第二十一話 君に愛をささやく

 ウィリアムがローズを迎えにくる時、いつも彼は魔法使い達から想い玉を採取されている。意識をぼんやりとさせる樹脂の匂いを嗅がせ、根掘り葉掘り色々な話を聞き出し、その時の感情を取り出すのだ。

 その日のベビーシッターが誰かによって聞き出される話の内容は異なる。イーサンやギルバートの時は大抵が楽しい話ばかりだが、エリシャの時だけは違った。彼は必ず、ウィリアムが悲しい顔をするような話をする。なのでほら、今日もまた、今にも泣きだしそうに目を真っ赤にして、ウィリアムが声を震わせている。


「妻が亡くなった日の事は、今でもよく覚えてる。その日は雪が降っていて、彼女の手も氷のように冷たかった。お産で疲れきっていた彼女は声を出すのもやっとで、俺の耳元でずっとローズの事を話していたよ。この子を立派に育ててほしいって、そればかり……」

「君は自分がそれを成し遂げられていると思うか?」

「どうかな……、少なくとも自信満々にそうだと言える確信はない。これからだってあるかどうか……。仕事ばかりで、あまり時間を取ってあげられていない気もするんだ。悲しい思いをさせているんじゃないかとね。母親がいない事も……」


 ローズは父親の顔を見ているのが辛くなり、一人離れて深紅の廊下を戻っていく。廊下の先の扉を開き、左手にある階段の上へと座りこむと、膝を抱えて丸くなった。

 母親のことは、何も覚えていない。父親が語る思い出話を聞いて、どんな人だったか想像することしか出来なかった。明るい茶の髪にローズと同じ緑の瞳、花が咲くように笑う人で、父親を愛していた。そして父も、母を愛していた。

 胸にじくじくとした熱が広がって、ローズは膝に顔を埋める。


「どうしたんだい? こんな所で」


 扉の開く音がして、そこから顔を覗かせたのはイーサンだ。ローズが返事をしないでいると、扉の閉まる音がして、足音が傍まで近寄ってきた。


「……どうしてエリシャは、あんな話ばかりパパに聞きたがるの?」

「彼は悲しみや後悔を集めているからだよ。それが強い力の源だと信じているんだ」

「……ママの話なんてしなくていいのに」


 イーサンはローズの前に膝をついた。ヘーゼルの瞳でじっと見つめ、ローズが自分から話しだすのを待っている。いつまでもそうしてくれるので、ローズは三度息を吸って吐いた後、ぽつりぽつりと話し始めた。


「……ママは、わたしのことあいしてたかな? わたしをうんでよかったと思ってると思う?」

「どうだろう。ウィルの話を聞いて、君はどう思った?」

「……パパは、ママはわたしがうまれるのをとてもたのしみにしてたって。でもそれで自分が死んじゃうとは思ってなかったでしょう?」

「そうかもね」


 ローズはぎゅっとスカートを握る。もう一息分、この言葉を言うのには勇気がいった。


「……パパは、わたしのせいでママが死んじゃったと思ってるかなぁ?」


 自分は本当に母親に愛されていたんだろうか。父親は自分を恨んでいないのだろうか。ローズはずっと不安だった。自分がまだ小さいから、父親は嫌々でもローズを育てているだけなのではないか。だからローズをベビーシッターに預けて、仕事に行ってしまうのではないか。ご飯に冷凍食品を出されるのは、本当はローズの事を愛していないからではないのか。周りの大人達が言うように、ローズには母親がいなくて、父親からの愛も足りなくて、可哀想な子なのだろうか。今まで誰にも話したことはなかったが、ローズの胸にはいつもそんな暗い想いがあった。


「ウィルは僕と話す時、君の話ばかりするんだ」


 ローズは顔を上げる。イーサンは笑って、というよりも呆れたような顔をしていた。


「そりゃ僕も、普段ウィルに君の話ばかり聞いてたせいもあるけどね。たまにはと別の話をふってみてもさ、すぐに君の話になるんだ。景色の良い場所に行ったと言えば、そこは子どもでも楽しめるかな? 美味い店を見つけたと言えば、辛いものばかりだと困るなって。あっちから話してくれる内容だって、全部君の話だ。朝起きてから、君が眠ってしまった後まで、パパは君が思ってる以上に君ばかりだぞ」

「本当?」

「あぁ、うんざりする」


 ローズの顔に笑顔が浮かぶ。普段はローズが何をやっても怒るのに、そんなふうに自分の事を考えてくれていたのがただ嬉しかった。

 さらに、イーサンは続ける。


「君の名付けは、ウィルが?」

「ううん、ママがつけてくれたって言ってたわ」

「"ローズ"の花言葉が何か、知ってるかな?」


 ローズは首を振る。イーサンはヘーゼルの瞳に優しい色を灯して言った。


「君を愛してる」


 ローズは目を見開く。


「パパもママも、君をとても愛しているよ。君のママは、君がその名前を呼ばれる度に、世界中の人から愛を囁いてもらえるようにその名前をつけてくれたんだよ」


 イーサンはその言葉を、とても丁寧に重ねて言ってくれた。


「君は愛されてる」


 ローズの胸は幸せでいっぱいだった。堪えきれず、笑顔が顔から溢れだす。ローズはすっくと立ち上がると、イーサンに向かって胸をそり返した。


「じゃあ! イーサンもわたしの名まえをよぶときは、アイをささやくようによんでくれなきゃダメよ?」

「えぇ?」


 彼は笑いながら体をのけぞらせる。でもローズは譲らなかった。


「やくそくよ! わたしの名まえをよぶときは、アイのこくはくをするみたいに、心をこめてよぶのよ!」


 わかった?と念を押すと、イーサンはまた呆れた顔をして笑った後、耳に心地よい声で言った。


「分かったよ、


 それを聞き、ローズは満足げに笑うのだった。

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