第三話 悪い子の言い訳

「何か飲み物を入れようか。ダイニングへどうぞ」


 イーサンに促されるまま、廊下を進んで奥の扉を開ける。そこにも短い廊下があって、左にはすぐ先で折れている上階へと続く階段、右と前方にはまた扉がある。イーサンが前方の扉を開けると、そこは長方形の机に四脚の椅子が並んだダイニングになっていた。イーサンはその内の一脚にローズを座らせ、飲み物を入れてくると言って部屋の奥の扉からキッチンへと姿を消した。

 ローズは抱えていた本を机の上に置き、イーサンが戻ってくるまでの間、そわそわと部屋を見渡した。階段下の廊下まではピンクローズの壁紙が続いていたが、ダイニングは深い緑に小さな草花が散りばめられたボタニカルな柄だ。机も椅子もダークブラウンの木製の物で、どちらも縁には蝶や小鳥の透かし彫りがされている。テレビはなく、部屋の隅に大きな観葉植物が置かれているだけの殺風景な景色だった。

 ローズは父親と暮らす自分たちの部屋の間取りとこの部屋を比べ、その圧倒的な格差を不思議に思った。椅子の数から見てもこの家には四人の人間が住んでいるようで、彼ら個々人にはそれぞれの個室があるらしい。ローズの家にはダイニングや風呂など必要不可欠な部屋を除くと、父親の寝室と、自分の小さな子ども部屋しかない。なのにこんなにも差があるのか。さらに先ほど廊下で見た限り、この家には加えて上階にも部屋があるようだ。上に小さな屋根裏部屋でもあるのだろうか?

 ローズが首を傾げて考えている間に、イーサンがカップとソーサーを手に戻ってきた。それをローズの前へと差しだす。


「さぁ、どうぞ」


 ローズはそれには手を付けず、目の前のカップをただ見つめた。カップの上半分と下半分が青と白で色分けされ、その境目をなぞるように金の蔓が巻きついて、下半分の白地部分には青い小花が描かれている。口を付ける部分と取っ手が金で出来た、精巧で美しいカップだった。


「それで? 君は何故あんな所で本を読んでいたの?」


 ローズは端正な造りの男の顔を見上げる。


「言ったでしょ? パパを待ってたのよ」

「何故一人で? ベビーシッターはどうしたんだい? 君と一緒にいたはずだろう?」


 ローズはまたむっつりと口を噤んだが、それでイーサンを諦めさせる事は出来なかった。


「どうせ後で君はパパにも同じ事を尋ねられるぞ。それに対して今みたいにだんまりを決めこむのは、あまり得策だとは思えないな」


 ローズは眉をしかめた。確かに考えてみても、この対応では父親は納得しないだろう。理由を話さない限り、開放してもらえないだろう事はローズにも容易に想像ができた。


「……あの人、パパのわるくちを言ったのよ」

「へぇ、どんな?」

「家のれいぞうこにあった食べものを見て、子どもにこんなものばかり食べさせるなんてって。いつもじゃないって言っても、わたしのこと、かわいそうって……。サンドイッチを作ってくれるって言ったけど、わたし、ことわったの。だってパパが昨日かってくれたごはんがあったんだもの。パンはかいに行かなきゃいけなかったの。ごはんがあるなら、食べないのはもったいないでしょう?」

「ベビーシッターの作ってくれたサンドイッチじゃ嫌だった?」

「そうじゃないわ。でもパンをかいに行かなきゃならなかったの。……ママとまちがわれるのは、イヤだったの。だからわたしは行かないって言った。パパのかってくれたごはんがあるからって」


 ローズは机に引かれた木目を何度も目で往復する。そこに言い訳が書かれている訳でもないのに。


「でもわたしの見てないあいだに、あの人はパンをかってきてサンドイッチを作ってしまったの。わたし、だいじょうぶだって言ったわ。いつも食べてるからって。そしたらまたへんな顔をして……。パパのごはんを食べるつもりだったの。それで、腹がたって……サンドイッチをなげつけた」

「なるほど」


 イーサンは長い足を組み、ゆったりとした動きで顎に手を添えた。


「それだけ?」

「……それだけって、わたしはとても腹がたったのよ!」


 イーサンはローズを見下ろし、分かっているよというふうに笑った。


「君の怒りについては理解したよ。君が怒ったのももっともだ。僕が言いたいのは、君がやらかした事は本当にそれだけかってこと」


 ローズはぎくりとする。今の話で納得してもらえると思ったのに、イーサンはローズに全てを話させる気でいるようだ。緊張からか、小さな背中からぶわりと汗が吹きだした。

 途端にローズは口をもごもごと動かして挙動不審に視線を泳がせ始めたので、イーサンは先ほどよりも笑みを深くしてその子どもを見下ろした。机に頬づえをつき、ローズの小さな顔を覗きこむ。


