不安げに揺らす姿はめちゃくちゃ危うい。

 頭を打った僕より先に、カミルが倒れてしまいそうだった。


「落ち着いてカミル。ほら、なんともないよ。たんこぶができただけだからっ」

「私はノアのきれいな顔に傷をつけ、たんこぶを作ってしまった」


 ついにカミルは顔を両手で覆い、くずおれてしまった。今にも泣き崩れてしまいそうだ。僕の迂闊うかつさが原因とは言え、もう収拾がつかないくらいに色々と重傷だ。どうしよう。

 頼りになるゼレスはイライラしていて不安定だし、国王のカミルはこの通り。他の誰でもないこの僕が、なんとかするしかない。


 目線が合うことはないけれど、屈んでカミルの顔を覗き込む。

 今もなお顔から手を離さない彼の表情をうかがうことはできない。そんな彼の白い手にそっと触れてから、僕は口を開く。

 なるべく優しい声音になるように努めて。


「そんなことより」

「そんなことではない。なによりも重要だ」


 まだなにも言ってないのに言い返されてしまった。でもその拍子にカミルはやっと手を放し、顔を上げてくれた。彼の長い白髪はくはつの一房がさらりと肩から滑り落ちる。

 僕はにこりと微笑んで、彼の未だに揺らいでいるあかい瞳と目線を合わせた。

 

「うん、わかった。でも僕、まだ朝食食べてないんだ。カミルもまだだよね? 一緒に食べに行かない?」


 至って普通の誘い文句だと思うのだけれど。

 たぶん本人にとっては予想外だったんだと思う。珍しくきょとんした顔で、カミルは僕を見返した。


「ノアもまだ食事していないのか。それなら先に食べてきなさい」


 二つ返事でうなずいてくれないのは予想の範疇はんちゅうだった。だからめげずにもう一度誘ってみることにする。


「だからカミルも一緒に食べに行こうよ。ご飯抜いて仕事したって非効率だよ」

「……わかった」


 渋々ながらでもうなずいてくれたのは、僕の言い分が正しいと判断したからなのだろう。

 緩慢な動きでカミルが立ち上がるのを確認してから、僕も同じように姿勢を正す。


 改めてカミルを——僕の養父を観察してみる。

 ノーザンの現国王カミル=シャドールは白くはかない印象を強く与える吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマだ。

 肩より長く伸ばした白髪はくはつに、宝石のような深紅しんく双眸そうぼう。袖を通しているケープコートが白基調っていうのもあるけど、彼の肌が日焼けを知らないような白だからはかなく見えるかもしれない。


 ただでさえ血色のないその白皙はくせき相貌そうぼうが、ゼレスと同様にひどく青ざめているように見えた。そして極めつけは目の下にくっきりと浮かんだくま


 ——僕が考えるより、これはかなり深刻な事態かもしれないな。


「ありがとな、ノア。助かったぜ」


 自分の主君がようやく食事をる気になってくれたからか、ゼレスの眉間のしわはなくなっていた。

 疲れをにじませたその顔を軽く睨みあげ、忘れないうちに言っておくことにする。


「別に、大したことはしてないよ。……それより、ゼレス。後で話があるから」


 カミルのことは気がかりなのと同じように、彼のことも心配だった。

 けれど優先すべきなのは、カミルに食事をさせること。それが、血が繋がっていない親子とはいえ、息子である僕が今すべき仕事なのだ。

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