第14話 海の中で眠る夢を見た…

 花冷えのする四月中旬


 新正栄丸は毎日、海に出ていたが、船上に客の姿は無かった。


 正栄はある一定の釣果を基準として客の受入を図っていた。


 今の季節なら、旬の桜鯛が型の良い1キロ前後で1人5枚は上がらないと客に申し訳ないと思っていた。


 北陸日本海の若狭湾


 今年の大雪の影響により山から大量に流れ込む雪解け水は、例年を遥かに上回る量となった。


 そのため、海水温はなかなか上がらず、鯛を始めとした魚の活性は鈍かった。


 それでも正栄は船を出した。


 新たなポイントの開拓のため船を出し、竿を下ろした。


 そして、何よりも、この3人で毎日を楽しく過ごす喜びを感じたく船を出した。


 女もまた、毎日、京都の家からこの漁村に足繁く通っていた。


 女は最初の頃は船に酔っていたが、1週間後には船酔いも克服した。


 新正栄丸の労働は、朝5時に出港し、若狭湾内の数カ所のポイントで竿を出し、午後2時には帰港するといったものであった。


 客を取らない分、その日、3人が釣り上げた魚を吉田釣具店に卸し、日銭を稼いでいた。


 花冷えのするこの日、釣果は少なくガシラ、小アジ、沖メバルがそれぞれ10匹ほど釣れたぐらいであった。


 漁港で生簀から網で掬い、正栄と男で活き〆をし、クーラーボックスに入れ、釣具店に向かう。


「今日はどのくらいになるのかなぁ?」と女がポツリと言った。


「30匹そこらの小物ばっかりやさかい、3,000円位やないか?」と正栄が答えた。


「まぁ、福永はんの煙草代は稼げるわ!」と言い足し、正栄は笑い飛ばした。


 車を運転する男もニヤリと笑った。


 吉田釣具店に着くと、この仕事は自分の仕事であるかのように、女がクーラーボックスを抱え、店に入って行く。


「こんにちわ!奥さん、居ますか?」


「あらぁ、亜由ちゃん!釣れた?」


「クーラーが軽すぎて…」


「やっぱり、海水が上がらんへんからのぉ。なかなか、お客さん、乗せられへんなぁ。」


 吉田の女房が女が開いたクーラーボックスから魚を仕分けた。


 男と正栄が遅れて店に入り、魚の卸は女に任せ、2人は釣具コーナーに向かい、仕掛けの補充を行う。


「正栄さん、釣れ出したら生き餌よりサビキが良いかも知れませんね。」


「そうそう、船の客は数を求めるさかいサビキが主になるわ。」


「若狭湾はどんなサビキでやるんですか?」


「これこれ、この白!カワハギの皮!これや!」


「白ですか!九州も鯵釣りはカワハギの白を使ってました。同じですね!」


「針は4号~5号や!」


「大きいの来たら上がりますか?」


「3キロ以上の鯛やと飲み込んでも吐くからなぁ~、


 まぁ、5本針の仕掛けやと、口で食わんでも体に針が刺さるさかい!」


「それじゃ、釣りじゃなくて、引っ掛けみたいなもんじゃないですか。」

 

「ええんや!客は何でも釣り上げれば喜ぶんや!」


 男と正栄が釣り談義をしていると、女がニッコリ笑いながら、中に飛び込んで来た。


「4,000円になりましたよ。」と金を正栄に渡した。


「またぁ、吉田さん!こんなことしてくれはって、貰い過ぎや!」

と、正栄が吉田の女房に怒鳴った。


「ええんでぇ!沖メバルは高こう売れるさかい、気にせんといて!」と吉田の女房は相手にしなかった。


 3人は車に戻り、正栄が千円づつ2人に渡した。


「ヒラメ、狙わないと良い銭にはならんわい。」と正栄が嘆くと、


「そうそう、私のヒラメ、1万円だったもんねぇ!」と女が得意気に声を上げる。


「偉そうに!死人のような顔をしとったくせに!」と正栄が揶揄う。


「うるさい!」と女が正栄に舌を出す。


 男はそんな2人のやり取りを笑いながら見遣り、ハンドルを握った。


 何やかんやで楽しい日々の中、


 男は女の事を心配していた。


 毎日、京都からここまで通うガソリン代


 原価の高騰で正栄から貰う日銭では足りないだろうと思っていた。


 ある日、魚を卸し終え、漁村に戻り、自分の車に戻ろうとする女に声を掛けた。


「相棒、これ足しにしろ!」


 男は女に封筒を手渡した。


 封筒の中には1万円入っていた。


「いいの!私、船長から貰うお金で十分なの!大丈夫!」と女は封筒を男に返し、


「師匠!、では、また明日!」と、


 女はニッコリ笑いながらそう言うと車を急ぐよう発車させ、帰って行った。


 男は何か…、女が心配であった。


 何故、女の両親は身も知らずの者に年頃の娘を任せ切るのか?


 女は何故、大学を辞めたのか?


 女は京都のどの辺りに住んでいるのか?


 女は何故、釣りをし出したのか?


 女と知り合って1か月が経とうとしていたが、男は女の事情を何一つ聞き出せずにいた。


 何よりも、自分の何処をどう気に入ったのか…その事を女に1番聞きたかった。


 女の家は京都府舞鶴市にあった。


 男の漁村から舞鶴・若狭湾有料道路の高速を使えば40分で着く距離ではあった。


 しかし、女は小浜市の海沿いをゆっくり走るルートが好きで、倍の時間をかけて下道で通っていた。


 この日も夕方に女は家に戻り着いた。


 玄関を入ると直ぐに母親が顔出して、


「どうやった?今日は釣れた?」と声を掛けてくれる。


 女は満面な笑みを浮かべ、船の上の話、魚の卸値等々、母親に合いの手を挟む糸間も与えず話し続ける。


 母親はこんな楽しく語る娘の顔を涙を堪えて、しっかりと聞いてあげる。


 女は余命1年と医者から宣告されていた。


 女は子宮がんであった。


 20歳の時、子宮の全摘出手術をし終えたが、既に癌は腎臓から静脈に乗り、肝臓に至り、胃にも転移していた。


 女は大学を休学し、放射線治療のため1年以上入院生活を余儀なくされた。


 女はステージ3まで回復すると、自分の最期が見えるよう、こう母親に頼んだ。


「お母さん、大学、辞めていいかなあ。」


「どうして、退院すれば、また行けるわよ。」


「私、好きなことしたいの。」


「好きなこと?」


「うん、海を見たいの。」


「海…」


「あのね、お母さん。私、家に戻りたい。


 そしてね、海を見ながら暮らしたいの。」


「分かったわ。そうしましょう。


 でも、亜由子、何故、海が出て来たの?」


「夢を見たの…


 海の中で眠る夢を見たの…」

 

 

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