第20話 新正栄丸の新船長

 7月中旬の土曜日、福井県三国町の海洋センターで船舶免許の試験・更新が行われた。


 武と亜由子は2級小型船舶免許コースを受験し、日程は1日と半日で、1日目は学科講習、実技講習、2日目は身体検査、学科試験、実技試験が予定されていた。


 実際、船の免許は簡単に取得できる。


 国家試験ではあるが、今日の漁業の人材不足も手伝い、費用を積めば、実技試験は免除される仕組みとなっている。


 実技試験を免除するコースは1人約15万円の費用がかかるが、武は亜由子の分と合わせて30万円を用意した。


 金は充分過ぎる程、残っていた。


 漁村に辿り着いた頃は、退職金の残り金を工面しながら、船の免許を取り、漁船を購入しようと考えていたが、


 亜由子という存在が現れ、先が見えた今、武にとって、退職金の残り銭は紙屑と同然の価値でしかなかった。


 2日目の学科試験も難なく終わり、2人は2級小型船舶免許を取得した。


 2人は真っ先に免許を正栄に見せに行った。


 正栄は大喜びで2人を迎え、


「今日はお祝いや!」と言い、


 寿司を取り、酒を用意した。


 正栄は我が事のように本当に嬉しそうであった。


「これで、福永はんも船長や!、おまけに亜由も副船長やでぇ!」と何度も何度も繰り返し、乾杯を2人に求めた。


 武が言った。


「船長はともあれ、正栄さんの具合が悪い時は、俺が舵を握りますからね。」と


 それを聞くと、正栄は大きく首を振り、こう言った。


「ちゃうでぇ、福永はん、あんたは船長や!


 あんたはな、船を持たなあかんのや!」と


 武と亜由子は酒の進む正栄が既に酔ったのかと思い、軽く返事をすると、


 正栄は、徐に立ち上がり、隣の座敷に入って行った。


 そして、お祝いと書かれた封筒を握って戻ると、武の前に差し出した。


「これは?」と武が聞くと、


 正栄はにっこり笑い、


「まぁ、開けてみなはれ。」と武に促した。


 武は封筒を掴み、包装された中身を取り出してみた。


 包装の中身は、錨のキーホルダーに装着された鍵があった。


「新正栄丸のエンジンキーや!


 福永はん、今日からあんたが新正栄丸の船長や。」と正栄が言った。


 武と亜由子は驚いた。


 正栄は語った。


「福永はん、亜由子、あんたらはほんまに海が好きや!


 ワシら漁師以上にあんたらは海を愛してる。


 ワシら漁師も最初は海が好きやったんや…、


 そやけど、今はな、そんなに好きやないんや!


 海が憎たらしく見え始めたんや!


 魚を釣っても釣っても値が下がる。


 生活は行き詰まり、若い者は村を出て行ってしまう。


 海に魅力を感じなくなったんや!


 あんたらは違う。


 毎日、船に喜んで乗ってくれる。


 船から降りても、いつもいつも海を眺めている。


 そうなんや!


 あんたら2人は、ワシらみたいに臆病者やないんや!


 最後の最後まで、海を信用できる心持ちがある人間なんや!


 そうやさかい、福永はん、亜由子、ワシからのお願いや!


 新正栄丸の為にも、あんたら2人が船長になってくれ!


 頼む!」


 こう語ると正栄は武と亜由子の手を握り締めた。


 武は静かにこう問うた。


「分かりました。


 でも、正栄さんはどうするんですか?」と


 正栄は武が承諾してくれた事に喜びながら、慌てて答えた。


「ありがとう!


 ワシか?


 ワシはな、あんたらが寝ている間に夜釣りでイカ釣りに出るんや!


 これこれ!」


 と言いながら、ポケットから新正栄丸の合鍵を取り出した。


「なんだぁ~、そう言うことか!」と


 亜由子がホッとしたように笑いながら言った。


 武も「そう言うことなら、このお祝い、頂きます。」と


 正栄の掌を握り返した。


 正栄は安堵した2人の顔を見比べながら、また、慌てて、言い足した。


「ちゃ~うんでぇ~、新正栄丸の船長は福永はんなんや!


 ワシはな、船の維持費を賄う為にイカ釣りするだけなんや!


 いいか、福永はん、亜由子、


 新正栄丸はあんたらの船なんやでぇ!」と


 そして、尚も喜びを顔に表さない武に向かって、正栄はこう語った。


「福永はん!


 あんたは、もう、雑魚は釣る必要はないんや!


 あんたはな、大物を釣るんや!


 マグロを狙うんや!


 日本海のマグロを狙うんが、ワシら阿能の漁師の夢やったんや!


 あんたには、そうして欲しいんや!」と


 強く語った正栄は、肩で息をしていた。


 武は答えた。


「正栄さん、分かりました。


 ありがとうございます。


 貴方が言ってくれた。


『最期まで夢を追え!』と


 そして、その道標を作ってくれました。


 でも…、


 俺は………、」と武が言い終えずに下を向いた。


「その先は言う必要はないでぇ、福永はん…


 ワシは全てが分かった上で言うとるさかい。」と正栄が武の肩を優しく叩いた。


 武が顔を上げた。


 その眼は涙で溢れていた。


 武は、隣で嗚咽を我慢しながら肩を震わせている亜由子の掌を優しく握り、そして、正栄にこう言った。


「正栄さん、ありがとう。


 俺たち、この海で生きて行きます。


 最期までこの海で生きていきます。」と

 


 

 

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