3・この街に似合わないもの

 下校中、ドロドロと腹に響くような音が空に轟く。クレアが顔を上げると、まさに空軍の基地から二機の戦闘機が飛び立っていくところだった。


 あの戦闘機には、昨日レストランで出会ったジャケットの少女――アヤカが乗っているのだろうか? 民間人のクレアにそれを知る術はないが、あんなうるさい乗り物に乗っていた少女が、オリーブタウンの景色に似合わないフライトジャケットを着て出歩いていたのだ。


 クレアの胸の奥で忘れたはずの怒りが蘇ってくる。


 気持ちを落ち着けようと、クレアは再び家に続く道を歩き出す。ローファーが石畳を叩くコツコツという音の中に、時々落ち葉を踏む音が混じる。クレアの大好きな秋の音楽だった。


 しかし、そんな音楽の中に不快な異音が混じる。戦闘機の姿はもう見えないのに、まだかすかにジェット音が聴こえるのだ。長引く轟音に、収まりかけた怒りが再燃を始める。


 もちろん、食事中にいきなり声をかけたのはまずかったと思う。自分でもあの時は考えが浅かったと反省している。だが、ジャケット姿のアヤカは、クレアが大好きな「キレイな街」においては異物で、どうしても許せなかったのだ。


 一方、同じテーブルについていた少女はブラウンのワンピースと赤いベレー帽を組み合わせており、街の景色と上手く調和するコーデだった。彼女の高度なファッションセンスは、とても戦闘機のパイロットとは思えない。


 そうであるなら、彼女にアヤカの服をコーディネートしてもらおうと考えた。普段から一緒に仕事をしている彼女のアドバイスになら従ってくれるかもしれない。そして、景色と調和したコーデでオリーブタウンを歩けば、戦闘機やジャケット、車や携帯電話といったものがいかにこの街に似合わないのか解ってくれるかもしれない。


 馬鹿げた考えだという自覚はあったが、すでにレストランで馬鹿なことはやっている。なら、とことん馬鹿になってしまおう。そう思って、クレアは基地の守衛に手紙を渡したのだ。


 考えを巡らせながら家の前に来た時には、既にジェット音は聴こえなくなっていた。クレアはもう一度空を見上げて、戦闘機の姿を探す。紺碧の空には白い月が浮かんでいるだけで、黒い異物は見つけられなかった。



「ただいま」


 玄関のドアを開けたクレアは、家の奥に向かって声をかける。家には母がいるはずだが、反応は無い。リビングに行ってみると、彼女はソファーの上で静かに寝息を立てていた。


「戦闘機が飛んでるのによく眠れるね。ホント、母さんの図太い神経が羨ましいよ……」


 皮肉を言いながらも母にブランケットをかけてやり、クレアは二階の自室に向かう。


 西に面した自室の窓からは、クレアの暮らすオリーブタウンの街並みが見えた。色とりどりの屋根を乗せた可愛らしい家が並び、北の小高い丘の上には三百年以上前に建てられたグロリアーナ城が静かに佇んでいた。


 おとぎ話の世界のような素敵な街並みなのに、城の向こうには空軍基地の管制塔が見え、さらに奥には長大な滑走路が横たわっている。この部屋から城の写真を撮ろうとしても、必ず空軍基地が画面に入ってしまう。小さい頃からそれが不満だった。


 クレアは本棚からイヴリン・リデルという画家の画集を取り出す。彼女は二百年ほど前にオリーブタウンに移住し、生涯をかけてこの街を題材とした絵画を作り続けた偉人だ。


 クレアはイヴリンの画集の中からグロリアーナ城を描いた絵のページを開き、窓から見える景色と比べてみる。イヴリンはクレアの家の近くの自然公園から城のスケッチを行ったため、彼女の絵と窓の外の景色は酷似していた。


 ただ一点違うのは、白の後ろに空軍基地が見えることだ。当然、二百年前の時代にはまだ飛行機は発明されておらず、空軍基地がある場所は港だった。イヴリンの絵にも港を往来する帆船が描かれている。


 憧れの画家の見た景色を見ることが出来ないのがクレアには悲しかった。鳥のように空を飛びたいという願い自体は美しいのに、それが実現されたために戦闘機という不格好な道具が生まれ、オリーブタウンの港は埋め立てられてしまった。


 どうして人は、鳥のような柔らかい羽で飛べないのか? どうして硬質な金属の翼が必要なのか? 長い滑走路ではなく、バルコニーから空に飛び立つことはできないのか? クレアはそんな疑問を抱きながら十六年の人生を過ごしてきた。


 戦闘機の他にも、この二百年で街の景色を汚すものが次々と生まれた。馬のように速く大地を駆けたいと願えば、汚れた空気を吐き出す自動車が生まれた。遠くの人に声を届けたいと願えば、人を俯いて歩かせる携帯電話が生まれた。


 美しい願いから醜いものが生まれるというジレンマが恨めしくて、昨日はついアヤカに八つ当たりをしてしまった。


「私の手紙、届いてると良いな……」


 そう呟いて、クレアは画集を閉じた。

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