「ローズ、僕と一つ取引しないか?」

「とりひき……?」

「約束だよ」


 誰が聞いている訳でもないのに、イーサンはこそこそ話をするように声を潜ませた。


「ちゃんと話してくれたら、あとで君のパパが迎えにきた時に君が怒られないよう、僕が上手くパパに話してあげる」

「本当?」

「ただし君が包み隠さず本当の事を話してくれるなら、ね。僕は約束を破らないよ」


 その提案はとても魅力的なものだった。ローズは探り探り、言葉を並べていく。


「……たしかにあの人はそれだけじゃ帰らなかったわ。こういうことはたまにあるんですって。とくにわたしの家みたいなばあいは」

「母親がいない家には?」

「そう言ってたわ。家の中のものがかけてるから、心がフアンテイになるって」

「ふーん。それで?」

「それで……ままごとをしたの」


 ままごと?とイーサンは首を傾げる。ローズは一度唇をきゅっと噛んでから話し始めた。


「ママの役をやってあげるって言われた。なんでもわがままを言っていいって言われたし、やりたいことがあれば叶えてあげるわって」

「君は何をお願いしたの?」

「……髪をさわらせてっておねがいした。わたしはみじかくて結べないから」

「ベビーシッターは叶えてくれた?」


 ローズはこくりと頷く。


「ふたつ結びのれんしゅうをさせてって言った。パパはヘタクソだからわたしは髪を結ってもらえないの。自分でできるようになったら、髪をのばしたいからって」

「嘘をついた?」

「……のばしたいのはウソじゃない」

「でも君の魂胆は髪を結ぶ練習じゃなかった」


 ローズはイーサンの顔が顰められないかを慎重にうかがいつつ、言葉を続ける。


「……髪を切ったの」

「なるほど」


 イーサンが壁紙を見つめたまま真剣な顔で言うので、ローズは途端に後ろめたい気持ちになった。


「ちょっとだけよ! 切ったのはほんのちょっとだけ! でもあの人、泣きだしてしまって……」

「君が同じ事をされたら、君は泣かずにいられた?」


 ローズは黙りこむ。想像してみただけで、とてもとても悲しくなってしまった。


「……ごめんなさい。でも帰ってほしかったの。でもパパが帰ってこないとベビーシッターは帰っちゃいけないから……」

「君の話は分かった」


 ローズはまた、ちらと男の顔を見上げる。イーサンはまだ、壁を見つめたまま動かない。


「……しからないの?」


 恐る恐るそう声をかけると、イーサンはすぐにローズに視線を向け、安心するように笑ってみせた。


「これは取引だと言ったろう? 今、君が怒られないようにする言い訳を考えてた」


 ローズはその言葉にほっとする。悪い子には手を貸さない、と言い出されるのではと不安だったのだ。

 たくさん話したら喉が渇いて、ローズは机に置きっぱなしにしていたカップを手繰り寄せた。それに口を付け、ごくりと喉を鳴らす。途端、ローズは激しく顔を歪めた。


「これ、コーヒーだわ!」

「お嫌いだったかな?」

「にがーい!」


 言って、コーヒーを机の向こうに押しやる。するとイーサンがポケットから何やら光るものが入った小瓶を取りだして、ローズの押しやったカップを手に取った。そしてポチョンと小瓶の中身をカップの中へと入れると、ティースプーンで掻き回して、またローズの前へと置いた。


「飲んでみて」

「なにを入れたの?」

「いいから」


 ローズはまたカップを手元へと引き寄せ、疑いながらも再びふちに口を付ける。すると、先ほどまで苦くて飲めた物ではなかったコーヒーが、今ではミルクティーのようにまろやかで甘い飲み物に変わっていた。ローズは驚き、カップの中を覗きこむ。見た目は先ほどと同じ、黒い液体のままだ。驚きの表情のまま、イーサンを見上げる。


「何をしたの?」

「魔法だよ」


 ローズは呆気に取られたまま、ただ男の顔を見つめた。イーサンはにっこりと笑っている。


「僕は魔法使いなんだ」

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